銃口に口付けを



クラスメイトであるご令嬢たちの会話を思い出しながら舌打ちをした。
やれ春休みは海外旅行に行った、高等部進学祝いにブランド物のバッグに洋服、アクセサリーを買ってもらった、新車は外車の〇〇だ、等々。誰もかれも同じような内容の話ばかりで本当につまらない。春休み明け、しかも高等部進学を期に少しでも何か面白いことがありますようにと登校したものの、エスカレーター式のこの学園で目新しい友人との出会いやハプニングなどあるはずも無く、今日も無事に学園生活を終えた私は正門で待つ迎えの車に乗り込みぼーっと車窓に映る変わり映えの無い景色を眺めた。


(退屈過ぎる…目の前で爆発が起こるとか、隕石墜落とか…もうなんでもいいから何か起こらないかしら…)


脳内で物騒なことを考えてしまい、実際に起こるわけない妄想を1人寂しく一蹴する。
…幼稚舎から今現在高等部に進学するまで通い続けている母校、年数にすると10年以上も同じ場所に毎日毎日登校しているのだ、流石に飽きも来る。これくらいの巫山戯た妄想も許して欲しい。


▲▼


20分そこらでいつもの様に車が静かに停車した。
都内の一等地に佇む我が家が見え、正面の門で帰りを待っていたであろう使用人の女が、いつもとは血相を変えた様子でこちらに向かってきているのが見えた。
運転手に礼を言い、車を降りると既に目前までやって来ていた彼女はぜーはーと息を切らしている。

『どうしたの、サエ』

幼い頃からお世話になっており最早育ての親のように感じている彼女の肩を持ち、とりあえず落ち着くように言う。
未だに息の荒い彼女は一旦は呼吸を整えようとしたものの「ありがとうございます、お嬢様…それより…!とりあえず早く中へ!」と言うが早いか、私の手を引きながらまた足早に家の中へと戻っていく。
50代半ばとは思えない強い力に引きずられるようにして玄関口まで向かうと、珍しいものが目に入る。高いピンヒールと綺麗に磨かれた革靴…見覚えがあるそれらはいつもはほとんど家になど帰らない母と父のものだ。

(珍しい…お父さんとお母さんが一緒の日に帰るなんて)

普通の家庭ならおかしくも何ともない光景も特殊な我が家では異質そのもの。さっきから焦りを隠せていないサエの様子も加わり、謎の緊張が体に駆け巡る。
ローファーを脱ぎ、急かすサエに連れられて廊下を歩く。広々とした我が家は娘の私、家の家事を担うサエと残り数人の使用人しか常駐していない為普段から静かではあるものの、今日は廊下が軋む音すら煩く感じてしまうくらいの静寂に包まれている。
前を歩くサエの足取りが止まり、私も立ち止まる。目の前を見ると殆ど使用されていない父の執務部屋の扉が聳えており、サエは躊躇することなくコンコンとノックをする。

「旦那様、お嬢様を連れて参りました」

「…入りなさい」

父と思わしき声が聞こえ、サエが扉を開く。先程からの展開についていけず暫し立ち尽くしていると、久しぶりに会う母が私を見て手招きをしていたのでおずおずと中に入る。ガチャリと音を立てて閉まる扉の音がやけに大きく聞こえ、静寂が訪れる。部屋の真ん中にはガラスのローテーブル。その左右に置かれた革張りのソファの片側に向かい合うように父と母が座っているがその表情は決して明るいものでは無い。
とりあえず母の隣に座ることにすると、背後にサエが静かに立った。流石に父の隣に座ることはできないか、なんて考えながら自分からは何も話さず黙りこくった2人の様子を伺う。
スーツに身を包み高そうな腕時計を巻く父に、少し肩の出たワンピースにこれまた高そうなネックレスを首にかけた母。 自信に満ち溢れた格好の2人は、それに反して先程からずっと青冷めた表情である。

暫し静寂が続いた後、ようやくとばかりに父が口を開いた。



「結論から話そう…茉莉花…父さんの、…父さんの、会社が…倒産した」

父から発せられた言葉を脳が咀嚼する前に、隣に座る母が大袈裟なくらいに声を上げて泣き始めた。
流石女優なだけあって、まるでドラマのワンシーンかのような泣きっぷりを呆然と眺めていると、構わず父が話始める。

「倒産だけじゃないんだ…父さんが立ち上げた事業も失敗したせいで借金もある…とてもじゃないがこの家の維持をすることもお前の学費を払うこともできない…」

肩を落とす父と泣き喚く母を交互に見る。
父の会社の倒産に、多額の借金。母は一応有名女優ではあるが、それを持ってしても直ぐに返済できる額ではないのだろう。今までの贅沢な生活は勿論、学校も辞めざるをえないという極貧生活まっしぐらな危機的状況であるとしっかりと理解したが案外ショックは受けなかった。
…それよりも退屈な学園生活とおさらばできること、暮らしは厳しくなるかもしれないが、今の生活よりは両親と過ごす時間が増えるのではないかという、子供らしい淡い期待まで抱いた。
ただ使用人であるサエたちを雇う為の給料も払えないだろうから、彼らとの別れは必然…そればかりは寂しいという気持ちはあったが私にとっては問題はそれくらいのものだった。

大変だけど家族揃って頑張っていこう!

そう、落胆する彼らに、ようやく街中で見るような普通の【家族】として過ごしていける!といった希望を込めて声をかけようとした時だ。


「そこでだ。お前に結婚をしてもらいたい」

『は?』

予想外の展開に、思わず言葉が引っ込んだ。
真剣な面持ちでこちらを見る父に、いつの間にか泣き止んでいる母。2人の視線を一身に浴びた私は暫しフリーズする。救いの意味を込めて背後に控えているサエを見やると、酷く悲しそうな顔をしたかと思えば目を逸らされてしまう。

「いきなりでお前が戸惑うのも分かる…だが父さんの会社や、お前や母さん、私が雇っている従業員の生活がかかっているんだ…分かってくれ…」

『え、は?ちょっと待って…なんで、私が結婚?それで…なんでそんな話の規模が大きいの…?』


本当に意味が分からず頭はもう疑問符で埋めつくされていた。
そこから、淡々と説明をし始めた父の話は要約するとこんな感じだった。


父が経営する会社がなんやかんやで倒産することになり、焦った父は色々なツテを辿って融資を申し出てくれる人を探した。しかし、莫大な借金まで抱え、立て直しの見込みもない父の会社に融資を申し出るようなチャレンジャーは中々現れない。そんな中、愈々自己破産を覚悟した父の前に救世主の如く現れた人間が一人居たらしい。
その人の名は灰谷さんと言って三十路手前にして、日本で知らぬ人などいない大企業の社長を務めているというとんでもない経歴の持ち主だった。
とても心優しい灰谷さんは、父の話に深く同情し、借金の返済と、会社の立て直しに協力することを快諾。…しかし、ひとつだけ父に条件を提示したらしい。

それが一人娘である私を【妻】として迎え入れたいというものだった。



男女の平等が叫ばれて久しいこの日本で、まさか会社を救うために全く顔も知らず、10以上年の離れた…名前しか知らない相手に嫁げと実の父…いや、先程泣いている母もだ、両親にそんな政略結婚まがいのことを強要されるとは思っていなかった。ここは戦国時代かとツッコミたくなる。

『そもそも私、まだ15歳よ?結婚すらできないし…』

「そこは心配しなくても大丈夫よ、灰谷さんは16歳までは籍を入れずにとりあえずは婚約の形でいいと仰ってるから」

母が間髪入れずに大丈夫と言ってくるが、一体何が大丈夫なのか分からない。
いつぞやかクラスメイトの1人が、ロマンス小説に出てくる登場人物のように運命的な出会いをして、燃えるような恋をしたいと言っていたのを思い出す。
当時は冷めた気持ちで、金持ちは恋愛に関してもお花畑か、なんてことを思っていたりもしたが、今はそのロマンス小説の登場人物たちが羨ましかった。
少なくとも彼らは運命の相手を自由に選ぶことができるのに、私はというと相手はあれよあれよと決められ、尚且つ三十路手前…15の私からするとただのおっさんでしかない。
初恋もまだの私にとって余りにも酷な宣告だった。

…いや、それよりもただただ悲しかった。
自分が創り上げた会社を潰したくない父に、今の生活を意地でも手離したくない母。
両親にとっての私がそれらよりも優先順位が低いことを突きつけられた気がして酷く悲しくなったのだ。

薄らと期待もあってか、私は一層悲しくなり俯く。
そんな私を見て了承したと解釈したのか、父は早速灰谷さんに連絡しなければと部屋を出ていき、母はドラマの撮影があるからと、同じく部屋を出ていった。

「すみません…お嬢様…」

2人を見送った後、サエが一際悲しそうな声で私を呼んだ。その声に柄にも無く泣いてしまいそうになったがぐっと堪える。

「いいのよ、仕方ないのよ、私が我慢すればお父さんの会社も借金も全部チャラ。それにサエとも離れずにいられるしね」

「お嬢様…」

サエの瞳の端に涙が見えたが、気付かないふりをする。



結局、結婚を破棄する力も無ければ、父母にそれを伝える勇気も無かった私は精々、彼らに利用されるのが関の山だと半ばヤケクソになりながら自室に向かうべく部屋を後にした。





▲▼


それから1週間後。早速とばかりに灰谷さんとの顔合わせがセッティングされ、私は六本木のとあるフレンチレストランへと連れて行かれていた。
家での話し合い同様、家族3人勢揃いでの外食というのに、私の気分は酷く落ちており、席に案内され噂の灰谷さんを待つ間両隣で楽しげに話す両親を恨めしく思いながら、ウエイターや煌びやかな客を眺めることくらいしか出来ずにいた。

(どうせ、お腹が出て、禿げで、金しか取り柄の無い胡散臭い男に決まってる…)

まだ見ぬ灰谷という男にそんな悪態をつくくらいには、この数日間でより擦れてしまった。
その後もディナー時ということもあって続々と入店する客を眺めながらぼーっとしていると、一際顔の整ったスーツ姿の男性がウエイターに案内されていた。

(どうせ結婚するなら、ああいう人がいいな…)

ぼんやりとそんなことを考えながら彼を見つめていると、目が合ってしまい思わず逸らしてしまう。知らない人を見つめるなど不躾なことをしてしまったと一人反省していると、両隣の両親が席を立ち「わざわざ足を運んで頂きありがとうございます、灰谷さん」と言うので、思わず私も立ち上がり頭を下げる。
頭上では「いえいえ、顔をあげてください」と初めて聞く男性の声がしており、どうやらこの人があの灰谷さんらしい。
予想以上に爽やかな声に驚きつつも顔を上げる。

「はじめまして、茉莉花さん」

『!…あ…は、はじめまして…』

目の前には先程見蕩れてしまったあの男性。
想像していた私の灰谷像とのあまりの違いに驚きつつもなんとか挨拶をするとニコリと微笑まれた。


私の目の前の席に着くや否や灰谷さんはまずウェルカムドリンクとしてシャンパンを頼んだ。
細長いグラスに注がれた透明な液体を喉に流し込む彼を目の前で見つめながら、ノンアルコールの葡萄ジュースを煽った。

「自己紹介がまだだったね。はじめまして茉莉花さん、俺は灰谷蘭。蘭って呼んでくれると嬉しいな」

『蘭さんですね…はじめまして、この度は父の会社の件で…本当にありがとうございます』

逆に疑わしいくらいの人畜無害そうな笑みを向ける彼にそう言うと、「まだ高校生なのに礼儀正しいね」と頭を撫でられる。両親の前ということもあり流石に恥ずかしかったが、彼らはそれよりも娘と灰谷さんが上手く行きそうな雰囲気を察知し静かにお祭り騒ぎであった為、私の気持ちに気づく様子もなさそうだ。
順々に運ばれてくる見目麗しく味も素晴らしい料理たちに舌鼓をうちながら、私はそれから繰り広げられる両親と灰谷さんの会話を上の空で聞いていた。



「今日は本当にありがとうございました、娘共々末永くよろしくお願いします」

レストランを出たあと、父と母は恭しく灰谷さんに頭を下げ、手配したタクシーに乗り込んでいく。
私も同じように彼に礼をして、それに着いていこうとすると何故か灰谷さんに腕を引かれた。

『あ、あの…』

「君はこっち」

ニコニコ微笑む彼に反して、謎に掴まれた腕の力が強いことに違和感を覚える。
助けを求めようとタクシーに乗り込む両親を見やると「くれぐれも灰谷さんに失礼の無いようにね」と母に念を押され、そのまま両親を乗せた車はさっさと私を置いて走っていった。


途方に暮れるとはまさにこのことだ。
呆然と走り去る車を眺めていると、また強く腕を引かれる。
振り返ると今度はタクシーではなく誰かの自家用車なのか外車が停められている。

「じゃ、俺らの家に帰ろっか」

『え、ど、どういう意味…』

そう言うやいなや手を引き車に乗り込もうとする彼。
流石に怖くなり振り払おうとすると、ぐっと手を引かれ抱きしめられてしまう。

(だ、抱きしめられ…!?え、え!?)

そもそも男性に抱きしめられたことなど生まれてこの方無かった私は今の状況など忘れて思わず鼓動が高鳴る。鼻腔をくすぐる仄かな酒の香りにあてられていると腹部あたりに冷たい何かが当たった。ぼーっとした思考で目線を下にやると、そこには夜の闇に負けず劣らず黒光りしたものがあり、脳がそれを認識した瞬間一気に血の気が引いていく。
抱きしめてきた張本人である彼はそんな私に気づいたのか耳元でくくくっと酷く楽しそうに笑っている。

「つーかまーえた〜」

そのまま押し込まれるように車に乗せられた私は、目の前に突きつけられた銃口とにらめっこしながら、目的地すら分からない地獄のドライブに参加させられるのであった。







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