ああ、まただ。
俺はその光景を静観しながら冷えた思考の片隅で呟いた。
「平和島くん、また授業を抜け出してたでしょう?今日の放課後は補習よ」
「…はい、すんません」
さりげなさを装って肩に置かれた手、生徒に接するには近すぎる距離、甘過ぎる香水の匂い、真っ赤にひかれた毒々しい口紅。
俺はこの女の全てが嫌いだ。

大体授業を抜け出したのはシズちゃんと鬼ごっこに興じていた俺も同じなのにこの女は俺は成績優秀だから、と決まってシズちゃんばかりを補習に呼び出す。理由は簡単。三流大卒の色ボケ女教師は生徒との禁断の恋とやらに興味津々なのだ。

色恋に疎いシズちゃんは教師の意図には全く気付いていないようだけど、俺からすればそれはあからさますぎた。
本当に、忌々しい。女の武器を最大限に使って甘い猫なで声を上げる顔を盗み見る。
若い男なら誰でもいいのだろうその女は色を含んだ視線をシズちゃんに送っていた。

「じゃあ放課後、英語科準備室まで来てね」
上手く約束を取り付けられたことに満足した女が去って行く背中に呪詛に似た気持ちを込めて一瞥してから視線を外す。と、背けたその先には珍しく俺を凝視しているシズちゃんがいて驚いた。
「…シズちゃんさ、放課後なんてサボっちゃいなよ」
「そういう訳にもいかねぇだろ」
一縷の望みをかけて提案してみても視線があった瞬間目を逸らしたシズちゃんは、見た目やそのキレやすさに反した真面目な面を覗かせる。
そういうところも嫌いじゃないけど、今はやっぱり嫌いだ。
「ほんと、シズちゃんは馬鹿正直だよねぇ」
呟いた悪態に怒りを露わにしてくるかと思われた彼は、どこか心此処にあらずで、それがまた癪に触った。












「失礼します」
「あ、平和じ……折原くん?どうしたの?」
そして放課後、俺は掃除当番のシズちゃんに先回りして英語科準備室へと赴いていた。
件の女は俺をシズちゃんだと思ったのか一瞬声を弾ませたが、すぐにそれを教師然としたものに戻す。落胆は隠せないが柔らかな口調からは普段の外面の成果もあって俺がそこそこ好意的に見られていることがわかった。

「先生、ちょっと授業でわからないところがあって…教えてもらえませんか?」
「いいわよ。折原くんが質問なんて、珍しいわね」
英語の教科書を片手に出来うる限り柔和な笑みを形作ると女の頬に赤みが刺す。一瞬単純かと思われた女はしかし意趣返しのように口端を上げて手招きした。
「私、折原くんには嫌われてると思ってたわ。何だかいつも怖い顔をして見られてたから」

正直これには、まさか気付いているとは思っていなかった為に俺も少しばかり驚く。腐っても女の勘というやつだろうか。しかしそれだって、予想の範疇から出てはいなかった。
「だって先生、平和島くんばっかり構うでしょう?今日も平和島くんだけ呼び出したし…俺だって、先生に二人っきりで補習してもらいたいのに」
「折原くん…」
机に手をかけ覗き込めば、先に椅子に腰掛けた女の顔に影が落ちる。その顔は俺の言葉を受けてとろけるような醜悪さに満ちていた。甘い口付けを期待してか瞼がゆっくり下ろされる。

ほら、やっぱりシズちゃんじゃなくてもいいんだ。
男なら誰でもいい癖に、どうしてあんたがシズちゃんに触れる。どうしてあの名を呼ぶ。どうして、女というだけで当然のような顔をして―。

俺の方が、ずっと好きなのに。

いっそあの名を呼ぶ唇を噛み切ってやろうかと逃げられないように頬に手を添えて、唇を近付けた。
「失礼します。平和島で…」
と、不意に響くノックと扉の開かれるスライド音。
振り返った先にはシズちゃんがいつも俺を見ては忌々しげに細める目を零れそうな程見開いていて。

我に返った彼はすぐにその表情に濃い憤りを滲ませて大股で俺達に近付く。
「平和島くん、誤解よ、これはッ」
後ろで狼狽した女が椅子を揺らす音がしたが怒りに支配されたシズちゃんは気に止めた様子もなく俺の手首を掴み引いた。
「ちょっと来い!」
そのまま痛いくらいに手を引かれて放課後の廊下を歩きながら、俺は他人ごとのようにその光景を見つめる。

どうなるんだろう。
やっぱ殴られるかな。昼間の様子じゃシズちゃんはあの教師に結構好意的だったし、元々年上好きの彼の好みにも当てはまる。準備室から連れ出したのはさしずめ彼女に暴力を奮うところを見られたくないってとこか。

思考は憎たらしい程に冷静で現実的なのに、夕日が先を歩くシズちゃんの金糸を燃えるように煌めかせて光景は妙に幻想的だ。
「…っ」

人気のない階段の踊場でようやく此方を向いたシズちゃんが壁に俺の肩を押さえつける。痛みに現実へ引き戻された俺の視線と彼のそれがかち合う。
「お前、あの先生の事が好きなのかよ」
嫉妬を滲ませた瞳は俺を突き落とすには十分なもので、だから俺は精一杯おどけるように痛む肩を竦ませて視線を逸らした。
「ハッ、そんな訳ないじゃん。誰があんな女相手にすると思ってんの。シズちゃんへの当て付けだよ、あんなの。どう?憧れの先生が取られる気分は。悔しい?悲しい?」
わざと顔を近付けてシズちゃんの怒りを煽ってやると俯いた彼から歯噛みの音が漏れる。
そろそろその痛烈な拳がぶつけられる頃だろうか。こんな至近距離からだとちょっとマズいかなぁ。

けれど俺の予想に反して、拳は俺の頬を素通りして背後の壁へとめり込んだ。
「ふざけんなよ手前…っ勝手に人の気持ち決めつけてんじゃねぇ!誰が誰に憧れてるっつーんだよ。俺は、俺が、嫌だったのは手前が…」
吐露するような言葉は行き先を失って途切れて、その続きは簡単に予想出来るけど、ちょっと待って。それは俺の予想通りのものじゃない。

だってシズちゃんは俺が嫌いで。
普通に女の子が好きなはずで。
包容力のある年上が好みな、はずなのに。

これじゃあまるで、シズちゃんが俺の事を、



そこまで行き着いた瞬間、俺は何も考えられなくなった。
反射的に出したナイフで彼の腹部を一突きし、拘束が緩んだ隙に手の内から逃げ出す。

当然のようにシズちゃんの腹部に刃は数ミリも進まなくて、背後から落ちるナイフと彼の怒号が聞こえる。


(早く、早く捕まえてよ。早く俺に返事をさせて)
鮮やかまでの紅に染まった廊下は俺の今の気持ちを表すようで、その中を駆け抜けながら俺は追いつかれたその時の事を考えた。
染める夕陽に自分の顔色を紛れさせながら。





真っ赤なソワレ
(後ろに迫るは彼の人の)








kny様から頂きました
「来神時代静(→)(←)臨で、シズちゃんを誘惑する女教師(鈍感シズちゃんは誘惑に気付かず)に制裁を加える臨也」というリクエストでした。途中ヤンデレ仕様になりそうでしたので慌てて軌道修正したらただの鈍感バカップルの痴話喧嘩状態に…!あ、れ…?
制裁も出来ているのかいないのか状態ですが一応二兎を追って一兎も獲られなかった事が制裁と捉えて頂けますと幸いです。
来神時代が大好物なので楽しく執筆させて頂きました。kny様、リクエストありがとうございました!







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