「いぃぃざぁぁやぁぁぁ!」
ポストが舞う、標識が飛ぶ、自販機が宙に浮く。それは池袋にとって不本意ながら日常的になりつつある光景である。
もうすぐ世が梅雨を迎えようかというある日、臨也は取引先の指定で池袋へ訪れていた。無事に商談も終えて高校時代の旧友に会って帰ろうかと画策していたその時、眼前に突き刺さったのは白く長い金属製の棒、つまりは標識の支柱部分だったのである。
その後はもうすっかり慣れてしまった鬼ごっこの始まりで、臨也はパルクールを駆使しながら池袋の路地という路地を逃げ続けた。いつもならば静雄はある程度まで臨也が逃げ続ければ見失い、それ以上無理に追ってくる事はない。
しかし今日は違った。静雄は何故か今日に限って臨也を執拗に追い回し、一度や二度見失っても持ち前の感覚で居場所を探り当てては再び追ってくるのだ。
「っは…何なんだよ、今日の…シズちゃん…っ」
ここ最近はそこまで静雄の怒りを買う事をした覚えのない臨也は逃げ込んだ路地裏で息を整えようと身を屈める。すっかり上がった息と共に警鐘を鳴らすかのように激しく跳ね上がる心臓を押さえて深く呼吸を吸い込み、吐き出した臨也の前を勢いよく何かが通り過ぎた。
見ればそれは鬼ごっこの始まりの合図となった投擲物と同じで、しかし今度は支柱ではなく指示を示すイラスト側が深々とコンクリートの壁に突き刺さっている。
「見つけたぜ?臨也くんよぉ」
ゆらりとその影を揺らめかせながら現れる静雄はその手にもう一本標識を引っさげていて、不意に勢いよく駆け寄ったかと思うと臨也を挟むような形でもう一方にもそれを突き立てた。
「見逃しては、くれないよねぇ…」
両手を上げて降参の意を示しながらもその瞳は好機を窺うように煌めく。普段ならば窮地に追い込まれてなお余裕の姿勢を崩さない臨也に静雄が苛立ち、拳の一つも飛んでくるはずだった。
しかし珍しい事は続くものなのか、静雄は苛立たしげに舌打ちをしながらも動こうとはしない。それどころか何かを逡巡するように視線をさ迷わせて口内で声にならない言葉を噛みしめている。
「シズちゃん、何か変だよ。どうしちゃった訳?」
いつまで経っても行動を起こさない静雄に見かねた臨也が訝しむが返事が与えられる気配は一向になかった。
「う…、あー……畜生!」
静雄にしては珍しく歯切れの悪いうなり声の後に彼が踵を返したのは来た時と同じく突然で、臨也はその広い背を茫然と見送るしかない。
「何、だった訳…?」
挟まれた標識の合間で呟く言葉は薄暗い路地の床に落ちて消えるのみだ。
しかしその問い掛けは、すぐに解決される事となった。
腑に落ちない気持ちを抱えながら今日はもう大人しく帰ろうと駅に向かっている最中、臨也の前に音もなく黒い影が滑り込む。それは彼も贔屓にしている優秀な運び屋たるセルティで、声を発する器官を持たない彼女は馴染みのPDAに手早く指を滑らせると臨也の眼前に示した。
『臨也、お前に届け物だ』
「届け物?…何これ」
愛馬から降り立ち妙に恭しく差し出されたセルティの手の上には濃紺に上品なシルバーのリボンがかけられた小箱。
どうやらアクセサリーの類でも入っていそうな箱ではあるが、臨也には全く身に覚えのないもので手に取るのを躊躇ってしまう。
「まさか爆発物とかじゃないよねぇ?」
おちゃらけた台詞を零しながら箱を摘みあげて耳を寄せてみるが怪しい音は聴こえない。
『そんなはずないだろう!…それは、静雄からの誕生日プレゼントだ。渡して欲しいと頼まれた』
「シズちゃん、からぁ?」
ならば本当の中身はなんだろうと箱を振る臨也は、PDAに刻まれた名前に思わず動きを止めて聞き返した。
「君いつからそんな冗談言うようになった訳?大体俺の誕生日は先月…ちょうど1ヶ月も前に過ぎてるんだけど」
自分の誕生日を間違えるべくもなく、確かに臨也の誕生日は1ヶ月前の5月4日に終わっている。ますますこの贈り物の意図を図りかねて、それでも情報を収集する者としての好奇心が疼いて、セルティがPDAに何かを打ち込む傍らで臨也はリボンを解いてみた。
外面に違わず中に入っていたのは鈍い銀色に輝くシンプルな作りの指輪で、それは臨也の人差し指には少し小さいようなサイズに見える。
『これは口止めされていたんだが、静雄も色々悩んでいたんだ。お前は大体何でも自分で買えるくらいの資金は持っているし、何が欲しいかもわからない。結局こういう物に決めたはいいがいざ面と向かってみると気恥ずかしくて渡せなかったと話していた』
言葉も出ずに指輪を見つめる視線の先に遠慮がちなPDAの文字が滑り込む。その内容は臨也の胸を熱くさせると同時に言いようのないものを去来させた。
指先までも漆黒に纏われたしなやかな手に小箱を押し返し、彼は踵を返す。声なき声が自分の名を呼んでいることを感じたが振り向きはしなかった。
「俺の人差し指はさ、もう埋まってるんだよね。大体それサイズあってないし何調べてんだろ。シズちゃんてば本当に力以外能がないんだから」
『臨也、待っ…』
「だからさ」
いつもより緩やかな、穏やかな仕草で上げられる左手。
「自分で渡しに来いって伝えといてよ。仕方ないからそれまで待っといてやるって」
その左手が上げられた瞬間、どうやって見えているのかはわからない視界で、確かにセルティは捉えた。
先程まで手の中の小箱を控え目に飾っていた銀色が、素直でない男の環指から靡いていたのを。
打って変わって妙に弾んだ胸元に小箱を仕舞いながら人情に厚いデュラハンは愛馬の蹄たる前輪を返す。親友の下へ、一刻も早くこの喜ばしい光景を伝える為に。
軽い足取りで去る男を祝福するように、池袋の街並みはビルの隙間から蒼穹を覗かせていた。
HAPPY HAPPY BIRTH DAY!
臨也の誕生日が過ぎていることを知って大変悔しかったので、なら1ヶ月後に絶対呪っ…じゃない祝ってやる!との概念の下出来上がりました。ちょっと二人にデレデレさせすぎた上にあんまり祝ってる感がないのは御愛嬌、でお願いします…orz
とにもかくにも臨也さん誕生日おめでとうございます!これからも素敵で無敵な永遠の21歳でいてください。