お城の兵隊さんのように見えました
ガタン、電車が小刻みに揺れる。それに合わせて周りの人も、私も、小さく動く。ああ、ついてない。
今日私はうっかり、いつもより早い時間帯の電車に乗ってしまったのだ。そのせいか電車は満員で、体を動かす余地すらない。
それでも運のいいことに、私は今ドアに寄りかかれる位置にいるから、他の人みたくバランスを取れないなんて心配もなく、ただ背中をドアに預けるだけでいいのだ。 しかもこちら側のドアは私が降りる駅まで開かない。楽チンだ。すごく楽チンだ。
ただ、満員電車だから隣の人と密着するのは中々きつい。いつもはもっと空いてるからなあ。
そう、息をついたときだった。電車が大きく揺れた。今までに無い揺れに私を含め乗客全員、バランスをくずした。これはやばい、と足で踏ん張る。
その時突然、私の耳元でバン!と音がした。
どうやら私の前に立っていた人が、また揺れた電車の勢いそのまま私側に倒れてきたようだ。何とか右手でドアを押して体勢を立て直した時に、その大きな音が鳴ったらしい。
それだけなら倒れなくてよかったよかった、なのに話はこれで終わらない。その人の腕の位置が私の耳元なのだ。所謂、壁ドンの状態。その人も何とか体勢を直そうとしているのだが、満員電車がそれを許してくれない。下を向いていたけれど、その人が小さく頭を下げるのは見えた。こちらこそ申し訳ない。私も同じく頭を動かす。
でも私からしたら、その人が壁ドンしてくれているおかげで少し空間ができて楽だなあ。呑気に考えながら顔を上げ、そして彼と目があった。え、嘘この人。
「水戸部くん…?」
突然名前を呼ばれたことにびっくりして、水戸部くんは顔をあげた。私とまた合った目は、やっぱり彼の目だ。
何を隠そうこの私、水戸部くんのことが好きなのだ。なのに全く近づこうとしない私に業を煮やして、一度だけ小金井が水戸部くんとの会話に私をまぜてくれた。…けど、そのたった一度じゃ流石に覚えてないのだろう。彼は何も言わない。
「あ、えっと、名字名前です。あの…前に小金井と…」
やばい、声をかけない方がよかったかもしれない。まさかこんなところで水戸部くんと会えるなんて思ってもなかったから、驚いてつい勢いで声をかけてしまった。
「ご、ごめん覚えてないよね」
忘れて、と付け加えると、彼はふるふると首を横に振った。これは、覚えててくれたということか。嬉しくなって、おこがましいけど、もっと話をしたい。こんなチャンス二度と無い。閉じかけた口をまた開く。
「覚えててくれてたの?」
こくり。
「よかった、嬉しい。水戸部くんこの路線なんだね」
こくり。
「毎朝こんなに早いの?」
こくり。
「すごいね…バスケ部の朝練?」
こくり。
水戸部くんが無口なことも考えて、全てイエスかノーで答えられる質問をする。私の言葉に水戸部くんが反応してくれるなんて、今までに考えたこともなかった。こんな近くて、しかも壁ドンで。嬉しくって緊張して、顔がまた熱くなる。顔赤いの、ばれないといいな。満員電車のせいだと思ってくれないかな。
「そっか、大変だね」
こんな満員に、こんな朝早く、を毎朝。すごいな、の思いを込めたけど、水戸部くんは黙ったままだ。どうしよう、私変なこと言ったかな。何もわかってないのに大変だ、なんて無神経だったかな。
身長的に自然となる上目遣いで、水戸部くんの顔をのぞきこむ。彼の顔は怒ってなかった。もどかしいような、困ったような顔をしている。これはもしかして。
「大変、だけど…楽しい?」
こくん。
私の言葉が的を得たようで、水戸部くんは嬉しそうに頷いた。その笑顔がすごくキラキラしていて、胸が鳴った。
もっとにこにこ笑う水戸部くんが見たくて、私はまたさらに質問をした。甘いもの好き?じゃあ辛いものは?兄弟いるの?
質問を重ねていくにつれ、段々水戸部くんのことがわかっていって、とても楽しい。
しばらくして、車内アナウンスが流れた。次で降りなければ。そこで気づく。私、かなり長い時間水戸部くんと話していた。迷惑だったかもしれない。
「ごめん、水戸部くん。すごい話しかけちゃって」
ふるふる。
「インタビューみたいに質問ぜめだったよね…でも楽しかった」
なんて、ね。最後に思わずでた本音を笑って誤魔化す。聞かれてないよね。恥ずかしい。
そのくらいの言葉だったのに、水戸部くんはふるふると首を振った。それから、ゆっくり口を開く。声はでてないけど、伝えたいことはわかる。「おれも」「楽しい」
あぁ、もう好きだなあ。視界いっぱいにいる水戸部くんを見ながら、高鳴る胸を抑えた。
いつのまにか車内は空いていて、水戸部くんは壁ドンの体勢を崩していたけど、正直あのままでもよかった。
次の日も私は、同じ時間の同じ車両の電車に乗った。水戸部くんがいなかったらとか、こんなストーカーっぽい行為引かれないかとか悩みに悩んだけど、水戸部くんに会えるなら、話せるなら。その気持ちだけで乗り込んで目に入ったのは、私を見つけ驚いて、でもすぐに嬉しそうに笑った水戸部くんだった。
そして私が狭くないように、ドアと水戸部くんの間に私が入っても少し余裕のあるスペースを作ってくれた。その姿がまるで私を守ってくれる兵隊さんで、私はそのお姫様で…なんて考えて真っ赤になった顔を、水戸部くんが心配そうにしてたけど絶対内緒だ。
その日から、私は出来る限りその電車に乗るようになった。一時間以上早起きしてこの電車に乗るのは大変だけど、水戸部くんに会って話せるならなんてことはない。
最近ではちょっとしたことなら、水戸部くんの表情や態度で言いたいことが伝わってくる。小金井もこんな気持ちなのかな。
「でね、その時小金井が俺は猫じゃないのに!って怒るんだけど…ふふっ、そうだよね。猫っぽいのに」
電車を降りて、学校までの道のりを一緒に歩く。なんて幸せなんだ。緩む頬を見せないようにしなくては。
「小金井って中学はテニス部だったんだよね?なんかそれも似合うなー」
会話の内容は大抵が、二人に共通する小金井関連のものになる。いつかはもっとバスケに詳しくなって、水戸部くんとその話ができたらいいなぁ。あ、それ想像したらまたニヤニヤしちゃう。
「それで…」
「あー!水戸部と名字じゃん!はよー!」
「あ、小金井。おはよう」
声の方を向くと、今日も元気よくこちらに走りよってくる小金井がいた。すぐにこちらに来て、息を切らしながら小金井が口を開く。
「水戸部!早く行かないと朝練始まるよ!」
「え!もうそんな時間!?」
今日はゆっくり歩きすぎたかな、と焦りつつ時計を見る。でも時間はいつも通りだ。
じゃあいつも水戸部くんは朝練の時間ぎりぎりを、私と一緒に歩いてくれてたのか。どうして。私に遠慮してくれてたの。
水戸部くんは、大丈夫だよと首を横に振っているけど、そんなの嘘だって小金井の態度を見ればわかる。
「ほら、早く行かなきゃ…ってあり?なんで二人一緒なの?」
「あ、それは…」
「え、もしかして…ってうわ!痛い水戸部!」
説明するひまも無く、水戸部くんが小金井を引っ張って、というかほとんど引きずって行ってしまった。そんな小金井はうぎゃーとかまたねーと騒がしい。シュールだ。
いや、そんなことより。さっきの会話がまだ頭のなかをぐるぐるしている。水戸部くんは毎朝私が楽しそうにしてたのを見て、これを続けなければ申し訳ない、と気をつかってくれてたのか。
私が楽しかったように、水戸部くんも朝の時間を楽しんでたらな。少なくとも嫌じゃないといいな。そう思ってたけど、迷惑だったなんて。
最近は水戸部くんと二人で歩いていた通学路を、一人進んだ。
△
次の日。もう乗るまい、と決めた電車だったけれど、今日だけだ。今日水戸部くんがいなかったら、私の考えが間違ってたら、明日からはもう乗らない。覚悟を決めて、開くドアから乗り込む。
そこにいたのは私の好きな水戸部くんだった。彼はいつものように優しく微笑んで、おはようと手をあげた。
まず、第一関門突破。落ち着け、頑張れ、私。
「おはよう」
昨日はごめん。水戸部くんは言ってないけど、そう伝えたいってことはわかる。
「ううん、全然。…あの、小金井から聞いたんだけど、もし違ってたら言って」
私の言葉に不思議そうに、でも、いいよ、と首が縦に振られた。
今日も水戸部くんがドアと彼の間に隙間を作ってくれている。そのせいか緊張はしてるけど息苦しくない。すう、と息を吸い込む。
「毎朝、あの時間だと朝練にギリギリなんだよね」
少し躊躇って、こくり。
「でも、小金井が言ってた。それでも水戸部、なんか最近楽しそうだって」
こくり。
「それで、どうしたのって聞いたんだって。そしたら、ちょっとだけ教えてくれたって」
水戸部くんの顔が赤いのは、満員電車の暑さのせいだけじゃないはずだ。
「『なんだか、お姫様を守ってる兵隊みたいだ』って」
水戸部くんは、毎朝優しかった。今だって満員電車が辛くないよう空間を確保してくれてるし、歩くときも車道側、転びそうなときはいつも助けてくれた。私も、兵隊さんみたいだと思ってた。
水戸部くんは恥ずかしそうに、その通りです、頷いた。
「私も、毎朝水戸部くんといられて楽しかった。…お姫様って、期待してもいいですか」
気にならない女子にお姫様なんて使わないっしょ!そもそも、水戸部は朝静かに登校したいから、よほど好きじゃない限り、誰かと一緒に行くなんてあり得ないしさ!
昨日小金井が話してくれた言葉が頭のなかで反芻される。私もそう思うし、できればそうであってほしい。
水戸部くんは何て返すだろうか。私も恥ずかしくて顔が赤いだろうけど、絶対に目を反らしたくない。綺麗な、何かを伝えようとするその瞳を見つめる。
がたん、電車が揺れた。それと共にバランスを崩した水戸部くんが、私の方に倒れてきた。かなりの揺れだったせいで、水戸部くんはドアにぶつかりそうになった。私頭のすぐ近くに、水戸部くんの頭。
危ない、と声に出す前に耳元で声がした。今まで聞いたことない声だけど、誰のものかくらいわかる。その声が伝えた言葉は、私がこうだったらいいな、という願望だったもので。でももうこれは現実だから、つまり。
体勢を直し、私と目をあわせた水戸部くんがまたあの笑顔で優しく微笑んだ。
兵隊さんが、王子様になるまであと少し。