空中に浮かび上がって空を眺めます


蒼穹が広がっている。
高く高く、何よりも高く、どんなに手を伸ばしても、背伸びをしても、羽ばたいてみても、その蒼には届かない。それでも手を伸ばしてしまうのは、あの蒼に焦がれているからだ。
波がモビーの横腹に当たって砕ける音を聴きながら、名前は正面に広がる蒼に手を伸ばす。太陽に焦がされた指先は、虚しく宙を掴んだだけだった。
雲ひとつなく晴れた日には、じんわりと熱を持つ甲板に寝転がって空を見上げる。時間はいつでもいい。ただ、目の前に蒼穹が広がればいいのだ。何者にも邪魔をされずに、ただ、何よりも高く広がるその空を、眺めることが好きだった。
その蒼が、焦がれるあの人と同じ色だから。
「そんなところにいたのかい」
予期せぬ声に心臓がどくりと鼓動を打つ。慌てて起き上がれば、マルコが顔を覗かせていた。
広いモビーの船尾側、一段高くなったその場所はなかなかの穴場で、人が訪れることは稀である。だから名前はよくこの場所に蒼穹を求めに来るのだが、ここへ、焦がれる蒼が自ら訪れるとは。
「隊長」
名前の所属する一番隊。そこの頂点であり、実質、このモビーディック号のナンバーツーを誇る不死鳥は、名前を見下ろして、探したよい、と微笑んだ。
「どうしたんですか」
暴れようとする心の臓を抑え込み、平静を装う。山なりになった眉毛とどこか眠そうな目。ぽてりと厚い唇に無精髭。盛り上がった胸板には、我が海賊団の刺青が施されている。羽織っただけの上着から覗くその体が、堪らなく色っぽい。
「いや、次の上陸、後続組でいいか確認を取りたくてねい」
「そんなの」
いいに決まってる。わざわざ名前の許可などとらなくとも、それはマルコが勝手に決めていいことなのに。
この人は、いつも隊員の意見を尊重する。
「そうかい、良かった。何せ次の島は、女のためにある島っつっても過言じゃねぇらしいからな」
そしてマルコが話してくれたのは、女のための、美容や健康施設が充実して、珍しい宝石が山のように掘れるという島のことだった。
「船の女たちは浮き足立ってるよい」
マルコの苦笑に笑って返しつつ、でも、いいですと首を振る。
「人数的に分けたい方で」
「そうかい」
マルコの大きな手が伸びてくる。それは頭にのりぐしゃぐしゃと名前の髪を掻き乱した。
「毎度のことながら聞き分けがいい」
この手と、そんな一言で、いくらでも舞い上がれる自分は、ひどく単純だ。それでも、嬉しい感情を抑えることなど出来ないのだから、仕方ない。
こうして声を掛けて貰って、話せるだけでこんなにも幸せになれるのは、相手がマルコの時だけだ。その理由にはとっくに気づいていたけど、何も言えないことも充分理解していた。
「じゃあ、俺はちょっくら偵察だ。邪魔したな」
マルコは、名前の目の前で蒼く優美な鳥に姿を変えると、高い空へと昇っていった。その蒼が、何よりも美しくて。姿が見えなくなるまで追い続け、熱い雫が頬を伝う。
どうしようもなく幸せで、どうしようもなく苦しくて。顔を上向ければ、変わらず蒼穹が広がっている。
高く高く、何よりも高く。どんなに手を伸ばしても、背伸びをしても、羽ばたいてみても、その蒼には届かない。それでも手を伸ばしてしまうのは、あの蒼に焦がれているからだ。
晴れた空に雫が落ちる。それを知るのは、名前だけ。
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