夜明け前
※吸血鬼×ダンピール
帝人→ミカエル、正臣→マティアス、杏里→アンヌ
見た目通り教会の中は埃っぽい匂いが充満していた。脆くなっている所があるから気をつけるように、と不親切なアドバイスと共に迎え入れられた二人の少年は、エントランスホールをきょろきょろと見渡す。
玄関先に置かれた蜀台を慣れた仕草で手に取ると、男は短くなった蝋燭の先端にふう、と息を吹きかけた。ぽっと音もなく灯った炎に、男――臨也の顔がぼんやりとオレンジ色に染まる。
「さあ、こっちだ」
目を丸めたままの少年たちの横を通り過ぎ、臨也はさっさと部屋の奥へ進んでいく。
「なぁ、」
ぎしぎしと木の板を踏み鳴らしながら、マティアスがミカエルの耳元に唇を寄せた。
「変じゃないか?」
「変?」
自然と声を潜め問い返すミカエルに、いつになく硬い表情を浮かべた少年は小さく頷いた。
「あいつ……多分、人間じゃない」
「えぇ?」
とっさに声を上げかけたミカエルの口元をてのひらで覆い、彼は更にこう続けた。
「あんなに明るい月が掛かってたのに、あいつ……影が無かった。それに、さっきの蝋燭も。……なあ、もしかしたらマズいんじゃねーの?これ」
逃げるなら今しかない。そう言いたげに臨也の背中と出口の扉との間で視線をさ迷わせる親友の手をやんわりと振りほどき、ミカエルは静かに口を開いた。
「ここまで来たんだ、いまさら手ぶらじゃ帰れないよ」
「けど……」
「アンヌは僕たちで守るんだ。その為にこんなところまで来たんだから。……だろ?」
先ほどまで子ウサギのように震えていた少年とは思えぬ、強い意思の篭った瞳。その奥には未知なるものへの期待と不安がない交ぜになって蠢いているようだった。
「……お前、たまに思い切ったことするよなぁ」
関心したのか呆れたのか、小さな溜息と共にそう言うと、マティアスは親友のわき腹を肘でつついた。


細長い作りの廊下を進んでいくと、入り口のドアとよく似たデザインの扉が姿を現した。玄関口のものよりは手入れがほどこされているのか、臨也が押し開くと軋むこともなく静かに開く。
「さあ、どうぞ?」
うやうやしく頭を垂れた男に促され、まるで貴族が舞踏会に足を踏み入れるような調子で扉をくぐる。
整然と並べられた講壇椅子の真ん中が通路となっており、その先には大きな教壇と、正面には大人の身の丈ほどある十字架が掲げられている。村にある教会とさして代わり映えのしない、一般的な教会の作りだった。
教壇の背後の壁は大きな窓が据えられ、色とりどりのステンドグラスが夜空を埋め尽くしていた。
「シズちゃーん、お客さんだよー」
のんびりした口調が、がらんとしたホールの中にこだまする。臨也が呼びかけた先へと視線をやると、教壇の前に膝を着く男の姿があった。
どうしたものかと入り口で佇む少年二人をその場に残し、臨也は足早に男の元へ歩み寄っていく。
「聞いてる?お客人はきちんともてなせっていつも言ってるだろ」
「…………うるせえ、ちょっと黙ってろ」
うつむいた男は胸元に聖書を携えたまま深くうな垂れ、ぴくりとも動こうとはしない。ぼそぼそと紡がれる低い声は、どうやら聖書の一節のようだ。
幼い頃は両親に連れられて礼拝に足を運びもしたが、ミカエルもマティアスも敬虔な信者とは程遠い。教義などすっかりご無沙汰ではあったが、男が聖書を詠むその声はひどく心地よく感じられた。
全てを許されるような、救われるような。そんな慈悲にも似た音色が、鼓膜を通じて体の奥底へと染み込んでいく。心身ともに疲弊しきっていたミカエルは、自身の両目に熱いものが込み上げるのを感じていた。傍らに立つ少年へと視線を向けると、マティアスは静かに瞼を下ろし、神父の詠唱に聞き入っている。
「仕事だよ、お・し・ご・と!」
神父の声を掻き消すように言うと、臨也はあろうことかその背中を足蹴にした。教会関係者を名乗る男のものとは思えぬ暴挙に、二人の少年はぎょっと目を見張る。
静寂の中で清められた空気がゆらりと揺れ――神父はゆっくりとその場に立ちあがった。すらりと背の高い細身の男は、想像よりもずっと若いように見えた。臨也が夜の闇ならば、こちらは月だ。淡く優しく夜を照らす月光のような、金色の髪。
遠目なのと、彼が未だこちらに背を向けているために顔は分からないが、なんとなく臨也と同じぐらいの年頃なのではないか、と想像する。
「……礼拝の最中は声かけんなって言ったよなぁ?あぁ?」
地を這うような声でそれだけ呟くと、彼はひょいと教壇へ飛び乗った。あっけに取られる少年と、至極楽しげな笑みを浮かべた臨也の眼前で、壁に掲げられた十字架に手をかける。そして、壁から引っこ抜いたそれを何の躊躇もなくそれを頭上高く振りかぶった。
足元の教壇を力強く蹴りつけると、高く跳躍した男は一息に十字架を振り下ろした。丁度、剣士が正面から敵を切りつけるようなかたちで縦に振りぬかれた金属の先が、派手な音を立てて地面へとめり込む。
「あーあ。修理は自分でやってよね」
「うるせぇ黙れ、死ね。いや、殺す」
あれは片手で易々と持ち上がるようなものなのだろうか?そもそも、神父様が十字架を振り回すなんてことがあって良いのだろうか?様々な疑問符と共に、二人の少年の背筋に冷たい汗がにじむ。
いつどこで吸血鬼に襲われるか知れないと覚悟しながら歩んできた夜の森よりも、臨也に出会った瞬間に感じた言い知れぬ恐怖よりも、もっと直感的な危機感が身体全体を飲み込んでいく。
ヤバい――本能的にそう悟った瞬間、ミカエルは幼馴染に手を引かれ講堂を飛び出していた。
とっさに閉じた扉の向こう側からは、この世のものとは思えぬ怒号と共に破壊音がこだましている。顔中にびっしりと汗を浮かべたミカエルは、思わず扉を背にその場にへたり込んだ。ふと傍らを見やると、マティアスも同じような状態でぶるぶると身体を震わせている。
「何だあれ!何なんだあいつ!!じゅ、十字架振り回してたぞ!」
「ししし知らないよ!」
「あれが“噂の吸血鬼殺し”かよ?!冗談じゃねーぞ、俺らが殺されるっつーの!」
街のマフィアも真っ青の殺気を思い起こし、ミカエルは改めてぶるりと身震いした。
「で、でも……あれだけ力がある人なら――」
もしかしたら、本当に助けてもらえるかもしれない。
尋常ではない力と――なにより、彼をひと目見た瞬間にミカエルは確信していた。端的に言えば、直感というやつに過ぎないのだけれど。
村の人間が手も足も出ない怪物に、たった一人で立ち向かう“吸血鬼殺し”
先ほど目の前で十字を振るったその姿は、噂通り条理を覆すような男だった。興奮から自然と震える手をぎゅ、と握り、ミカエルは幼馴染へと向き直った。
「ねえ、マティアス。もう一度ちゃんとお願いしに行こう」
力強くそう言ったミカエルが勢いよく立ち上がるのと、背後の扉が開くのはほ同時だった。
つい先ほどまで悪鬼羅刹のごとく臨也を追い回していたはずの男が、しれっとした顔でドアの隙間から顔をのぞかせている。あまりの変貌ぶりに、二人の少年は先ほどの男と同一人物だと理解するの少しだけ時間がかかった。
唖然とした表情で立ち尽くすミカエルと、その隣で身体を丸めてうずくまるマティアスを交互に眺め、男は癖毛がちなブロンドをがしがしと掻きながら、ぽつりと呟いた。
「……何だ、まだガキじゃねーか」


* * *


「……どうぞ。あぁ、別に毒とか入ってないし。普通の紅茶だから安心してよ」
「はあ、どうも」
目の前に出された紅茶を見つめる少年二人の視線に気づいて、臨也はカラカラと笑った。自分たちのおかれた状況をいまいち飲み込むことが出来ず、ミカエルは曖昧な返事を返しながら、目の前に腰を下ろした金髪の男の姿を見やる。
タイトなキャソックを身に着けていることから、彼がこの教会の神父であるということはまず間違いなさそうだ。臨也は紅茶と茶菓子を準備するだけして、自分は派手に倒れた教壇の上に腰を下ろした。
「……で?こんなとこに何の用だ」
慣れた手つきで紅茶に口をつけた男に倣い、ミカエルもカップを口元に運ぶ。
「ここには入るなって、親に言われてるだろ」
「あ、あの……」
特に咎めるような口調ではなかったが、どことなくぎくしゃくした手つきでカップをソーサーに戻すと、ミカエルはおずおずと口を開いた。
「貴方は、ヴァンパイアを殺すことができるって、聞きました」
村の神父では太刀打ちすらできない吸血鬼を、唯一“狩る”ことができる神父がいる。そんな噂が、まことしやかに流れるようになったのは、吸血鬼による人災が頻発しはじめたころだろうか。
「昔から、この辺り一帯には一定周期で吸血鬼が溢れ返ります。そして、甚大な被害をもたらす。抗うすべのない人々がどうやってそれを退けてきたのか、ずっと不思議でした」
「……もうそんな時期になるのか」
面倒くさそうに呟くと、男は深々とため息をつく。
「俺は静雄。平和島静雄だ。お前ら、名前は?」
「僕はミカエルと言います。こっちは……」
「マティアスです」
簡単に名乗ると、二人はそれぞれぺこりと頭を下げた。ミカエルは男の名を口の中で繰り返す。「ヘイワジマシズオ」ずいぶんと風変わりな名前だ。
静雄と名乗った神父は胸元のポケットから煙草の箱を取り出すと、中身を抜き出して慣れた仕草で口元に運んだ。その様子に、少年二人のは再び目を丸める。先ほどの破壊行動に加え、今度は煙草とは。
「何でこんな辺鄙なとこに来たのかは知らねぇが、森の入り口まで送ってやるから、さっさと帰れ」
深く煙を体内に取り込んだ静雄は、煙を吐き出すと共にぴしゃりと言いのけた。話は終わったとばかりに立ち上がる男の背後で、臨也はにたにたと意味深な笑みを浮かべている。
「興味本位で探られんのは好きじゃねぇ。時期がくれば、村の代表がじきじきに依頼にくるだろうよ」
「でも……、」
「ここは不可侵領域だ。今日のことは目ぇ瞑っておいてやるから、お前らも忘れろ」
さっさと帰れと言わんばかりにてのひらで追い払われるが、少年たちは腰を上げなかった。俯いたミカエルは深々と頭を下げ、「お願いします」と語彙を強める。
「興味本位なんかじゃありません!あなたたちの生活を脅かすつもりもありません…!!ただ、助けて欲しいんです……!」
「俺からも、お願いします……!」
ミカエルに続き、マティアスもテーブルに額を押し付けるようにして頭を下げた。
「村の役人が動き出してからじゃ遅いんです……早く、早くしないと。アンヌが、今度は僕たちの友達が襲われるんです」
「被害が酷いようなら、夜歩きしなきゃ問題ねえよ」
人の血肉をむさぼる怪物たちは、どういったわけかみな一様に日光に弱い。特に吸血鬼にとって日の出直後の朝日は致命傷にもなりかねない厄介なものだ。
彼らの活動が活発になる時間は家の鍵をしっかりと閉め、外出は控える。そんなことは村に住む人間であれば子供でも知っていることだ。しかし、少年は静雄の言葉に首を振り、唇を噛んだ。
「……だめなんです」
短くなった煙草の先端からこぼれ落ちた灰が、講堂の絨毯に小さなこげめを残す。くすくすと小さく掠れた笑い声と共に、臨也が焼けた絨毯を靴底で踏みにじった。
静雄の手から残った燃えカスを奪い取った臨也は、白い手の平で火種を握り潰した。
「招いちゃったんだね」
「……はい」
小さな背中を丸めてうな垂れる少年を見下ろして、静雄は小さな舌打ちを漏らした。
吸血鬼といえど、傍若無人に人畜を襲えるわけではない。戸外に獲物がうろついていれば恰好の餌食ではあるが、家の中に潜む人間に好き勝手に手をつけることはできないのだ。
家主に招かれる、あるいは、家主が許可をおろさなければ、吸血鬼は家の中に侵入することはできない。そういった意味では、ある種野生の動物に近い存在ともいえる。しかし、狼や野犬とは違い、彼らは糧を得るために人を騙すだけの知能を持ち合わせている。
ひとたび門戸を開いてしまえば、彼らを拒むことは容易なことではない。今こうしている間にも、アンヌの身には危険が差し迫っている。そう思うだけで、ミカエルの身体の奥底はざわりと震えた。
小さく身体を丸めた少年をつと眺め、臨也は演技がかった仕草で肩をすくめてみせた。
「わざわざこんな深い森の奥にまで来てくれたんだ。可愛い後輩たちのために一肌脱いであげても、罰は当たらないんじゃないかなぁ?」
「…………?」
“後輩”
身に覚えの無い単語に、ミカエルとマティアスは黙って顔を見合わせた。顔の広い幼馴染ならあるいは、と思ったが、彼は大きな目を更に丸くして首を振った。
小首をかしげながら臨也へ視線を向けると、彼はシルバーリングのはめこまれた細い指を口元に当て、にっこりと微笑んだ。
「さぁ、シズちゃん。どうする?」
だんまりを決め込む男に向かって、ミカエルはもう一度「お願いします」と深々頭を下げた。







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