朧月夜-玖-
※軍人臨也×男娼静雄

酷く重たく感じられる瞼を持ち上げ、臨也はふわふわとした倦怠感に包まれながらぼんやりと天井を眺めた。自室の寝室のようなタイルではなく、板張りのそれを呆けた頭で見つめているうちに、霞がかっていた意識は徐々に覚醒へと向かっていく。
「……シズちゃん?」
半ば無意識に、眠りにつくまでは確かに自分の腕の中に納まっていた男の名を呼ぶ。ふと首をひねると、布団には自分一人が横たわっている状態だった。そのままぐるり首を回して部屋を見渡せば、ふいに嗅ぎ慣れた煙草の匂いが鼻腔を擽った。


「起きたのか」
臨也の問いかけに、静雄は肺の奥まで吸い込んだ煙を吐き出すと共に小さく声を掛けた。ゆっくりと身体を起こし声のした方へと視線を向ければ、静雄は初めて座敷で対面した夜のように気だるげに窓辺に腰を下ろし、夜風を浴びながら煙管をくゆらせていた。
(ああ、やっぱり綺麗だ)
鼻筋の通った精悍な横顔を眺め、臨也は声には出さずに胸の内で小さく呟く。
出会ってから半年近くを共に過ごし、静雄は自分に様々な顔を見せてくれた。怒った顔、困った顔、笑った顔、快楽に蕩けた淫靡な表情すらも。それでも、その凛とした美しさは初めて出会ったあの夜と何一つ変わらない。
曇りのない空に浮かぶ、あの月のように。
ただ一つ、決定的に違う点を挙げるならば、その肌の至る箇所に残された情事の痕跡だろう。首筋や胸元に残る鬱血の跡は、確かに臨也自身が刻み付けたそれだ。頑ななまでに真っ直ぐに自分を曲げようとしない――正確には曲げる事ができない、不器用な性分の静雄が確かに自分を受け入れた証でもある。
臨也は嬉しいような恥ずかしいような、何だか妙にむず痒い感覚に襲われる。
「煙草、身体によくないよ」
シャツとスラックスだけを簡単に身にまとい、静雄の横に腰を下ろした。臨也と同じく気恥ずかしいのか、静雄は窓の外に顔を向けたまま気を紛らわすかのように忙しなく煙草の煙を吐き出し、もごもごと口篭る。
「……やめらんねぇんだよ。無いと口寂しいっつーか」
「その程度なら少し減らしなよ」
静雄の手の中でゆらゆらと煙を立ち上らせている煙管をひょいと掴み上げ、今しがたまで彼が銜えていた吸い口を自分の口元に運ぶ。熱を帯びた煙を浅く吸い込むと苦味を帯びた独特の風味が口いっぱいに広がった。顔をしかめた臨也は、「まずい」と正直な感想をに口にする。
「うるせぇな」
返せ、と自分に掴みかかる細い手首を引き、薄く開かれていた唇に己のそれを重ねる。突然のことに目を白黒させている静雄に、優しく触れるだけの口付けを残し、しっとりと濡れた互いの唇が軽く音を立てて離れると共に、臨也は悪戯っぽく微笑んでみせた。
「口寂しいなら俺がいつでも慰めてあげるのに」
「ばっ……おまっ、何……」
「あはは。真っ赤だ」
怒りか、はたまた羞恥からか顔を目一杯朱に染めた静雄は肩をわななかせたが、臨也の握った手が振り解かれることはなかった。指先から流れ込む熱に臨也はほのかに表情を緩め、ゆったりと流れる時間を堪能するように静かに瞳を閉じる。空高く上った満月が二人の姿を淡い黄金色に染め上げていた。
しばしの沈黙を置いて、静雄は消え入りそうな声でぽつりと呟きを漏らす。
「……お前、が」
「うん?」
それは夜闇に消え入りそうなあまりにも小さな声だった。
臨也は反射的に静雄の顔に耳を近づける。更にいくばくかの沈黙を要し、静雄はやっとの思いで言葉を続けた。
「早く帰ってこねぇと、お前が居ないうちに……吸いまくるからな」
臨也が間近で耳を欹ててなお、しんと静まり返った部屋で何とか聞き取れる程度の声。それは素直ではない静雄が、今口にする事のできる精一杯の言葉だった。
(今にも泣き出しそうな顔しているくせに)
素直に縋り付いて行かないでくれ、とは言えないのだろう。臨也は胸の内に湧き上がる愛しさに突き動かされるようにうつむきがちな静雄の頭を引き寄せ、包み込むようにそっと抱きしめてやる。
「それは困るな。シズちゃんの肺が真っ黒になる前に帰らなきゃ」
「……おう」
静雄がくぐもった声で短く返事を返すと、座敷は再び静寂に包まれる。臨也の胸元に埋めた額をぐりと押し付けてから、静雄はおずおずと顔を上げた。透き通るような碧眼は、臨也を静かに見つめている。
「絶対、帰ってこいよ。……俺を――」
俺を独りにするなよ、と続けようとして、静雄は慌てて口を噤む。
自分がそれを口にするのはあまりにもおこがましい気がしたのだ。静雄のそんな心情を悟ってか、臨也は穏やかな声で「うん」とだけ答えた。
「……必ず、君の元に帰ってくるよ」


聡明な彼は理屈っぽい頭の片隅で思う。きっとこの約束は果たすことができないのだろうと。
けれど、そんな確信にも似た想いとは裏腹に静雄に告げた言葉にもまた、偽りはなかった。

理屈ではない。
何としてでも、例えどんな事をしてでも、もう一度彼をこの腕に抱くのだと固く心に誓った。





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