朧月夜-睦-
※軍人臨也×男娼静雄

襖を開くと、いつもは「よう」と実に素っ気無い挨拶をしてくれるはずの静雄が、しばし無言のまま入り口に立ち尽くす臨也の姿を眺めていた。座敷に胡坐をかいたまま、お気に入りの煙管をぷかぷかとふかしている静雄に首を傾げつつ、被っていた軍帽を取りへたった髪の毛をくしゃくしゃと指先で掻き乱すと、静雄はようやく銜えていた煙管から唇を離して言葉を発した。
「お、おお…悪ぃ。……珍しい格好してっから、一瞬誰かと思ってよ」
手にしていた煙管を煙草盆に置いて慌てて立ち上がり、臨也が手にしている軍帽を受け取る。窮屈な襟元を緩めながら、臨也そういえば、と呟いた。
「礼服でここに来るのは初めてだっけ」
普段身に纏っている軍支給の制服は茶褐布だが、臨也がかっちりと着込んだ礼服は濃紺で染め上げられている。常時身に着けているそれと、形こそ似ているが、装飾品が多く、臨也自身身ですら纏うのが億劫な代物であった。
「普段のと、どう違うんだ?」
「これは正式な場でしか着ないからね。今日は本部に立ち寄る必要があったんだ」
「ふーん……」
どんな作りしてんだこれ、とぶつくさ言いながら慣れない手つきで何とか上着を脱がせきると、丁寧に皺を伸ばしたそれを衣桁にかける。
「あぁ、そうだ」
「ん?」
「はい、これお土産」
思い出したように足元に置いていた紙袋を手渡すと静雄は中を覗いて首をかしげた。
「何だこれ」
「風鈴、というらしいよ」
「ぷりん?」
「西洋の菓子なんだって。今、銀座で流行ってるみたい」
菓子という単語に静雄の瞳がぱっと輝くのを臨也は見逃さなかった。以前、がりがりと金平糖を齧っていた静雄に「甘い物が好きなのかい?」と尋ねたところ、「嫌いじゃない」という答えが返ってきたのを思い出し、朧亭への道すがら買っていってみることにしたのだ。
店は流行っているということもあり女性客が列を成しており、結果臨也は場にそぐわない出で立ちに大変気まずい思いをさせられる羽目となったが、静雄のこの表情を見た瞬間に、それらの苦い思いはいっぺんに消し飛んだ。我ながら単純なものだな、と臨也は思わず苦笑する。
「く、食っていいか?」
「どうぞ」
「茶入れるな」
いそいそと茶の支度をし始めた静雄の横に腰を下ろし、臨也は畳の上にごろりと仰向けに寝転がった。


* * *


「出征・・・自分が、ですか」
指定された軍法会議室の扉を叩くと、中には揃いも揃って臨也に馴染みのない顔が揃っていた。
普段自分を可愛がってくれている九十九屋中将の姿も見当たらない。先刻、廊下ですれ違った四木との会話から感じとった"嫌な予感"
それが見事的中したな、と臨也は内心舌打ちをした。
会議用の長卓に左右三人ずつに分かれて腰を据えている男達の内の一人。臨也から見て左手前に座している初老とも見て取れる男は、椅子の背凭れにふんぞり返ったまま書簡とおぼしき書類を朗々と読み上げていく。
「――それ故、折原中佐は、来月より二個部隊の連隊長へ昇任となる」
「……お待ちください」
伝令事項を耳にした青二才が萎縮するものとばかり考えていた老翁は、すかさず言葉を挟んだ臨也にいささか不機嫌そうな表情をしてみせた。ぴりりと張り詰めた空気に臆する事無く、臨也はなおも言葉を続ける。
「僭越ながら、今回の人事は一体どのようなお考えの元でのことでしょうか?」
「それを君が知る必要はない」
ぴしゃりと跳ね除けられ、臨也は二の句を継ぐことができなくなる。失礼致しました、と深々頭を下げ、気取られぬように唇をかみ締めた。


昇級させる代わりに戦地へ赴け。それがこの度の徴収の意図というわけだ。
臨也が与えられた出征地は激戦区としても有名な地域であった。まともに戦ったところで勝ち目はない、あそこに行くのは死ににいくのと同義だと、内情を知る者であれば誰しもが口を揃えて囁いた。既に何隊もの部隊が壊滅させられているというのに、日本政府は同盟国へ自国の軍事力を示すべくこれまで以上に躍起になって人員を送り込み続けていると聞く。
よもや、自分がそんなところへ出征を命ぜられることになるとは―臨也は冷たい汗が背中を流れるのを確かに感じていた。
さあ、どうする。この事態を切り抜けるには、どう返答するのが最良であろうか。臨也とて無駄死にをしに戦地に赴く気はさらさらない。何とかして、この窮地を抜け出さなくては。
ふと、臨也の脳裏に静雄の顔が浮かんだ。彼を一人にするわけにはいかない。理屈や理論ではないそんな想いばかりが胸のうちをグルグルと渦き、思考力が鈍る。


「折原君であれば、必ず部隊を勝利へと導いてくれるであろうよ」
「おお、そういえば奈倉中将のたっての推薦でしたなぁ」
懸命に思案を巡らす臨也の耳に、ふいにそんな会話が届いた。奈倉と呼ばれた男はニヤニヤと厭らしい笑みを口元に浮かべ、臨也を一瞥する。
「ここの所、折原中佐は芸者遊びに傾倒していると聞くが……。なに、床の中での働きを戦地で行ってくれれば良いだけのこと」
酷く下世話な言葉に、思わず下げていた頭を持ち上げて、一番奥まった席に座る奈倉の顔を見やる。
「よもや、この話断りはすまいな」
依然笑みを浮かべたまま、しかしその目に確かにギラついた光を宿した男は、威圧的に言葉を継いだ。
「その気になれば廓の一つ二つ、いや芸者の一人二人何とでもなるのだよ?」
臨也は思わず口元に浮かびかけた笑みを噛み締めて中将の顔を睨み据えた。
(成る程、そういうことか)
「さあ、返答を聞かせてもらおうじゃないか」






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