幻夜
※今さらな七夕話
※妊娠・出産を伺わせる表現がありますので苦手な方はご注意ください


「『プリンをたくさんたべたいです』」
「あいつ、七夕とクリスマスの区別ついてないんじゃねーのか」
「子供にとっては似たようなものかもね。そっちは?」
「んーと、『デュラレンジャーのへんしんベルト』……おい、完璧にクリスマスのリクエストだろこれ」
「あっははは」
短冊を一枚ずつめくり、サイケが覚えたてのひらがなを駆使して書いた『願い事』を二人で覗き込んでいく。『背がのびますように』などという、スタンダードかつ子供らしい願い事の中に、たまにとんでもなく現実的な願い事が混じっているのが可笑しい。
サイケの短冊に混じってひとつ、裏も表もまっさらなものを見つけ、臨也が小首を傾げた。
「あれ、これ……」
「ああ、そりゃ俺のだ」
「白紙じゃない」
臨也が指先で弄ぶ黄色の短冊の結び目を解き、テーブルの上へ置く。面倒なやつに、面倒なものを見つかってしまった。
空になったマグカップを片手に逃げるようにキッチンへと退避した静雄の後を、にたにたと笑みを浮かべた臨也が追う。白紙で結び付けた短冊の理由も、静雄がばつの悪そうな顔をしている理由も、たぶん臨也には筒抜けなのだ。だが、彼はそれを静雄の口から言わせたいのだろう。相手の糸を正しく把握しているという点では、静雄も同じだ。
対になっているマグカップをシンクに並べ、早々に白旗を上げた静雄がため息混じりに呟く。
「良いんだよ、俺は」
人間、欲望なんて尽きないものだと思っていた。何かが手に入れば、別の何かが欲しくなる。そうして、いつまでも“何か”を追い求める。だから、その気になれば願い事のひとつやふたつ、見つけられたのだとは思う。
それをあえて白紙にしたのは、今この現状に満足している証拠なのだろう。
静雄が何よりも願って止まなかったものは、平穏で平凡な幸せ。ただ、それだけだった。世の人間達が当たり前のように享受する凡下的なそれは、しかし静雄には分不相応なものに感じられた。自分には一生縁のないものだと諦めて、神頼みしたこともない。――喉から手が出るほどに欲しかった「それ」の先に何を欲するのかと言われても、とっさに答えは出てこなかった。
「欲しいもんは、もうもらった」
相変わらず怒りの沸点を制御しきれずに力を奮ってしまうことも多いが、昔ほど悲観的になることも少なくなった。家族がいて、自分を愛してくれる人間がいて、騒々しいながら穏やかな毎日を過ごして――これ以上なにかを願ったら、罰当たりな気さえする。
「シズちゃんは無欲だねぇ。人間の原動力は欲求だよ?『人間は自己実現に向かって絶えず成長する生きものである』ってね。そうやって、俺たち人類はここまで進化できたんだから」
ごくごく自然に腰に回された臨也の腕が、背骨を伝って臀部に滑り落ちていく。
「手前はもう少し欲望を抑えた方が良いんじゃねぇのか」
「おや、心外だな。これでもサイケが生まれてからは、かなり自制しているつもりだけど」
どちらともなく鼻先を寄せ合い、吐息を交えるように唇を重ねた。「なんだ、結局ノリ気なんじゃない」なんて嫌味交じりの指摘には耳を貸さず、憎まれ口をたたく唇に食らいついた。もつれるようにリビングへと移動し、静雄の身体は背中からソファに沈み込む。
寝室への移動を提案する前に、半開きの唇は臨也のそれでぴたりと塞がれてしまった。殴り飛ばして「おあずけ」を言い渡すことは簡単だったが、黙って臨也の背中へと腕を回すに留める。普段は涼しい顔をしているこの男が、欲情を顕わにする様は正直悪い気がしなかったし、角度を変えて与えられる口づけはぞっとするほど甘く、静雄自身のの理性をもあっさりと溶かしてしまっていた。
どこでことに及ぼうが、リスクは変わらないだろうという諦めもある。新生児の頃は夜泣きの激しかった息子のために、サイケのベッドルームはどの部屋からもすぐに駆けつけられる位置で間取りが組まれているのだ。リビングもその例外ではなく、壁一枚を隔てた向こう側で眠る息子は、きっと今頃は彦星と織姫の夢を見ているに違いない。
「集中、してよ」
「……ンっ、」
肌の表面に走った細かな電流に、静雄の意識は再び目の前の男へと向かった。どうやら胸の突起に歯を立てられたらしい。浅く歯型の残った底を指先で弄び、ついで舌先で嬲られれば、意図せずとも腰の奥に疼きが芽生える。
互いに仕事があり、その上子供がいるとなると、二人きりの時間というものはなかなかどうして手に入りにくい。実際、こうして肌を重ねるのも、実に数週間ぶりなのだ。自分も臨也もまだ若い身空なのだから、どうしたってそういう欲は捨てきれない。期待に昂ぶる身体を悟られまいと、静雄は深く息を吸い込んだ。
「あん、ま……時間っ、かけんなよ」
存外にムードとやらを重んじるらしい臨也は、静雄との行為ですら丁寧に行うふしがある。指や舌、目線や声。それら全てを愛撫の道具として、彼は真綿でくるむように優しく静雄を抱いた。言葉よりもよほど真摯に愛を紡ぐそれらの行為が、静雄はたまらなく好きだった。
だが、今はそんな感傷に浸ってばかりもいられない。誰かに見られながらなんて趣味は静雄にはないし、相手が幼子で、もっと言うなら自分たちの子供だなんて笑い話にもならないではないか。
「大丈夫だって。あの子、君と同じで一度眠ったらなかなか起きないよ」
静雄の胸の内を見透かすように言うと、臨也は切れ長の目を細めて笑った。
「それに、サイケの希望を叶えるには、一回や二回じゃ足りないだろうしねぇ」
「あ……?」
ベルトを外しにかかっていた手を止め、臨也はスラックスのポケットから何かを取り出してみせた。静雄の目と鼻の先につきつけられた、見覚えのある蛍光ピンクの短冊。黒のマジックで力強く、はみ出さんばかりにデカデカと書かれた“願い事”に、静雄はがくりとうな垂れた。
「……あの馬鹿」
「保育園の短冊飾りにぶら下げられなかっただけマシだろ」
臨也の言葉に同意を示すように、ソファのスプリングが小さく軋む。その音を合図にして、再び唇を重ね合った。
――おとうとがほしいです。いざやくんとしずおがなかよくなりますように。
年端もいかない息子が、赤ん坊の出来る過程を正しく理解しているとは考えづらい。ともすれば、サイケの言う“仲良く”とは、大人が苦し紛れに言い換えたディクションだろう。あながち間違いではないが、濁されると余計にこそばゆい気持ちになるのは何故だろう。
サイケに妙なことを吹き込んだ相手は、保育園の先生だろうか。静雄は何度か顔を合わせたことのある、サイケのクラスを受け持つ保育士の顔をぼんやりと思い起こした。自分や臨也よりもいくらか年若い女性だが、子供たちに好かれる柔らかな雰囲気は母親のそれにも似ていた。
優しく、暖かく、柔らかい。女性的なそれらを、静雄は持ち合わせていない。けれど、サイケは自分のことを母親として認識している。初めこそ戸惑った己の立ち位置にも、もう違和感を感じなくなりつつある。そのことに不安や危機感を感じることも、すっかりなくなってしまった。
「セックスの最中に考え事なんて、シズちゃんもずいぶん馴れたよね」
しっとりと絡みつく唇をつと離し、臨也はすねたような、呆れたような口調で囁く。その表情をぼんやりと仰ぎ見ながら、静雄はサイケに入れ知恵を施した犯人はこいつか、とため息を吐いた。
息子すらセックスの前戯に使うつもりかと呆れるでもなく、指通りの良い髪を撫でてやる。
「そりゃあそうだろ。もう何年、手前と寝てると思ってんだ」
「初めて君を犯したのが……高校二年の夏だったっけ」
指折り数えてみれば、臨也と静雄の付き合いはもうかれこれ十年以上にものぼる。犬猿の仲から宿敵へ、そこからダラダラと続いた身体だけの関係を含めて、だけれど。
「けど、正直あれは初体験にカウントしてほしくないかな」
「何でだよ」
「だって、シズちゃん痛がってたでしょ」
痛がるも何も、あれはただの暴力だった。今でこそこうして互いに快楽を引き出すことができるようにもなったが、当時のそれは強姦と呼ぶにふさわしい行為であったし、静雄も臨也も互いに色恋などという単語を思い浮かべすらしなかった。
身体をバラバラに引き裂かれるような酷い痛みと、腹の底でとぐろを巻く怒りと嫌悪。鮮烈に焼きついたそれらの感情には『最低』の二文字がぴったりだった。
それでも、静雄は今も時々思い起こすことがある。初めて触れた臨也の肌の感触や、荒い息遣いを。その瞳に宿る、隠し切れない劣情の色を。
「もっと早く素直になってたら、お互いにあんな想いはしなかったのにね」
冷たい指先が、静雄の頬をそろりと撫でた。その指先に唇を押し付け、まっすぐに臨也の顔を睨み上げる。
「……くだらねぇこと言ってんじゃねぇよ」
あの頃の自分たちがあったからこそ、今の二人が居て、サイケがいる。過去も未来も、何一つとして無駄なことなどない。
そう言葉にするよりも先に、臨也は「うん、分かってる」と呟いた。そして、「ありがとう」とも。
――いつか、伝えられたらいいのに。
身体を包み込むぬくもりの中で、静雄は己の胸中を言葉にする日を思う。一年後か、十年後か。もしかしたら、どちらかが死ぬ間際のことなのかもしれない。
その日まで、自らの中に降り積もる感情は一つも逃がさずに溜め込んでいく。骨ばった背中を掻き抱くように、静雄は自らの両腕に力を込めた。





「シズちゃん」
薄闇の中で、耳慣れた声に名前を呼ばれる。なんだよ、と掠れきった声で応じつつ、静雄はそっと瞼を持ち上げた。
無機質な天井の模様に、細く紫煙が舞う。ゆらりと広がって徐々に形を崩す煙を目の端に捕らえつつ、静雄はゆっくりと周囲を見渡した。
あれから何時間が経った?自分はいつの間に気を失ってしまったのだろうか。いや、そもそも。意識を飛ばすほどセックスに没頭するなど、久方ぶりのことだ。サイケが生まれてからというもの、幼子の目を盗んで行為に励む癖のようなものが染み付いてしまった。臨也もそれは理解していて、いつもならここまで無体を強いたりはしない。
断片的な記憶を遡るが、頭の片隅にもやがかかったようで、思うように思考がまとまらなかった。
「……大丈夫?」
口はしに煙草をくわえたまま、臨也が小さく首を捻った。ゆっくりと瞬きを繰り返す静雄の目の前でひらひらと手を振り、眉をひそめる。
「臨也…それ、煙草……」
「ああ、一本もらったよ」
「そうじゃ、なくて……サイケがいるから、やめろって言ったの…手前だろうが」
フィルターを銜える口元をぼんやりと見つめながら、静雄は小さく首を傾げた。
独身時代、臨也はたびたび煙草を口にした。それは決まって行為の後で、静雄のタバコケースから拝借した数本のみのことだったけれど。サイケを身ごもってからというもの、静雄自身も煙草を吸わなくなった。仕事帰りに煙草とプリンを調達する癖もすっかり抜け気ってしまったというのに、この男はどこからそんなものを持ち出してきたのだろうか。
「サイケ……?何の話?」
半分ほど長さを残したそれを灰皿に押し付け、臨也は静雄の横に寄り添うように寝転がった。汗にぬれた前髪をかき上げ、奇妙なものでも見るような目つきで静雄の顔を覗き込む。
「何って…手前、自分の息子の名前だろうが」
「息子って、誰の」
「俺と、お前……の…」
そこまで口にして、静雄ははたと我に返った。ベッドシーツに染み付いた煙草の匂いと身体中を包み込む倦怠感が、ピントの外れていた視界を急激に冴え渡らせていく。
言葉尻を塞ぐように右手で口元を覆うが、どうやら一足遅かったらしい。その証拠に、横目に盗み見た臨也の唇はいやらしく弧を描いている。その表情は、無駄に頭の回転の速いこの男が、現状を正しく把握しているということを物語っていた。
赤くなった顔を枕に埋めて身悶える静雄の背中に、ずしりとした圧がかる。恐る恐ると振り返ると、満面の笑みを浮かべた臨也の顔が静雄を見下ろしていた。
「お望みなら、今晩は君が孕むまで付き合ってあげるけど?」
「……は?!…おいっ、やめろ馬鹿っ…!!」
あれよあれよという間に身体を包み込んでいた薄手のブランケットを剥ぎ取られ、むき出しの肌を撫でられる。既に一度暴かれた身体は、臨也のに手のひらにあっさりと馴染んでしまった。

「もしかしたら叶うかもしれないよ?今夜は七夕だしね」
いたずらを思いついた子供のように、臨也は静雄の耳元に甘い声を注ぎ込む。その顔は、夢に見た息子に憎らしいくらいにそっくりだった。







一ヶ月以上遅刻でしたが、三年サイト続けて初めての七夕話。
毎年書きたいなぁと思いつつ形にできなかったので
やっと念願がかなって嬉しい限りです(^^)

(2014.8.26)




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