アナザーデスパレード
※臨也バースデー2013
オフ本『俺とお前の365日戦争』シリーズ設定
お付き合いほやほや、同棲中のふたり
生クリームがたっぷりと塗りたくられたホールのケーキ。ぐるりと円を描くように並べられた苺は色も形も完璧で、顔を近づけるとほのかに甘酸っぱい匂いがした。
ぼそぼそと歌う父親の調子っぱずれなバースデーソングは、今もはっきりと耳に残っている。
暗闇の中でキラキラゆらゆら光るろうそくの火に、俺と幽は揃って目を輝かせた。歌に合わせて浮かれた父親が安物のクラッカーを打ち上げると、狭いリビングには独特の火薬の匂いが立ちこめた。
一刻も早くケーキにありつきたい俺は、にこにこ笑っている母親に「早く切って」と急かす。だが、いざぴかぴかのケーキに包丁が差し入れられると、勿体無いような残念なような、なんとも不思議な気持になるのだった。
あのわくわくも高揚も、今となっては古ぼけて懐かしいだけの思い出だ。だが、大人になった今も漠然と“誕生日”とは特別なものだという想いが強いのは、あの頃の体験が原因なのだと思う。
化け物染みた力に押しつぶされそうになっても、自分の存在を憎まずに今日までやってこられたのは、家族や数少ない友人が惜しみない祝福を注いでくれたからこそだ。
二十歳を超えた今でも、誕生日当日にはあの日の胸の高鳴りがほんのりと蘇る。
だから臨也の奴が、当日になるまで自分の誕生日を忘れていたということが、俺には半ば信じられなかった。 
こいつは今までどんな人生を歩んできたんだろうか。家族に祝われたり、家族を祝ったり、そういうことをしてこなかったのだろうか。
俺と臨也は何もかもが違う。やることなすこと、言葉の一つから、味の好みまで、まるで違う。
そんなことは分かりきっていたつもりだが、俺は違うことに腹を立てるばかりで、こいつの事を何一つ知らない。いや、知ろうとしてこなかったのだ、と痛感した。





ぐらぐらと煮え立つ鍋は、油断すると今にも吹きこぼれてしまいそうだ。二人で食うにはどう考えても多いが、余った分は冷凍庫にでもぶち込んでおけば良いだろう。カレーは寝かせれば寝かせるほどうまい。
コンロを覗き込み火加減を一番弱く設定して、鍋に蓋をする。妙な達成感と共に息をついた俺は、残り少ない煙草に火を灯し、リビングへと視線をやった。時計の針は午後の三時過ぎを指している。
薄手のレースカーテンをゆらす春の穏やかな風が、妙に心地良い。俺とあいつがこんな狭い空間で、のんびりとした空気を共有しているなんて、なんだか冗談みたいだと思った。
「おい、臨也」
しんと静まり返ったリビングに呼びかけるも、応答はない。先ほどまで一定のスピードでパソコンのキーを叩く音が漏れ聞こえていたが、部屋にでも引っ込んだのだろうか。
半分ほど吸った煙草を、シンクの隅に置いた灰皿に突っ込んで、リビングへと向かう。と、目的の人物は先ほどと変わらずダイニングテーブルに腰を落ち着けていた。
ただし、仕事道具でもあるパソコンは、今は奴の枕代わりになっている様子だった。クロスした両腕に頭を預けるようにして、器用に眠る男の顔を覗き込む。目元にかかる前髪が、窓から吹き込む風にふわりと揺れた。
「おい」
ごく自然に手を伸ばして、滑らかな黒髪に触れる。指の間をさらりとすり抜ける感触と、白い肌に映える長い睫、静かな呼吸の音。
「は、……まぬけヅラ」
こいつがこんな無防備な状態を晒していることに、この期に及んで動揺している自分に気づく。いたたまれない気持ちになった俺は、安らかな寝顔に毒づいた。

いがみ合って、憎み合って、殺し合いだなんだと繰り広げた泥臭い日々は、まだ記憶に新しい。今でも、これは夢なんじゃないか、と思うことがある。が、不思議と「騙されているんじゃないか」と疑うことはしなかった。
自慢じゃないが、俺にはこいつの嘘が手に取るように分かるのだ。出会ったころから十年近く、折原臨也が俺にとって「気に食わない」存在であり続けたのは、こいつが嘘と偽りに塗れていたせいなのだと思う。
嫌い
死んで
殺す
化け物
なにも、そんなガキみたいな言葉に十年間も馬鹿みたいに腹を立ててたわけじゃない。何より俺をイラつかせたのは、その言葉が嘘っぱちだからだ。
臨也が俺に向ける言葉には、何一つ真実がなかった。少なくとも、俺の直感はそう感じていた。
嘘、嘘。嘘ばかり。つまりは、この男は俺と真っ向から会話する気もねえんだと、そう思っていた。
自分を欺こうとするこいつを反射的に嫌悪して、拳をふるい続けた。棘で武装された言葉の裏に何が隠されているのか、そんなことは考えもせず。臨也の気持ちにも、自分自身の押し殺した感情にも気づかないまま。
だから、こいつがその鎧を全部取っ払って、嘘の中に必死に隠してきた感情をこちらに差し出してきたとき。俺はそれを、不快だとは感じなかった。
ただ純粋に、唐突に、全てを理解した。

「……ん」
 臨也の奴ががもぞりと身じろぎをしたので、俺はとっさに手を離す。今さらながら、自分のしでかした行為の恥ずかしさに、頬が熱くなった。
熱を帯びた顔を隠すように、ごしごしと掌で擦る。
「何、やってんだ……、俺」
 恋人なんて言ったところで、俺と臨也の何が変わるわけでも無いと思っていた。
漠然と、一緒に居たいと思ったことは認める。今まで本心を見せなかったこいつが、内面を晒していくことを嬉しく感じていたのも事実だ。
けれど、それ以上に何を求めているのかと聞かれると――正直、俺にはまだよく分からない。
臨也は、やたらめった「恋人同士なんだから」と、ベタベタ引っ付いてくる。手が空いてりゃ指を絡めてくるし、なんだかよく分かんねえタイミングでふいにキスをしかけてきたりもする。何がスイッチになってるのかさっぱりだ。
それが世にいう「恋人」の礼儀作法なのだろうか?と首をかしげつつも、別段拒んでこなかったのは、やはり俺もこいつのことが好きだからなのだろう。
「……チッ」
認めたくはねえが、認めざるをえない。
そろそろ、俺も潮時なのかもしんねえな、と溜息を吐いた。


誕生日の夕食は、ご馳走とケーキと相場が決まっている。豪華ディナーには程遠いが、とりあえず臨也リクエストのカレーはでっち上げた。あとは最後の仕上げ。ケーキの調達へと向かう。
 よほど疲れていたのか、臨也の野郎は叩いても揺すっても一向に起きなかった。もう一〜ニ時間はあのまま放置しておいても問題ないだろう。
 鍋の火を止め、携帯と財布だけをポケットに突っ込んで家を出た。街路樹で覆われた緑の参道は、木漏れ日がキラキラと地面を照らしていて綺麗だった。
 連休を満喫しているらしい近所のガキ共が、俺の横を走り抜けていく。あー、いいな。こういうの。
 
 ぶらぶらとあてどなく足を動かし続けた俺は、とりあえず近くの商店街へと向かった。いつも仕事帰りに通りかかってはいるが、ちゃんと買い物に来たのは初めてのことかもしない。煙草やプリンの調達は家からほど近いコンビニでこと足りるし、日常における食材の買い出しは、食事を担当する臨也の役割だった。
家族連れで賑わう狭いアーケードを、きょろきょろと物珍しげに眺めながら、ゆっくりと進んでいく。途中にあった酒屋で、適当に酒も買い込んだ。
商店街の中ほどにある目当てのケーキ屋は、こじんまりとした店構えゆえか、いつも客でごったがえしている。
ショーウィンドウに並ぶ小ぶりのケーキたちは、クリームやフルーツで綺麗にデコレーションされていて、どれもこれも旨そうだった。仕事帰りに何度か立ち寄ろうとしたものの、結局その機会を逃し続けて今日にいたる。
「いらっしゃいませー」
 ドアベルがリンと鳴るのと同時に、カウンター越しの店員が愛想の良い声を上げた。若い女ばかりの店内に少し気後れしつつ、砂糖とクリームの匂いの充満した空間へと一歩足を踏み入れる。
「ホールケーキが欲しいんすけど」
 ガラスケースのケーキに群がる子供を踏み潰さないように細心の注意を払いながら、店員へと声を掛けた。
厚い人垣に埋もれてケーキの種類までは確認できないが、大抵の店には生クリームのホールケーキが置いてあるはずだ。下手に「お誕生日おめでとう」なんてプレートが乗っかってないやつがいい。照れくさいから。
「申し訳ございません、ホールのケーキは今ちょうど品切れでして……」
「品切れ?」
 眉をハの字に下げた店員は「なにぶん小さな店ですので、ゴールデンウィークは予約分だけで手一杯なんですよ」と説明した。
五月が生まれの奴は、そんなに大勢いるもんなのか。
くそ、あの野郎めんどくせえ時期に生まれやがって。
無意識に舌打ちを鳴らしていたらしく、目の前の店員の顔が凍りついた。理不尽な怒りを迸らせる俺の背中越しに、「あら」という声がする。
肩越しに振り返ると、どことなく見覚えのある初老の女性が、目を丸くして立っていた。
「あらあら、やっぱり。平和島さんよね?」
「……あ、えっと…?」
 やべえ、誰だっけ。
 これまた自慢にもなりゃしねえが、俺は人の名前と顔を覚えるのが得意じゃない。
臨也の奴はあの持ち前の上っ面のよさで、面白半分に近所付き合いめいたものを繰り広げているらしいが、俺には分譲の隣に誰が越してきたのかすらあやふやだ(辛うじて、三軒先の家が犬を飼ってるという、どうでもいい情報だけ頭にインプットされている)
「ちゃんとご挨拶するのは初めてね。向かいに住んでる、水野と申します」
 俺の困惑を悟ったか、柔らかく微笑んだ女性は、気を悪くするでもなく静々と頭を下げた。つられるように頭を下げた拍子に、そういえば家の前で何度か挨拶を交わしていたな、とぼんやり思い出した。
「お買い物?」
「ああ、はい。臨也の――俺と一緒に住んでる奴が、誕生日だって言うんで」
「まあ、お誕生日。それはおめでたいわね」
 にこにこと笑うと、水野さんは小首をかしげた。
「それで、ケーキを?」
「っつっても、品切れらしくて」
 なんだか妙に照れくさくて、俺はがしがしと髪を掻きながらぶっきらぼうに言った。
「この時期はお孫さんが遊びに来たりするから、普段より売れるのね、きっと」
「あー……、なるほど」
 どうやら、全部が全部、誕生日が原因ってわけでもないらしい。再び込み合ってきた店内から押し出されるように外に出て、水野さんと肩を並べて来た道を戻ることにした。
「俺この辺りまだ全然知らないんすけど、ここ以外にケーキ屋ってありますか?」
「そうねぇ……。バスで少し離れたところにはあるけれど、そこも小さなお店だから、似たようなものじゃないかしら」
「……っすか」
 いざとなったら、適当にカットケーキを買っていくしかない。誕生日といえば、ホールケーキにろうそくと意気込んでいた俺は、がくりと肩を落とした。
 臨也の誕生日に、何で俺がこんな必死こいてんだ。意味わかんねえ。
けど、気まぐれに飯作ってやるって言ったときの、あいつの顔。ガキみてえに目キラキラさせて、ちょっと可愛いと思った。出来れば、喜ばしてやりてえな、って思っちまったんだから仕方ない。やるからには、できる限りのことをしたい。
誰かに祝われる嬉しさも、ムズ痒いような幸せな気持も、俺はよく知ってる。
「ねえ、平和島さん」
はあ、と溜息をついた俺に、水野さんが困ったように笑う。
「もしお時間があるなら、うちにいらっしゃらない?」
 


「そう、折原さんとは同級生なの」
銀色のボウルの中身を泡だて器で器用に泡立てながら、彼女は嬉しそうに言った。生クリームって元はあんなサラサラした牛乳みたいな状態なんだな。すげえ。 
俺はというと、焼きあがったスポンジにシロップを塗っているところだ。こうすると生地がしっとりして、生クリームとなじみやすい……らしい。
料理なんて大雑把に感覚でしかやってこなかった俺が、菓子作り。水野さんに言われた通り分量を量って、材料を混ぜるのも手順通りにこなした。何の意味があるのか分かんねえが、砂糖はいっぺんに入れてはいけないだとか、ヘラは縦に使うだとか、色々と面倒だったがそれなりに楽しくやれた。
彼女の教え方が優しくて穏やかだからか、はたまた焼く前から良い匂いを放つスポンジのたねのせいか。無駄に苛立つこともなく、ほどなくして綺麗なきつね色をしたスポンジが完成した。
もともと甘いもんは好きだが、まさか自分で作る日がやってくるとは思わなかった。それも、臨也のためにケーキを作っているだなんて。人生、何がどう転ぶ分からないもんだ。
「じゃあ、もう長いお付き合いになるのね」
もくもくと刷毛を動かしながら、たわいもない話は続く。
「腐れ縁っすけどね」
「まあ。一緒に暮らしているぐらいなんだから、仲がよろしいじゃないの?」
「仲……は、」
よろしくねえ。
いや、最近は「仲が良い」と言われてもおかしくないのかもしれないが、いまだにあいつにムカつくことなんか山のようにある。
たとえ恋人同士になろうと、俺もあいつも自分を曲げられない頑固な部分があるから、簡単に衝突する。 
俺が暴れて、あいつが呆れて――そんなことばかり繰り返している気がする。
「どうっすかね。……ムカつくことばっかですよ」
俺がもたもたと作業をしているうちに、水野さんの手元のボウルは真っ白でふわふわなクリームが完成しようとしていた。泡だて器を持ち上げると、程よくホイップされたクリームは、ソフトクリームのてっぺんみてえにつんと立ち上がる。
あらかじめ半分に切ってあったスポンジの間に、たっぷりとクリームを敷き詰め、その上にスライスした苺を並べた。途中で我慢できずに苺をつまんだ俺を咎めるでもなく、水野さんも楽しそうに作業に加わる。
苺と生クリームを挟み込むようにスポンジでふたをして、最後に余ったクリームでコーティングしていく。
店に並んでるケーキみたいに綺麗に均等に塗るのは、想像以上に骨の折れる作業だった。どんなに神経を尖らせても、ところどころ継ぎ目のような段が残ってしまう。
イライラしはじめた俺の横で、水野さんは余ったクリームをなにやらビニールのみたいな袋に詰め込みはじめた。
「人間ですもの。腹が立つことなんか、誰との間にだってあるわ。けど、それでも平和島さんは、折原さんと一緒に暮らすことをやめようとは思わないんでしょう?」
「……やめる?」
不器用にクリームまみれになった俺の指先を眺め、彼女は目を細めた。
表面の凹凸をカバーするように、袋の先っぽから絞りだした生クリームで飾りをつけていく。残った苺を上に飾るのは、俺にもできそうだ。小さめの皿に盛られた苺を、俺は一つずつ慎重に並べていった。
「私だったら、主人がそうかしら。お互い好きあって結婚したけれど、すれ違うことも分かり合えないことも、もちろんあるわ。けど、私はあの人の傍にいたいの」
俺と臨也の関係を、この人はどう見ているのだろうか。
照れくさくて相槌すらままならない俺に反して、水野さんは訥々と喋りながらも、クリームを絞る手は休めない。
「だめなところも、腹が立つことも含めて、きっと好きなんでしょうね」
「好き……」
あの日。臨也に「好きだ」と告げられた日。
あいつは、俺を受け入れる覚悟を決めたんだろうか。
男で、馬鹿みたいな怪力を持っていて、短気で、融通の利かないこんな俺を。あいつはまっすぐに見つめて、確かに「好きだ」と言った。
考えていたら、胸の内側がじわりと熱を持って。最後に置いた苺は、勢いあまってスポンジに深くめり込んでしまった。






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