Honey trap3
※女装アイドル臨也(甘楽)×静雄
休日のカフェは人も多いが、テラス席はほとんど二人だけの貸切状態だった。人目を忍ぶ必要が無くなったことを入念に確認してから、ストールとマスクを外す。
首筋をなでる冷えた空気に、無意識に身震いをする。と、目の前に座る静雄はそれを目ざとく見つけ、眉間に小さな皺を寄せた。「風邪を引くといけないから」と気遣う男を押し切り、こうして日当たりの良い席を確保したというのに、店内に連れ戻されてはたまらない。臨也は動く気はないのだと主張するように、トレイの上のカップに手を添えた。ホットのカフェラテは、少しだけぬるくなっていたが、静雄はそれ以上何も言わなかった。
「何だよ、あの記事」
「記事?」
珍しく自ら会話の口火を切った静雄が、ぼそりと呟いた。怒るというよりは、ふて腐れた子供のような口調に、臨也はかわいらしく小首をひねるポーズをとってみせた。「何のことかわからない」といった風にしばらく考え込む素振りをしながら、膨れ面の静雄の顔をまじまじと観察する。
「あー……あれだ、あの、先週の火曜に出たやつ」
アイスティーのグラスに刺さったストローの先端をぐじぐじと押しつぶしながら、静雄は有名な女性向けのファッション誌の名前を挙げた。恥ずかしそうに肩をすぼめる様を満足げに眺め、臨也はわざとらしく胸の前で掌を合わせる。
「ああ、もしかして、先週発売されたファッション誌の?見てくれたんだ」
今売れに売れている“甘楽”には、音楽系からサブカル誌に至るまで、毎月数え切れないほどの雑誌からインタビューの依頼が舞い込む。甘楽のファンを自称する彼は、その一つ一つのチェックを決して怠らない。たとえそれが若い女性向けのファッション誌であろうと、必ず目を通す。こうして二人きりで会うことが叶うようになった今でさえ、彼はアイドルとしての甘楽を敬愛し、追いかけ続けているのだ。
だから、あのインタビューが静雄の目に触れるであろうことは分かっていた。分かっていて――あえて、彼に向けた発言をした。臨也の思惑通り、彼はきちんとあのインタビューを読み。そして、自分が「犬」として扱われたことに対して腹を立てているようだった。
「よりにもよって犬扱いって……酷くねーか」
「自覚ないの?可愛いワンワン」
ほんのりと赤くなった鼻っ柱をちょん、とつついてやると、静雄の顔は見る間に赤く色づいた。


甘楽――いや、臨也が静雄と気まぐれな逢瀬を楽しむようになったのは、ほんのふた月ほど前からだった。
池袋の町での偶然の出会い。それを偶然で終わらせることもできたが、臨也はそうしなかった。生まれて初めてみる未知の生物に純粋に興味が沸いた、というのが本音。彼のその途方もない力が、今の自分を変えてくれるのではと淡い期待を抱いていたのも、偽りようの無い事実だ。そのために静雄を利用してやろうとすら思っていた。
芸能界での生活が目新しかったのも、今ではずいぶんと昔のことのように思える。人の欲望と金で成り立つ世界は、複雑そうに見えてその実、非常に分かりやすい。だからこそ、臨也は早々に飽きてしまったし、退屈を覚えていた。そこに現れた、正体不明の男。
純粋な知識的欲求。臨也は己の中でそうした感覚が死にかけていたことに、その時ようやく気づいた。自分はもうずいぶんと長いこと、刺激に飢えていたのだと。
だからこそ、平和島静雄という人間は臨也にとって格好の玩具になった。
「だって、私はアイドルだし。まさか特定の男性と頻繁にデートしてます、なんて書けないじゃない」
「デー……ト、なんすか、これ……」
「シズちゃん、敬語敬語。戻ってる」
「あ、あぁ。悪ぃ」
臨也に指摘されると、静雄は居心地悪そうに咳払いをし、サングラスを押し上げた。
平和島静雄。通称シズちゃん。これは再会を果たしたのち臨也が命名したが、本人は「男にちゃん付けかよ」といたくお気に召さない様子であった。
年齢は臨也と同じく、今年25になったばかり。好きな食べ物は甘いものと乳製品全般。嫌いなものは本人いわく、暴力。臨也はジョークか何かかと思ったが、普段の彼を見ていると、それもあながち冗談ではないように思える。
かたくなに敬語を貫こうとする彼に「同い年なんだから変だよ」と言い含め、ようやく普通に会話することが出来るようになったのだが。気を抜くとこうして敬語に戻ってしまう。
「デート、してるつもりなかった?」
もじもじとストローを捻じ曲げている静雄の手を取って、わかり易く硬直した指先をそっと握り込む。うつむいた静雄の表情は、前髪とサングラスに阻まれて伺うことができなかった。が、隙間から見える耳はほんのりと赤いままだ。
「俺なんかじゃ、……迷惑だろ」
「どうして?」
「……だって、こんな。化け物みてえな力。普通じゃねえ」
自らを「化け物」と称すその声は、酷く冷め切っているように思えた。
どうして彼を知りたいと感じたのか、どうして数少ないオフを削って彼に会いたいと思ったのか。臨也は、なんとなく分かったような気がした。
自分と静雄は、どこか似通っている。本当の自分を誰にも理解してもらえない。その孤独を、自分自身でも触れることができないような胸の奥底にしまい込んで、忘れることで、脆い己を守ろうとしている。
知りたくない自分の胸のうちを晒されたような気がして、酷く――不快だと思った。


カフェを出て、桜が芽吹き始めたばかりの並木道を二人で歩く。有名な桜の名所もほど近いので、このままぶらりと足を伸ばすのも悪くない。もっとも、今行ったところで見ごろには程遠いだろうが。
静雄の左手にがっちりと右手を絡め、彼の戸惑いなどお構いなしとばかりに力強く握った。振りほどこうとしているのか、弱々しく振るわれる手には、ほとんど力が込められていない。
「お、おい……甘楽。離せって」
下手に扱って傷つけてしまわないか不安なのだろうが、今の臨也にとってはむしろ好都合だ。しどろもどろと嗜める静雄の腕に頬を寄せ、ぴったりと身体ごと密着させる。
「やーだよ。私、今日はシズちゃんと一日手繋ぐって決めたんだから」
「んな勝手に……」
「別に変じゃないでしょ。きっとお似合いのカップルに見えるわ。だめ?」
「そ、ういう……っ」
期待持たせるようなこと、言うな。と、もごもご口ごもる静雄が可愛くて、臨也はにんまりと笑った。
不機嫌そうに取り繕われた横顔の下で、見えない尾っぽがこれでもかと左右に揺れているのが分かる。直情型で、素直で、嘘がない。図体ばかりが大きくなった子供のようだ。
(……馬鹿なやつ。俺の腹の底の薄汚さも知らずに)
静雄の純粋さが妬ましいのか、眩しいだけなのか。臨也は自分の胸のうちをはかりきれずにいた。


「それより!」
「あ?」
「甘楽って呼ぶの、二人の時はやめて。周りにバレたら困るでしょ」
わざとらしく声をひそめてみせると、静雄はぱちくりと目を瞬かせた。
スキャンダルなど恐くはないが、それによって門田や那須島の監視が強くなるのはごめんだ。こうして静雄と会う時間を捻出することも難しくなってしまうかもしれない。せっかく見つけた可愛い可愛い愛玩犬。長く遊べなくてはつまらない。
静雄はぴたりと足を止め、続けて臨也の顔をじっと眺めた。
サングラスの奥には、隠してしまうのが勿体無いほど澄んだ瞳がある。一点の曇りもない、愚直で嘘のない視線。まるで自分の中のドス黒い感情を見透かすようで、臨也は思わず目を逸らした。
「何て呼べば良い」
「え?」
「名前。お前の本当の名前。聞いても良いなら、教えろよ」
当然ながら“甘楽”は芸能界での芸名だ。一般名は公開していない――いや、そもそも性別自体を女性と偽って売り出しているのだから、男としての本名が嗅ぎ当てられればことなのだが。幸いにも、今までそういった類のスキャンダルに見舞われたことはない。
偽名をあげつらうことも簡単だ。馬鹿で単純な彼はきっと、それが偽の名前だと見破ることはできない。けれど。
「臨也」
「イザヤ?」
「そう、変な名前でしょう?」
臨也は自分でも驚くほどすんなりと、自らの本名を口にしていた。
静雄のその低い声で名を呼ばれてみたい、と思った。それと同時に、彼と対等であるためには、名前を偽ってはいけないような気がしたのだ。
ぶつぶつと口の中で名前を反芻した静雄は、再び視線を上げた。
「じゃあ、これからはそう呼ぶわ」
「うん、お願いね」
「じゃあ、俺からもひとつ良いか?」
握り取った手に、申し訳程度の力が込められる。本気で握り込まれれば、自分の右手は無事では済まないだろう。彼にはそれだけの力があるし、直接その脅威を目にしてもいる。だが、僅かに汗ばんだ掌は、臨也を酷く安堵させた。
静雄の言葉を促すように、その顔を見上げる。まじまじと見れば、彼の顔はそこそこ整っているように思えた。名前は思い出せないが、最近デビューしたばかりの若手俳優に似ているような気もする。一度バラエティー番組で共演したが、彼は静雄と違ってろくに笑いも照れもしなかったので、臨也はあっさりと興味を失ってしまったのだけれど。
「そのわざとらしい口ぶり、やめてくれ」
言葉を選らぶようにたどたどしく、しかしきっぱり言うと、静雄は付け加えるように「ごめん」と謝罪を口にした。
「どういうこと?」
「あー……うまく言えねえんだけど、お前のそれ、素じゃねえだろ」
痛んだ金髪をがしがしと掻き毟りながら、ばつが悪そうな口調で言う。
「……無理してるっつーか。何か……変な感じすんだよ。テレビとかねーんだし、普通にしてくれた方が落ち着く」
画面越しに見ていた偶像が、そっくりそのまま自分の前に現れる。それは、普通のアイドルファンならば涙を流して喜ぶべきことではないのだろうか。
アイドルとは、良くも悪くもイメージ商法だ。実際の彼ら、彼女達がどんな人間だろうとお構いなしに、ファンは自らの理想を投影し、崇拝する。だから、臨也はもうずっと“甘楽”としての自分を演じ続けてきた。それを苦だとも思わなくなるほどに、長い時間をかけて、自分を押し殺して。なのに、この男はそれをやめろと言う。


(鼻の効かない犬っころかと思ったなのに)
これは、いよいよもって面白いことになるかもしれない。
臨也は一人つぶやくと、大きくて暖かな手を力強く握り返した。


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