我輩は臨也である
※臨猫シリーズ
少し状況を整理しようか。
池袋の町は今日も今日とて平和だった。いつも通り、メインストリートには俺のこよなく愛する人間が溢れ、喫煙所にはところ狭しと喫煙者が群れをなし、ディスカウントストアの前では汗水を垂らした店員が大声で客引きをしている。ちょうど下校の時間と重なったのか、来良の生徒の姿もチラホラと見かけた。
サイモンは相変わらず怪しげな片言でチラシ片手にニコニコと営業活動に勤しみ、池袋最強と恐れられる男は俺の顔を見るなり眉間に深く皺を刻み込んだ。
そう、いつもと何ら変わりのない光景。


シズちゃんは傍らにあった自動販売機を軽々と担ぎ上げ、勢いをつけて俺に投げつける。それを慣れた足取りでヒラリと交わした―――はずだった。
地面に叩きつけられた事でべっこりと角のへこんだ自販機の周りには、たくさんのペットボトルや缶が転がり出し、ちょっとした惨状が出来上がった。自販機の陰に隠れるようにして地面に伏している俺に、シズちゃんはゆっくりとした足取りで近づいていき
「オラ、死んだフリ決め込んでんじゃねぇよ!」
ピクリとも動かない体を乱暴に蹴り転がすと、強引に胸倉を掴み上げ
ぐったりと力の抜け切った体を無遠慮にガクガクと揺さぶった。
「……おい、臨也?」
何も変わらない、いつもの殺し合いの延長の光景。
ただ、いつもと違う点が一つだけ存在している。当事者であるはずの俺が、何故かその様を傍らで傍観している事だ。
(ちょ、やめてやめて!首もげる!!シズちゃんの馬鹿力で振り回されたら俺の細い首はムチウチじゃ済まないから!)
この不自然な状況に驚くよりも、まず自分の身が危ないと悟った俺は、たまらずに抗議の声を上げて、横から彼の手を掴もうとした。
「みぎゃー!!!」


……ん?
口を開いて罵声を浴びせた……筈なのに。それは俺が考えていた通りの言葉として発する事は適わなかった。
シズちゃんに向けて伸ばした腕は、ふかふかとした真っ黒な毛に覆われており、俺の身体に無体を強いる凶暴な手を掴もうとした筈が、何故だか彼の靴のつま先を小さく引っかく事しかできない。……そういえば、視界もいつもより随分と低い気がする。もともと身長の高いシズちゃんが、まるで童話か神話に登場する巨人のように見えた。
(何だ、……これ)
混乱したままの頭で呆然とシズちゃんを見上げていると、ようやく俺の存在に気がついたらしい彼は俺の顔に真っ直ぐに目を向けた。鋭い視線に見下ろされて、無意識に身体が萎縮する。
「……んだよ、やめろってのか?」
俺の顔を見ればいつだって不機嫌そうに眉を寄せ、低くドスの利いた声で威嚇してくる癖に、今の彼は、まるで子供にでも話しかけるかのように優しげな声でそう呟いた。ひょい、としゃがみ込んだシズちゃんは掴んでいた瀕死状態の俺を地面に下ろし、空いた手でそっと俺の頭を撫でてきた。
「怪我してねぇか?……巻き込まれなくて良かったな」
指の先で頭のてっぺんを掻き回し、次いで顎の下の辺りをコショコショと擦られて、暖かい体温と思いのほか優しい手付きにうっとりと目を閉じる。俺の意思とは関係なく喉の奥の方からはゴロゴロという音が鳴り出して、はたと我に返った。
(これってやっぱり……)
猫、だよねぇ。





どんなに考えてみても、現状への理由付けなど到底不可能だが。とにもかくにも、今の俺は猫の姿になってしまっているらしい。その証拠に、シズちゃんは今の俺に対しては特に敵意も殺意も抱かないようだ。こんな風に穏やかに彼の横を歩く日がやって来るとは……と僅かに感動すら覚えた。
生憎と姿を確認する術を持ち合わせてないので、自分の全身像は想像に任せるしか無いのだけれど、恐らく人間の姿をしていた時と同じく、漆黒の毛に包まれた猫なのだろう。辛うじて自身の視界に捕らえることのできる手足を包み込む体毛は艶やかな黒だった。
「にゃー」
普通の歩幅で歩く人間を追いかける事が動物にとってこんなにも重労働だとは知らなかった。スタスタと歩くシズちゃんの横に並ぶためには彼の3〜4倍は足を動かさなければならない。不思議と息は上がらないものの、ちょっとした小走りだ。
「もう少しゆっくり歩いてよ」と小さく鳴き声を上げると、シズちゃんはチラリと俺に視線を寄越した。
「お前……何でついてくんだよ」
猫と会話する成人男性とかちょっとした電波だよね。
けれど、それがシズちゃんだとさして違和感を感じないから不思議だ。まあ彼は人間の範疇よりも獣に近いからなのかもしれないけど。
「エサなんかやんねーぞ」
検討違いな言葉を吐き捨てるシズちゃんを鼻で笑ってやりたいが、生憎と猫には表情なんてものはない。仕方なく、信号待ちで足を止めたシズちゃんの革靴に頬を擦り付けた。
池袋のど真ん中にある大きな交差点。当然、周囲には俺が愛して止まない人が溢れている。しかし、幸いにも俺は扱い慣れていない尻尾を踏まれる心配をせずに済んだ。一人と一匹の周りを避けるように、人垣が不自然にスペースを作っているからだ。
当然といえば当然だろう。片手をポケットに突っ込んだままのシズちゃんはただでさえこの街では要注意人物として有名だし、その彼の片手にはまるで生気を失った人間の俺(ややこしいからこう呼ぶ事にする)がぶら下げられているのだから。
とうとう平和島静雄が人を殺した。ひそひそと耳打ちをしあう周囲の人間の声が聞こえるようだよ。
というか、もう少し丁重に扱ってほしいんだけど。首根っこの後ろを摘みあげて、まるで犬猫でも扱うみたいな手付きで人間の俺の身体を運ぶシズちゃん。目的地はなんとなく想像がつく。恐らく新羅の所に連れて行こうというのだ。


(まったく……、お人よしというか律儀というか)
俺だったら殺したい程に憎い相手を律儀に介抱してやろうなどという発想には至らない。たとえシズちゃんが俺のナイフで負傷して意識を失ったとしても、きっとその場に放置して終わりだ。まあ、そんな事態が訪れる可能性は極めて低いのだからこれは想像の域を超えないけれど。
シズちゃんの意図はさておき、俺としては有難い。
幸いにも、俺の身体は死んではいないようだし、新羅の所にいれば少なくとも身の安全は確保されるのだから。
何がどうなって、折原臨也の意識が猫に宿っているのか。それは、今は考えないでおこう。ゆっくりと動き出した人の波にのまれないように、俺は短い手足を懸命に動かすのだった。




 



臨也猫シリーズ。
猫と静雄とか誰得というか私得。


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