無価値な幸福の行方は
「ねえ、臨也。君はこの世界全ての人間を愛しているだなんて博愛を気取っているけれど、それはすなわち、誰も愛していないという事と同義なんじゃないのかな」
いつだったか、古くからの友人に向けられた言葉が頭の中にこだまする。
あの時、自分は何と返したのだろうか。今となってはそんな事はどうでも良いのだが、長年の腐れ縁というものは中々侮れないものだ。
「この世の人間全てを愛している」
その事実に偽りはない。俺が勝手に一方的な愛を注いでいるだけで、愛された人類の大半は俺の愛に気付きすらしないだろうし、それで構わないというのが俺なりの人間愛だった。
「見返りなど必要ないし、求めてもいない」
そうだ。確かあの時の俺は、新羅にそう返答したのだ。
彼は「寂しい奴だ」と言って苦々しい笑みを浮かべた。俺には新羅の発した言葉の意味すら理解できなかったので、曖昧に受け流してその話はそこで終わった。


孤独である事に恐怖を感じはしない。
それよりも何よりも俺が恐れて病まないのは、この異常な偏愛が特定の「誰か」へ傾いてしまう事だった。
もしも唯一の人間に愛を向けてしまったら。きっと俺は、その相手からの愛を求めてしまう。そして、一度手に入れた愛を失う恐怖に苛まれ続ける事となるのだ。
永遠に続く物など、ありはしない。人の心ほど移ろい易いものはないだろう。
だからこそ、俺は彼に向けるべき愛を人類に置き換える事で己を満足させてきた。その時点で答えなど出ているくせに、目の前に剥き出しになっている感情には気付かないふりをして。彼を、周囲を、自分すらをも偽り続けてきた。
臆病者だと謗れても構わない。ただ、俺は彼の「永遠」を手にしたかったんだ。


* * *


「……う、」
ジャラ、という耳障りな金属音に微かに紛れてシズちゃんが小さく呻いた。焦点の定まっていない目を覗き込んでにっこりと微笑む。
「て、めぇ……!」
吐息が掛かりそうな程に間近にある顔が、自らの宿敵である「折原臨也」のものだと理解したのだろう。わずかな間を置いて、シズちゃんは不自由な体を捻り低く唸り声を上げた。とっさに起こしかけた彼の身体は、金属が擦れる音と共に無情にもベッドへと引き戻される。
「無駄だよ」
細い両腕は頭上のベッドパイプに手錠で繋ぎ留めてある。特殊な金属で作られたそれは、ある程度の強度は持つものの、彼が持つ怪力をもってすれば難なく引きちぎる事ができるでろうチープな代物だった。
ガシャガシャと派手な音を立てて手錠相手に奮闘しているシズちゃんの腹の上に馬乗りにまたがると、彼はようやく自身の体の違和感に気がついたらしく、苦々しく俺を睨み上げた。
「……、何しやがった」
怒気を孕んだ瞳にひとつ笑みを返して、透明な液体の入ったアンプルを彼の鼻先にぶら下げてみせた。ガラス製の容器の中でゆらゆらと揺れる液体を前に、眉間に寄せられた皺が一層深くなる。
「多めに用意しておいて良かったよ。ほんと、シズちゃんて規格外なんだから」
彼の体の自由を奪う元凶は、決してこの安っぽい手錠などではない。両腕の拘束は、より彼が屈辱を感じるような状況を作るためのお飾りでしかないが――。首尾は上々、といったところだろうか。殺してやる、と言わんばかりの怒気を放つシズちゃんに、俺は笑いが止まらなかった。
「良い格好だね。こんな風に君を見下ろせる日が来るとは思わなかったよ。どう?今どんな気分なのかな。大嫌いな折原臨也に見下される気分は?」
眠っている間も何度かに分けて投与し続けた、非合法の部類に入る薬品。それがシズちゃんの驚異的な力を押さえつけて、ようやくこの特殊な状況は成立している。標識を振り回す相手の懐に飛び込んで、これを注射するのにどれだけの時間と労力を費やした事か。うかつに近づけば全身複雑骨折なんて事にもなりかねない訳だから、俺としても命懸けだった。
「……ベラベラうるせえな。三秒でノミ蟲サイズに圧死させてやるからよぉ、さっさとそこから降りやがれ」
口調は変わらずだが、その言葉を実行しうるだけの力は振るえないのだろう。彼はそう吐き捨てると、もどかしげに身体を揺すった。


それもそのはずだ。
シズちゃんがいくら人間離れした肉体を持ち合わせようとも俺が服用させた薬はそもそも人間に打つような代物ではないのだから。例えるならば、動物園の檻からうっかり逃げ出した猛獣の意識をあっという間に昏倒させてしまうような薬品で、普通の人間に打てばどうなるか知れたものではない。
そんな強い薬を以てしても、常識外れな彼の身体に効果が表れるまでには少々時間がかかったのだから全く恐れ入る。
力任せに手錠を破壊することも、自分にのし掛かる男を振り落とす事もできないシズちゃんは、悔しそうに唇を噛みしめた。
「身体、うまく動かせないでしょ」
強い嫌悪を浮かべた眼差しを覗き込むようにしながら、愛用のナイフの刃を起こして白い首筋に沿わせてやる。磨き上げられた白刃ですらりと首筋の表面を撫で上げてみたが、やはり血が滲むどころか薄皮の一枚も傷つける事はできなかった。
「んなモンで俺が殺せるかよ」
シズちゃんは自嘲めいた口調で呟き、乾いた笑みを浮かべた。今まで幾度となくコイツで斬りつけ、あるいは突き刺してきたものの、日々強靱に進化を続ける彼の肉体を傷つける事は今やほとんど不可能に近い。その自覚があるからこその余裕なのだろうが、彼はそもそも根本的な部分を勘違いしているようだ。
「もちろん、こんな物で君を殺せるなんて考えちゃいないよ」
肌の表面をなぞる刃先を移動させ、襟元のリボンタイに引っかける。少しだけ力を込めてやれば、安っぽい布でできたそれは簡単に千切れてしまった。
唖然としているシズちゃんには構わず、立て続けにシャツのボタンを弾いていく。ブツン、ブツン、と乾いた音を立てて布が裂けベッドシーツの上には弾け飛んだボタンがこころころと転がった。シャツの隙間から顔を出した、傷ひとつない滑らかな胸板に無意識に舌なめずりをひとつ。
「……ッに、しやがる」
「俺はね、シズちゃんを殺したいんじゃないんだ」
にこり、笑って大きく振りかぶった腕を迷わずに振り下ろした。ナイフの刃はシズちゃんの耳元すぐ横に突き刺さったが、彼はやはり顔色一つ変えなかった。
ただただ、憎しみを讃えた瞳が俺を見つめている。
胸の奥が締め付けられるように痛んだけれど俺の口元は変わらずに笑みを象っていた。


脆く崩れやすい「普遍的な愛」なんてものは、俺達には必要ない。
俺のナイフでも切り裂けない、君のでたらめな力でも打ち砕くことなどできない。濁りを知らない、純粋な怒りや増悪。それらはきっと限りなく「永遠」に近い。俺とシズちゃんにお似合いの「永遠」の形と言えるだろう。


いつか壊れてしまう儚く美しい「愛」を殺して
「君を、壊してあげる」
ねえ、真っ暗な絶望を 俺だけに頂戴?





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