Last Wedding
※死ネタ注意
すごいね、幽くん今度はハリウッド映画に出るらしいじゃない。若い頃からスタント無しのアクションで慣らしたって、海外での評価も高いんでしょう?今や世界の羽島幽平、だもんね。まあ、彼自身は何も変わっていないみたいで君のことばかり心配していたよ。なかなか会いに来れないから、って。本当に、君たち兄弟は昔から腹が立つくらい仲がいいね。
そうそう、兄弟といえば、うちの九瑠璃と舞流もシズちゃんの顔を見たがってた。今じゃ二人とも立派に母親だ。あいつらが近所の公園でママさん仲間と談笑してる図なんて、想像できる?
新羅やドタチンも君に会えるのを楽しみにしてるみたいだ。トムさんも、明日の朝一で来るってさ。
だから、ねえ。
「早く起きなよ」
うるせえ、もう少し寝かせろ。そう言ってシズちゃんは、ふかふかの毛布に頭からすっぽりともぐり込んでしまう。起きぬけに弱い彼は、一度や二度声をかけたくらいでは素直に布団から出てきやしない。だから俺は、何度だって声をかける。
寝ぼけ面がくしゃくしゃに歪んで横暴な拳が飛んできたら、それを避けて耳元で叫び続けてやる。シズちゃんが観念してベッドから起き上がるまで、何度でも。
ねえ、シズちゃん。起きて、起きてよ。起きろって言ってんだろ。
今日はずいぶんと寝相が良いね。こうやって静かに瞼を伏せていると、なるほど、俳優である弟に引けを取らない良い男だ。
瞼を下ろした目元を指先でなぞる。目じりに刻まれた皺をそろりと辿って、俺は少しだけ笑った。お互い、老けたよね。
前髪を払いのけ、眉間に深く刻み込まれた皺を撫でる。形の良い眉を寄せた不機嫌そのものな表情が、瞼の裏にありありと蘇った。感情がすぐに表情に表れるシズちゃんに、俺はそんな顔しかさせてあげられなかったのだろう。初めて出会った、あの春の日からずっと。
「ごめんね、シズちゃん」
地毛に戻ったクセ毛がちな髪は相変わらずふわふわで。初めてその髪に触れた日のことが自然と脳裏に浮かんだ。恐る恐る触れたその感触は想像していたよりもずっと柔らかくて、ブリーチで痛めてしまうことが酷く残念に思えた。しつこく撫で回していると、気恥ずかしさに耐えかねたらしいシズちゃんが「やめろ」と俺の腕を突っぱねる。
照れ隠しと呼ぶにはあまりに粗雑な態度に、当然ながらむっとした。情事の後のピロートークぐらい空気を読めと不満を垂れて、狭いベッドの上があっという間に闘技場に様変わりしお互い素っ裸で暴れまわって翌日揃って風邪を引いたことも、今となっては良い思い出だ。
顔を近づけると、染み付いた煙草の匂いすら漂ってきそうだった。彼の部屋はカーテンにもベッドシーツにもすぐに匂いが移ってしまうから、俺はがらにもなく小まめに洗濯機を回したりしていた。
あんなに忌々しいと感じていた煙草の匂いが、今は少しだけ懐かしい。俺の鼻先を掠めたのは、シズちゃんが愛したアメリカンスピリットの匂いでも、香水の香りでもなかった。
触れるだけの口づけは、ひやりと冷たい。


Last Wedding



身を切るような冷たい風が、地面に落ちた木の葉をくるくると巻き上げる。思わず肩を縮めながら、俺は真っ白に色づく吐息を吐き出した。
切りそろえたばかりの襟足が少し心もとない。おろしたてのシャツも、なんだかしっくりこなかった。長らく世のサラリーマンとはかけ離れた大人をやってきたものだから
俺が持っているスーツといえば、若い頃に作った年甲斐もないブランド物のこの一着のみだ。巷で流行っている形とは違うかもしれないけれど、細身に作られたそれを着こなせるだけのスタイルを維持していただけでも御の字だろうか。
第一ボタンまできっちりとボタンで留めたシャツの襟元に指を差し込んで、これまたきっちりと締めてあったネクタイを緩める。少しだけ呼吸が楽になった俺は、大きく息を吸い込むついでに頭上へと視線を向けた。水色の絵の具をぶちまけたような青空に細く立ちのぼる煙が、風に吹かれてゆらゆらと力なくたなびいていた。
ナイフで刺してみても銃で撃たれても平然としていた男の身体でも、最後はきちんと燃えるものらしい。化け物じみた身体も、燃やしてしまえば灰と骨のくずしか残らない。


不思議と涙は出なかった。シズちゃんの意識が無くなった時も、名前の通り静かにその鼓動が止まった時も。こと切れるその瞬間、かすかに笑ってみせた彼の表情を目の当たりにしても。俺はただの一度も泣くことが出来なかった。
悲しい、悲しくないという次元を通り越して、現実感というものが全く沸かなかった。
シズちゃんが死ぬという事象は、おそらく俺の想定の範囲に入ってすらいなかったのだと思う。
池袋最強だなんて呼び名は遠く色褪せてしまったけれど、今も昔も変わらず、平和島静雄は俺の中で不滅の存在なのだ。長年に渡って、俺はあらゆる手を尽くして彼を殺そうと奔走したし――それらの努力は、全て徒労に終わってきた。
だからこそ信じて疑わなかった。化け物を殺す方法など、この世のどこにも存在しないのだと。握り取った互いの手がしわしわになってもなお、さっさとくたばれと罵り合いながら年を重ねてくのだと。
「これだから、俺は君のことが大嫌いなんだよ」
いつもいつも、俺の思う通りにはいかない。最期の最期まで。
細長い煙突から伸びた煙が、俺を嘲るようにふわりと揺れた。


「折原さん」
声の主へと視線を向ける。
仕事の合間を切り詰めて、最愛の兄のために国内外をいったり来たりしていたこの数日間がこたえているのだろう。ぴしりと糊のきいた黒のスーツを身に纏った男は、少しだけやつれた顔をしていた。
「お骨あげの準備が整ったようです」
記憶の中のそれよりも少しだけ低く掠れた声は、シズちゃんにそっくりだ。兄弟だから当たり前なのかもしれないけれど、不覚にも少しだけどきりとしてしまった。あり得ないと否定する傍から、望みを捨て切れない自分に苦笑する。
俺はまだ、心のどこかで淡い期待を抱いているのだ。自分の入っていた棺おけを担ぎ上げて、シズちゃんが俺の処に戻ってくることを。
「俺はいいよ。親族の皆さんにお任せする」
平和島静雄であったものを目の当たりにして、果たして自分が冷静で居られるのか。はっきり言って、俺には自信がない。
髪も、瞳も、俺が愛した彼の全てが、目の前の灰と同じく色を失ってしまいそうで、怖いのだ。二人で過ごした日々が、嘘のように色を失くしてしまうのではないかと思うとたまらなく恐ろしかった。
俺とシズちゃんは、30を超えてからようやく一緒に暮らすようになった。
俗に云う恋だの愛だのといった感情を互いに自覚したのは、きっともっと後の話だけれど。俺は確かに平和島静雄を愛していたし、彼も俺へと想いをよせてくれていた。
冷えた指先をぐっと握り込んで、スーツのポケットに押し込む。真冬の空気で氷のように冷たくなった薬指の指輪が、痛いほどに指に食い込んだ。
「後のことはよろしくね」
恋人とは言ったところで、その証となるようなものは何一つとして存在しない。籍を入れることもできないし、子供を作ることだってできやしない。古くからの友人や互いの家族たちから認められてはいようとも、厳密的に言えば、折原臨也と平和島静雄は赤の他人だ。葬儀の喪主を勤めたのは弟の幽くんだし、遺品の整理はシズちゃんの親族に任せきりにしてある。
もう一度、よろしく、とだけ呟いて、俺は砂利道を踏みしめて歩き出した。
「逃げるんですか」
まるで熱の篭もっていない声が、俺の足をその場に縫いとめた。
相変わらず何の感情も感じさせない声色だけれど、背後から放たれる気配には微かにゆらぎのようなものが感じられる。様々なものが混ざり合って今にも破裂してしまいそうなほどに膨れ上がったそれを、力づくで腹の底に押し込めたとでも云うように。
「君は俺を恨んでいるだろう?」
返答はない。けれど、それが何より明確な答えだ。
幽君だけじゃない。きっとシズちゃんと近しい人間は誰しもが心の中でこう思っているはずだ。
「平和島静雄を殺したのは、折原臨也だ」と。
人間が一生で使える細胞分裂の数は決まっていて、それに抗うことのできる者など存在しない。シズちゃんは自他共に認める化け物だ。けれど、その身体は悲しいほどに普通の人間だった。壊れては再生して、傷が塞がったかと思えばまた厄介ごとに巻き込まれて。人が歩む一生を早送りで生きて生きて、猛スピードでその生涯を駆け抜けざるを得なかった。高校に入学してから十年以上、そんな異常な状態が彼の日常であり続けた。そうしたのは他でもない、俺自身だ。
「俺を殴る?それとも、殺したい?」
嫌味も挑発も込めず、ただ静かに問いかけた。沈黙を守り続けていた幽君は、小さく息を吐いてから「折原さん」とまたいつもの調子で素っ気無く俺の名を呼んだ。
「……貴方のことを殺したら、兄は天国でも苦労することになるでしょうね」
冗談なのか本気なのか。幽君はにこりとも笑わず、そこで一度言葉を区切った。
「それに、罰せられることを願っている貴方を殴ってあげられるほど、僕は出来た人間じゃありませんから」
機械のように淀みない口調でそう吐き捨て、肩越しに振り返った俺に小さな紙切れを突き付けた。さっさと来た道を戻り始めた彼に、反論の余地などなく。
遠ざかる背中を見送ってから、仕方なく四つ折りにされていた薄っぺらな紙を開いた。どうやら古いものらしく、紙自体の劣化と共に表面がわずかに毛羽立ってしまっている。真ん中で二つに裂けた二枚の紙を強引にセロテープで貼り合わせて、いびつに歪んだそれは繋ぎ目が少しだけ黄ばんでいた。
寒空の下、冷えた指先が誤って破いてしまわないようにと、慎重に折り目を伸ばしていく。


「平和島、静雄」
真っ先に目に飛び込んできた文字は、あっという間に滲んでいく。
シズちゃんと共に暮らし始めてから10年目。彼の誕生日にふざけ半分に手渡して、早々に真っ二つにされてしまった哀れなプレゼント。せっかく仕事の合間に役所にまで出向いて、署名も済ませ、律儀に自分の印鑑まで押しておいたというのに。
どんな反応を返してくれるかと期待していたら、「くだらねぇ」の一言と共にビリ!だもんね。全くロマンがない。
「馬鹿だなぁ……」
右肩上がりに書きなぐられた硬い文字の横には、きちんと三文判も押されていた。どうして自分が「妻になる人」の欄なんだと、あれだけぼやいておきながら、自らの手で破いて捨てたそれをゴミ箱から拾い上げて、一体どんな顔をしてこの一筆を書いたんだろう。


想像すると、少しだけ笑えて。
ようやく、俺は声を上げて泣くことができた。



(そた)







半ば本気で婚姻届をプレゼントした乙女な臨也さんと
恥ずかしくて素直に受け取れなかったけど、実は嬉しかった静雄さん。

さすがに5月のプチオンリーのネタにしては暗すぎるので没案。


(2012.2.15)





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