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縋るものが欲しくて伸ばす腕は自然背中に回るけれど、爪が短く切り揃えられた指は汗ばむ皮膚の上を滑り痕を残すことをしない。
この行為までもが自分たちの関係を如実に表していて、ふと息苦しさを感じた。
熱に浮かされた思考の中、思い当たることがあってサイドテーブルの小さな箱を横目で見ると、箱の中の数字は静かに0を羅列させた。





「……万事屋」

どう切り出すかをほんの少し考えて、単刀直入でいいかと発した声音は常と別段変わった様子のないものだった。けれどこちらの僅かな緊張を知られたくないだけに都合がいい。
今自分たちがいるこの薄汚い部屋はいわゆるそういった宿の一室で、今は身体を交えた後に一服してシャワーを浴び帰るという一連の動作の、まさに事後の一服をしているところだった。
頭の下で手を組み仰向けに寝転り、ぼんやりと天井を眺めていた男は気のない返事をする。

「終わりにしねえか」

本当に、さしたることではないと言ったふうな口調を装う。
何を、とは聞かれなかった。とぼけて確認する必要もなければ驚くようなことでもないのだ。
ひとつ間をおいて男からは、そうだな、といらえが返る。
それを聞いてすうと緊張の解けた土方は、ただ肺腑に染み渡った煙を吐き出して、呆気ないものだと無感情に思った。


銀時と土方がこのような関係になってからもう一年が経とうとしていた。それは恋仲などと呼べるようなものではなく、かといって友人だの顔見知りだのと位置付けるにはいささか踏み込みすぎた関係。
事の発端は何だったかと思い返せば情けのない話である。
犬猿の仲と揶揄される男と偶然居合わせた呑み屋で例の如く罵詈雑言の応酬、果ては飲み比べとエスカレートし、前後不覚だった自分が目を覚ましたらそこは見慣れぬ宿の一室だった、などというベタな展開だ。同衾していた裸の男、それも見覚えのありすぎる銀髪天パに青くなったことを思い出す。
ちょうど今頃のように、日に日に肌寒さが身に染み駆け足で冬へと向かう季節のことだった。
起きてしまった出来事はベタな展開と言えど、笑い話にしてしまうには相手が相手なだけに苦しい。けれど所謂一夜の過ちというものだと、土方は痛む頭を抑えて無理矢理片付けようとした。
もしくは悪い夢を見た、と。互いが以前のように気兼ねなく言葉を交わすことができるかと言えば自信などなかったが、それでも記憶が朧気なその事実を無理にでも思考の隅に追いやろうとしたのだ。

それから酒は控えた。相手が誰であろうと二度と同じ過ちを繰り返すものかと誓った。
しかしそんな決心も虚しく、再び事件は起きた。
泥沼のような眠りから目を覚ましてみれば、霞む視界の中至近距離で誰かがこちらを覗き込んでいるのが分かり、その誰かはあろうことか銀髪の持ち主だったのだ。
土方は慌てて飛び起きて距離を取り、いきなりのことに悲鳴を上げた腰を押さえて呻く。覚えのある痛みに絶望しそうになりながら、それでもなんとか視線を上げて、目の前の男をどういうことだと睨み付けた。
男、は言うまでもなく万事屋の坂田銀時だったわけだが、銀時は土方ほど混乱した様子もなく、ただ頭が痛むのか額に手を当てながら「悪ィんだけど宿代、俺持ってないから払っててくんない?」と言っただけだった。
何故こいつは平然としていられるのだ。二日酔いをしているようだし、お互い酔ったうえでのことなのは明らかなのに。
じゃ、俺帰るからとひらりと片手を上げ一人ドアの向こうへと消えていく銀時が土方には理解できなかった。
銀時はよほど図太い神経の持ち主なのだろうと土方は思った。うっかり一夜――いや、二夜を共にしてしまった相手が同性、それも普段から何かといがみ合う犬猿の仲の男であろうが銀時には関係ないらしい。冷静に状況把握し自己完結できてしまうのだ。
しかしそんな図太い神経を持っていない土方は己が再び犯してしまった過ちを死ぬほど悔いた。
何もかもが有り得ない。あれだけ用心していたにも関わらずまたも酒量を抑えられなかったこと、いやそれ以前にあの男と居合わせて早々と席を立たなかったこと、真選組副長ともあろう自分が女よろしく男相手に足を開いたこと、相手はあの何かと腐った縁のある忌まわしき銀髪天パだということ全てが土方をして悩ませた。
一度だけなら、なかったことにできたかもしれない。不自然に避けてはいたかもしれないが、記憶もなくその出来事が真実だったと確証できるものは身体の痛みだけだった。けれど時が経てば動揺も痛みも治まるものだ。だから、きっとなかったことにできた。
しかし繰り返してしまったとなればまずい。薄ら記憶が残ってしまっているのも非常にまずい。
頭を抱えて土方は、相手の出方次第だな、と思った。
銀時が土方との間にあったことを匂わすことを一切せず、夢だったのではと思うほど常と変わらずにいてくれればもしかしたら、と。先ほどの銀時の様子を見る限り、大丈夫そうだと土方は確信した。

だから昨夜のことを匂わせないどころか改めてお誘いを申し出た銀時に、くわえ煙草が口から落ちたことにも気付かず呆然と立ち尽くしてしまうのも仕方のないことだった。








11/10/10