text | ナノ









今、俺の目の前で土方くんがヒクヒクしている。
誤解のないように言っておくが決してやましいアレではない。誰だって一度は経験したことあるからね。赤ちゃんだってするからね。お母さんの腹ン中で既にしてるらしいからね。

「…で?」

俺は痺れを切らし、向かいのソファに身を硬くして座る土方にいい加減用件を言うように促した。

かれこれ数分ほど前、万事屋に依頼人として訪れたのはこの何かと因縁付け合う真選組副長の土方だった。
顔を見るなり開口一番に厭味を言ったわけだが、どういうわけか今日の土方は俺の挑発に乗るでもなくどこか居心地悪そうに、そして気まずそうに目線を彷徨わせた。なんだかいつもと様子が違うらしい土方にどう対応していいか分からず、とりあえずと中へ通したのが約十分前。
そして色の薄い茶を出してやり、奇妙な沈黙と共に十分ほど経って今に至る。

何か用があるから来たのだろうが、土方はなかなかそれを言い出さなかった。
いや、言い出せない、の間違いかもしれない。現に土方は今に至るまで二度ほど意を決して何かを言おうと口を開いているのだ。
―しかしそのたびに、ヒクッ、と音が漏れて慌てて口を押さえ再び黙り込んでしまうのだが。
断続的にぴく、ぴくんと土方の肩が揺れる。そしてやや上目遣いに俺を見、呼吸を整えようと深呼吸してはひぅ、と可愛らしい音を出して恥ずかしそうに唇を噛む。
なんだか胸がきゅんとするその一連の動作を、俺はソファに踏ん反り返って鼻をほじりながら見ていた。まさか、そのしゃっくり(そう、土方が先程からヒクヒクしている原因はしゃっくりなのだ)を治してくれと依頼しに来たわけでもないだろうし。…多分。
ていうか胸がきゅんとするって何だ。

「うん、いいから。いちいち笑わないからオメーのしゃっくりごときで。で?今日はどういったご用件で?」

今まで辛抱強く…というよりは土方の様子が面白くて(きゅんとしてるからでは断じてない)十分もの間自分からは声を掛けずにいたのだが、この男相手に優しさをフル動員してそう言えば、土方は恨みがましそうに俺を睨んでからようやく喋り出した。

「…ひゃ、っく、……ひゃっくり、止めて、くれ」

……。

「…うん、しゃっくりな。…うん?いやいや、え?それもしかして依頼?」

まさか。しゃっくりなんて放っとけば勝手に治るだろう。
それをわざわざ、犬猿の仲の俺に“依頼”として頼むなんて、そもそも頼み事をするなんて裏に何かあるのだろうかと妙に勘繰ってしまう。こいつは貸しを作るだとか誰かに頼るのを酷く嫌がる男だ。殊に俺に対しては。

「…不本意だが依頼だ。数日前から…んッ、ずっとこの調子で、放っとけば治ると思って大して気に、ヒッ、…してなかった、が…夜は碌に寝れねェし何日も続きゃ隊士共に示しも付か、っふ、…ん、付かねェし真選組の副長がいい笑いモンだしで、ァくッ」
「はいストップちょっとインターバルください」

エロい。
いまだかつてしゃっくりをこんなにエロいと思ったことがあっただろうか。
もうずっとしゃっくりが止まらずしんどいのだろう、苦しげに眉根を寄せて嬌声…じゃねーや、しゃっくり混じりに途切れ途切れに言葉を繋げる様を見ているとおかしな気分になる。時折音になるしゃっくりを抑えるみたいに唇を噛んで耐えるのはやめてほしい。
なぜならその様子はまるで、………まるで?
って待て待て、何考えようとしたの?どうしちゃったの?行っちゃうの?オーイ銀さん戻ってきてー。

「…銀さん戻ってきたので続きをどうぞ」
「、ん…や、まざきが、何の病気が隠れてるか知れねェから病院で一度、ヒクッ…は、ァ、診てもらえって」

呼吸が苦しいのか吐息交じりで色々十八禁なので俺が要約するとこうだ。
土方は数日前からしゃっくりが止まらず、ここまで長引くのは良くないと病院を進められたが行く気など更々なく、けれどこのままでは仕事に支障が出るから何とかしたいと。屯所で色々方法を試してみたがどれも効かず、しゃっくり治療の達人と名高い俺の元へ行ったらどうかと沖田くんに勧められたが、相手が相手なだけに最初は断った。けれどいよいよ不味いと思った土方は、最後の頼みの綱と渋々やってきたという次第らしい。
しかしいつから俺はしゃっくり治療の達人になったのだろうか。

「テメェに頼み事をするなんざあン時の一度きりだと思ってたんだがな…そうも言ってられねェ事態になっちまった…ヒック」

いやただのしゃっくりだからねソレ。

「つってもよォ…まァこんなんでも一応依頼だから受けはするけど、治るって確信はねーぞ?」

となると俺も依頼料はもらえなくなるわけだから何とか治してやろうとは思うが、俺は沖田君が言うようなしゃっくり治療の達人ではないのだ。しゃっくりを止める方法ならいくつか知ってるが、どれも一般的なもので既に屯所で試されただろう。
けれど、俺のその言葉に土方は顔を歪めた。

「も、お前しかいねェんだ万事屋…ッふ、このままだと、おかしくなっちまう…ッ」

この時俺の頭には大人しく病院言って鎮痙剤貰ってこいよという言葉は浮かばなかった。良心からのそれよりも、目の前の土方を見て悪戯心が頸を擡げ、土方に密着するようにソファに腰を下ろした。なぜだか少しイケナイ気分になっていたのも認めよう。

「…?よろ……」

あぁ、もうコレいきなり抱き付いてスンゲェ驚かせてやれば良くね?ほらアレ、俺とコイツめっちゃ仲悪いじゃん?それ自他共に認めてるほどなわけだしつまり俺もコイツ嫌いだしコイツも俺嫌いだし、そんな嫌って嫌われてる相手な俺がよ、いきなり熱い抱擁をしてきたらどうだ?心臓引っくり返るぐれェ驚くに決まってんだろJust do it!

「!!」

心の中の掛け声と共にぎゅっとその身を引き寄せて抱き付いた。傍から見たら異様すぎるほど異様な光景に、これは依頼であり人助けのためなのだと自分の行動を正当化して、はたと気付いた。

「…?」

顔が、近い。
近いってもんじゃない、視界いっぱいに広がるのは土方の顔で、いつもは切れ長のその鋭い瞳が驚きにか丸く見開かれている。唇には温かくて柔らかい感触。
…ヤバイ。どれくらいヤバイかっていうとマジヤバイ。
あまりのヤバさと自分の奇行に冷や汗が伝うのを感じるが、体裁を立て直してそれをも正当化しようと脳をフル活動させる。呪文のように依頼と人助けを繰り返し、開き直った。
抱擁も接吻も効果は同じだ。いや、接吻のが効果は大きいに違いない。ならばと、事態が呑み込めていないかのように未だ硬直して唇を覆われていながらも無防備に半開きになっているソコに、自分の舌を滑り込ませた。小さく濡れた音が耳に届くのと同時、に、

「ッにしてンだバカヤロー!!!!」

怒声と共に繰り出された見事なアッパーカットが決まった。
衝撃に背後にあったテーブルに背をしたたかに打ち付ける。軽く脳震盪を起こしたが何とか背を押さえて呻きながら上体を起こし、顎をさすりながら立っている土方を見上げると、興奮にか真っ赤な顔でハァハァと肩で息をしている。

「ッてェなー…何してくれちゃってんのテメー」
「どう考えても俺のセリフだァァ!何のつもりだ!!」
「何って、」

わざとらしく、ハーっと大きな溜め息を吐いてみせた。もちろんポーズだが、面倒くさそうにガリガリと頭を掻いて殊更やる気のない声音で告げる。

「オメーが言ったんだろうがよ、しゃっくり止めてくれって。俺ァ協力しただけだぜ?」
「協力って、それと今のが」
「関係あるって。心臓引っくり返るぐれェびっくりしたろ?良かったな、しゃっくり止まってるぜ」

はっとしたように土方が喉元に手を当てる。先程までの断続的に長いこと続いていた痙攣がなく、ふと安堵の表情を浮かべて、そしてすぐにぐっと詰まった顔をする。
その顔に俺は気を良くして、少し意地悪をしてやりたくなった。

「なのにこの仕打ちはねーだろ。脳震盪起こしかけたからね俺。キスも知らねェオボコ娘でもなし、いい歳した成人男性がキス一つで動揺しすぎっつーか…そもそもコレ依頼をこなしたに過ぎねーから。依頼通りしゃっくりも止めてやったしよ」

一瞬だけ土方は瞳に複雑な色を浮かべて、すぐにすまなそうに視線を床へと下ろすのを俺は胸中でにやにやしながら観察していた。
それにしても、土方のしゃっくりが本当に止まって良かった。金が云々よりももし止まらなかったらあの奇行に対しての上手い言い訳が見つからなかった。ただ驚かすためだけならキスはまぁまだアリとして、舌まで入れる必要などない。ちゃんとしゃっくりが止まってくれたお陰で土方はそれに気付くことはなかった。

「…そ、それは…その、……すまなかっ、た」

語尾は尻すぼみになり聞き取りにくかったが、俺なんぞに謝りたくないながらも自分の非を認めて項垂れる土方を見て楽しい気分になる。

「ホントは慰謝料もらいてーぐらいだけどよ、ま、止まってよかったな」
「…あぁ、世話ンなった」

土方はおもむろに懐から財布を取り出し、そこから依頼料であろう紙幣を何枚か取り出すと机の上に置いた。
それを俺は視線で追い、今日の晩飯代を稼げたことに内心で満足する。

「またしゃっくり止まらなくなったら俺ンとこ来いよ」

出ていこうとする土方の背中に向かってふざけ半分で言うと、睨むか怒鳴るかしてくるかと思われた土方は、疲れたようにただ片手をひらりと上げて「気を付ける」とだけ言って去っていった。
万事屋の階段を下りる音を聞き、土方の気配が遠のいたところで俺はふと賢者タイムに突入する。

意味が分からない。
何がって俺がだ。
土方とは確かに自他共に認める犬猿の仲だ。顔を合わせればくだらない喧嘩をする。くだらないと分かっていながらも、返す言葉や態度にいちいち腹が立つからやめられないのだ。俺を見かけると嫌そうな顔をするのもムカつくし、すかした顔で煙草吸ってる姿もイラッとくる。口を開けば憎たらしい悪態しか出てこず、とにかく性が合わない。
そんなあいつに、何故俺は。

「…あいつのしゃっくりって変な菌が飛んでんのかもなぁ」

なんだか考えてはいけないことのような気がして、無難な結論に辿り着くとごろりとソファの上で横になって賢者になりきれなかった俺は眠りについた。








11/12/7