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教師と生徒





グラウンド側の職員室の窓からは部活動に勤しむ生徒達の声が聞こえる。その声を聞きながら書類を整理していると、帰りのHRで回収したはずの保護者用アンケートがないことに気が付いた。すぐに教室だと思い当たり、またあの長い階段を上らなければならないのか、と嘆息する。

重い腰を上げ、席を立った。










誰もいないと思った教室の戸を開けると、一人の生徒が残っていた。その生徒は教卓の前の席で突っ伏している。部活はどうした、と思う前に。あの席は、あの銀色は。
呆れたような溜め息を小さく零し、その生徒の元へ歩み寄った。

「オイ坂田、」

言いながらその頭を軽く叩いてみる。が、ぴくりと身じろいだだけで、再び静かな寝息をたて始めた。

「坂田、起きろ」

今度は肩を揺すってやるが、これまた小さく呻いただけで起きる気配が無い。いつものように坂田の頭に拳骨でもしてやれば飛び起きるのだろうが、俺はそれをしなかった。
目の前の銀色にそっと触れる。初めて触れたそれは、思った通りふわふわとしていて触り心地が良かった。
その感触を楽しむようにそっと撫でていると、ふいにその指先をきゅっと掴まれた。

「っ、坂」
「…せんせい、」

起きていたのかと焦るが、坂田のいつも以上にとろんとした瞳や少し掠れた声は寝起きのそれだった。坂田は俺の指先を握ったまま上半身を起き上がらせ、欠伸をして、ゆっくりとした動作で俺の方を向く。

「…あのね、先生」
「……」
「土曜、俺の誕生日だったんだ」

まだ覚醒しきれていないような声で、坂田は言った。
この前の土曜日といえば、10月10日。
知らなかった。坂田のことだから、誕生日が来る前に俺に何かを強請りそうな感じはするのだが。

「…そうか、おめでとう」

しかしいつそれを言われようが返す言葉など決まっている。少し笑って、またその頭を撫でてやった。

「…うん、先生、何かプレゼントちょうだい」

ああ、言うと思った。
生憎俺は何も持っていない。だけど坂田のことだ、と、一応聞いてみる。

「…俺がお前にやれるもんなんてあんのか?」
「うん、あるよ。先生をちょうだい」

これまた予想通り。おかしくなってまた少し笑った。

「ごめんな、それはやれねーよ」

坂田は目立つし、明るいし、愛嬌もある。頭はお世辞にも良いとは言えないが、その分運動神経がずば抜けている。そんなお前が、どうして俺なんかを好きになってしまったんだろう。

「それは、俺がまだ子供だから?」
「大人になってもやれねーもんはやれねえ」

坂田は悲しそうな、若しくは拗ねたような顔をしたあと、カタンと音を立てて立ち上がった。途端、銀色と甘い香りが広がり、坂田の体温が感じられた。数秒遅れて抱き付かれていることに気が付く。

「っ、さか、た」

焦って肩を押すが結構な力で抱き締められていて、離れる気配が無い。それが分かると俺はすぐに抵抗をやめた。
そう、ここは放課後の教室で、周りには誰もいない。
それに、この前の土曜日は。

「…今はこれでいい、から」

坂田は俺に甘えるようにすりついたり、時折匂いを嗅ぐような仕草をした。自分とさほど背丈も変わらない男子高生に、可愛い、と思った。また頭を撫でる。癖になるかもしれない。すると坂田は調子に乗ったみたいで、首筋に吸い付いてきた。ふと我に帰って、今度は強めに頭を叩き、ちゃんと坂田を剥がす。

「…馬鹿、跡付いたらどうすんだ」



ああ、土曜は何もしてやれなかったから、なんて。
違う、俺と坂田はそんな関係じゃない。








柔らかな侵食








09/10/14