神様は死んだから 03



早く、早く大人になりたかった。
ならなくてはいけなかった。無力で透明な子供のままでは自分はどうにかなってしまう。
高校を卒業するまであと2年。その年月が早く過ぎ去ることを唯はただただ祈った。
床に転がったビールの空き缶を拾ってテーブルの上に置き、玄関におりていつもの黒のローファーを履いた。そこに男物の靴があることの違和感は消えない。
最後に『行ってきます』と言ったのはいつだっただろう。


「唯!おはよ!」
いつもの通学路。背後から声が掛けられた。
振り返ると快活な笑顔の友人の姿。
「おはよー。今日も朝練?」
「うん、唯は朝練も無いのに早いね?」
「私はコンビニの早朝バイト終わったとこ。そんで、今から誰もいない教室で数学の予習。超はかどるんだよね〜」
「……いやいや、感心すぎない?あんた二宮金治郎の生まれ変わり?」
うげ、という顔で友人が突っ込みを入れる。
「あはは、なにそれ」
「めっちゃ働いてめっちゃ勉強する人のことよ。ほんと、せっかく可愛い顔してるのに勿体ない。女子高生なんだから恋をしなさい恋を」
いつもの通学路で、いつもの他愛のない話。別に感心してもらうようなことではないので少し罪悪感がある。寝る間も惜しんでバイトをするのだって、奨学金目当てで勉強するのだって、ただ逃げ出す為の準備なのだから。

「あ、ねぇそう言えば例の転校生。今日からだね」
少し前から噂になっていた転校生の話題を振られた。傷害事件を起こし地元の学校を退学になったという、なんとも物騒な前情報。その少年が自分たちの学年にやって来るというので周りは戦々恐々としていた。
「…転校生ってその例の転校生だけなのかな?他にはいない?」
唯は転校生という少年に既に会っている。少し話しただけだが、噂から想像していた人物像とはかけ離れていた。何か事件を起こしてから『まさかあの人が…』と言われる人が巷ではよくいるが、それにしてもまったく結び付かないのだ。
「え?うーん…そっちにばっかり話題が集中してる可能性もあるけど、たぶんそうじゃない?」
「そうだよね…」
人の迷惑を思って駅で立ち止まれもしない彼が、傷害事件など起こすだろうか。仮に人に怪我をさせたのが事実だとしても、そうなってしまった理由があるのではないだろうか。それなのに学校にはもう彼に纏わる悪意に満ちた噂が溢れ返っている。
胸がもやもやした。知らなければ、人はどこまでも残酷になれる。そうなってしまえば、きっともう知ろうともしないのだ。

教室に一番に着いて、宣言通り数学の教科書を開いた。春休み前に授業でやったところを読み返し、教師に勧めてもらった問題集からいくつか問題をピックアップしてさらさらと問いていく。昔から一番苦手な科目だったが、約半年前から猛勉強して今ではどの問題でどの公式を使えばいいのか瞬時に思い浮かぶようになった。復習が終わると今日授業でやるであろう内容に目を通す。
時々笑ってしまいそうになる。急に客観的に自分を見てしまう時がある。こんな優等生のようなことをまさか自分がする日が来ようとは想像もしなかった。
時間が経ち一人、二人…と、どんどん生徒が登校してきても転校生の為に用意された席が埋まることはないまま予鈴が鳴り、そして本鈴が鳴り、授業が始まってしまった。



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