神様は死んだから 02



彼女の名前は高崎唯というらしい。唯は蓮の質問に快く同行を申し出てくれた。自分が秀尽の制服を着ているからだろうか。それとも誰にでも親切にできる人間なのだろうか。
隣を歩く唯の存在が蓮はやけにくすぐったく、けれどその気持ちがなんなのかはよくわからない。ただ、腫物に触るような気遣いではない、他人の自然な優しさに触れたのは随分久し振りな気がした。

「渋谷駅って難しいもんね。何両目に乗ったかで降りた時の景色全然違うし」
ああ、それで言うと新宿も苦手、と唯は眉を下げて笑った。ブレザーのバッチを見てお互い2年生だとわかると、唯は一気に人懐っこくなった。明るくてよく話し、よく笑う。
「でも案内板は割と多めだから、こまめに見ながら歩けば辿り着けると思うよ」
「ああ、そう思ったんだけど…」
蓮はそこで言葉を区切って、電車を降りた時のことを思い出した。車内も混んでいたがホームに着いてドアが開くなり更に激しい人の雪崩に巻き込まれ、慣れた人々はその勢いのまま各々の目的地へと向かう。
「人の流れがすごくて…立ち止まったら迷惑かと思って、確認する間も無く流されてきたらさっきのとこに出たんだ」
思い出すだけで少しげんなりしてしまった。渋谷の人の多さとせわしなさは想像を越えていた。
唯は意外そうに目を丸くして、その後声を上げて笑う。
「あはは!雨宮くんって人がいいんだね」
いい人、であれば褒め言葉だろうが、人がいいというのはどう受け取ればいいのだろうか。蓮は苦笑いを浮かべた。あまりに楽しそうに言うので嫌な気はしなかったが。
「みんな自分勝手やってるのに気を使いすぎだよ。東京で生きてくの大変でしょう?」
「そうかな。まだ来たばかりだからよくわからない」
「え?」
「今日東京に来たばかりなんだ」
唯は今までで一番驚いた顔をした。
「え…もしかして、君が来週から来る転校生…?」
質問に頷けば、唯は唖然とする。名乗りあった時は、違うクラスの知らない男子生徒という認識だったのだろう。が、しばらくすると何か自分に納得させたようにひとつ頷いて、ふわりと笑った。
「そっか。じゃあ、改めてこれからよろしくね、雨宮くん」

その後は、上京したての蓮に向けて、『この階段を下りれば地下モールだよ』とか、『ここのパン屋さんおすすめだよ』など、丁寧な説明を混じえて道案内をしてくれた。目的の田園都市線の改札へ辿り着くまであっと言う間だった。
「あとは2駅乗るだけだよ。気を付けてね」
「本当に助かったよ、ありがとう。高崎さんも気を付けて」
「うん、また学校でね」
唯はそう言ってひらひらと手を振った。

慣れ親しんだ地から列車に乗り、景色が知らないものに変わってから、ずっと現実味がなかった。どこを歩いてもそこは自分の居場所ではなかった。しかし、唯が隣を歩いて、他愛も無い話をしながら笑ってくれて、やっと本当に自分がそこにいるのだとわかった。
また学校でね、と、彼女が微笑んだ。新しい生活が始まるのだ。
ただの転校ではない。前歴が付いて、前の学校を追い出された。自分はすっかり“訳あり”の人間だ。簡単に払拭できるものではないのだろう。
ずっとぐるぐると考えていたこと。終わりがなく自分の中に渦巻いていたそれらのことに、蓮は初めて『まぁいいか』という終始符を打った。なんともお粗末で、ある種開き直りであったが、そう思うと久し振りに心が空っぽになった気がした。
お先真っ暗でも、偶然の拾い物のようにいいことが起こる。そうわかったからだ。それなら十分な気がした。

群衆に消えていく唯の背中を見送って、蓮はこれから幾度となく通るであろう改札をくぐった。



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