神様は死んだから 01
4月9日。 これほどまでに鬱屈とした気分で迎えた春がかつてあっただろうか。 なにかと節目になるこの季節は、不安や心細さが付き纏う。しかしそれは、その一方で少なからず希望や昂揚を内包していた筈である。 レンズ越しに見る都会は想像よりずっと淀んでいて、高層ビルの灰色ばかりが蓮の目に残像を残した。 真新しい学生服はまだ自分の体には馴染まず、サイズはしっかり合わせて作った筈だが圧倒的な正しさで織られた分厚い布にぎっちりと締め付けられている心地がした。先日まで通っていた地元の高校とはまったく違ったタイプの、蓮からするとかなり派手に思える秀尽学園の制服が、果たして自分に似合っているのかどうかは甚だ疑問であった。
(なんだ、このアプリ…)
迷路のように入り組んだ駅構内を抜けたところで、蓮は自分が手にしていたスマホに見覚えのないアイコンが浮かんでいるのに気付いた。自分でインストールした記憶はないが、そういうこともあるのだろうか。 赤と黒の背景。表情の無い目玉。ただのイラストでしかない筈だが、目が合っているような気がして、もっと言えばこちらを品定めでもするように窺われている気がして、一瞬ぎくりとした。 内心自嘲して、歩き出す。その時だった。
「っ…!?」
自分以外のすべてのものから、生気が消えた。人間も機械も、ゼンマイが切れたようにゆっくりと活動を停止する。動きが止まり、音が消え、先程まで溢れかえっていた情報の供給が瞬時に失われた。 有り得ないことだが、時が止まっている、そう形容する他なかった。 ジオラマの中に放り込まれた心地で、蓮は辺りを見回した。が、静止した通行人たちは揃って知らぬ振りである。 ただ、少し離れた所、群衆の中に、蓮は青く燃え盛る炎を見た。いや、実際のところ炎なのか何なのかその正体は定かではない。定かではないが蓮は何故かそれを知っている気がした。
「くっ…」
絶対的な無音に、耳鳴りと目眩を感じた。額を押さえて地に膝を付く。暑くもないのに汗が浮かび、息が上がる。 あの青は何なのだ。脳裏に焼き付くように深く、それでいて他の何にでも変わってしまいそうな青だ。それと、赤い目と、大きな翼のーー
「ーー大丈夫ですか?」
はっとして、目を開いた。 ガラス越しに聞く音のように不鮮明だったが、少し視線を横にずらすだけで予想外に声の主と目が合って蓮はたじろぐ。すぐ隣にしゃがみ込んだ自分と同じぐらいの年頃の少女が、蓮を心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫?」
彼女はもう一度尋ねる。その声が今度はまっすぐ耳に届いて、蓮は既に世界がまったくの元通りになっていることに気付いた。大勢の人が行き交う渋谷の駅前で、自分は蹲っていたようだ。
「…大丈夫、…です」
ゆっくりと立ち上がる。一瞬目の前がちかちかしたが、それもすぐに消えた。元通りなのは自分も同じらしい。 一体なんだったのだろう…。謎の白昼夢から覚めた蓮は、寝起きの時とほとんど同じ覚束ない足取りで歩き始めた。そして、数歩歩いたところで我に返る。 質問にはかろうじて答えたが、礼を言っていなかった。振り返ると、少女はまだ立ち止まってこちらを見ていた。心配して見送ってくれていたらしかった。先程は気付かなかったが、自分が通うことになっている秀尽学園の制服を着ている。
「…あの、ありがとうございます。助かりました」 「あ、いえ、私は何も…」
物理的にも精神的にも微妙な距離感での会話。少女はぱっと笑顔を作り、恐縮して手をぱたぱたと振った。その仕草を見て、蓮は何故か次の言葉を探してしまった。ここでひとつ会釈でもして立ち去ってもよかったのに。
「それと、」
言葉が見つかると、もう勝手に口が動いていた。
「田園都市線の乗り場ってどこですか」
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