幸せそうに笑っていた。いつも願ってやまなかった筈のその笑顔を、俺は視線を逸らしてやり過ごす事しか出来なかった。取って付けたような祝福の言葉に、彼女は一層華やいだ声で、ありがとう、と返す。それで俺は、今度こそ終わりを知る。
所詮は、浅ましい恋心でしかなかったのだ。彼女が幸せならなどと、お綺麗なだけの感情は、初めからこれっぽちも持ち合わせていなかった。矛盾する想い、独善的な祈り、凶暴化する欲望。薄汚れたものを全部掻き集めて、恋などと可愛らしい名前を付けて、全てを欺き通すつもりでいた。何が起ころうと、出来る筈だった。その先に彼女の笑顔が、幸福が、愛情があると、そう確信していたから。
「キバくん」
それでも心のどこかでは、いつか嘘でなくなる日が来ると思っていた。あの温かで優しく美しいものを、この手に掴めると信じていた。何度も思い描いて、手を伸ばして、けれど届かなくて。そうしてもうすぐ彼女は、もう二度と触れられない場所へ歩み出そうとしている。幸福という名の、失われた世界へ。
「今、幸せか」
何という、馬鹿げた問い掛けだろう。しかしどこまでも優しい彼女は、眩しい程の笑顔を湛えてゆっくりと、しかし確かに頷いてくれた。ああ、と溜め息が零れた。ああ。目の前が急に、霞みがかったように真っ白になる。同じ色を纏う彼女の姿が、やがて見えなくなる。精一杯伸ばした腕は、あっさりと空を切った。
「幸せに、な…ヒナタ」
ふわり、と靄の向こうに浮かんだ微笑みは、やがて掻き消えた。