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最終話


 雨宮先輩の部屋に行けば、ドアが開くなり中へ引き摺り込まれた。そのまま俺にしがみ付きながら、崩れる様にして先輩は座り込む。

「何だったんだろ。俺って陸ちゃんにとって、何だったんだろ」
「先輩…」
「浮気がどんどん酷くなってるの、分かってた。会長とのことも、何となく気付いてたんだ…だけど、何処かで気のせいじゃないかって…そう思い込んで…」

 何も知らなかった。今まで雨宮先輩がどれほど苦しんでいたのかも、浅尾先輩が何を思っていたのかも。

「ねぇ、先輩」

 座り込んだ先輩に合わせてしゃがみ、両手で顔を包み込む。
 俺は雨宮先輩が好きだ。だけどそれはこんな…こんな瞳をした先輩なんかじゃなくて。

「先輩は、浅尾先輩のことが好きですか?」
「………」
「好きですか?」

 先輩の瞳が激しく揺らめいた。

「わかん…ない。今はもう、分かんないんだよ…」

 俺はその言葉を聞いて、思わず笑みが零れた。

「浅尾先輩とちゃんと話をしましょ、先輩」
「え…?」
「先輩は、今もちゃんと浅尾先輩を好きですよ。好きじゃなきゃ、そんなに悩んだりしない」

 俺は今まで何を見てきたのだろう。何があっても浅尾先輩から目を逸らさなかった、あの一途な先輩を好きだと言いながら…俺は先輩の本当の苦しみを分かっていなかった。

「立って、先輩。浅尾先輩のところに行くんです、今すぐに」
「でも…」
「しっかりしろって!」
「ッ!?」

 両頬をパチンと叩きはさんでやれば、雨宮先輩は目を白黒させる。

「浅尾先輩は雨宮先輩の苦しみを知らない。でも、雨宮先輩も浅尾先輩の苦しみを知らないでしょう?」
「陸ちゃんの…苦しみ?」
「逃げて来たんでしょ? 真実を知るのが怖くて、責めることも出来ずに逃げてたんだよ。だけどそれは浅尾先輩だって同じだ。ねぇ先輩、俺たち、余りにも知らないことが多すぎるよ」

 今こそ、それを知るべき時じゃないの?

「先輩、行ってよ」
「旬…でも俺は…」
「弱ってる時には、誰かに寄り掛かりたくなるもんですよ。ねぇ、行って…先輩」

 お願い、先輩。
 俺の決意が揺らぐ前に、早く…

「陸ちゃんは…生徒会室?」
「はい」

 雨宮先輩は一度ゆっくり瞳を閉じると、何かを決意したかのように瞳を開く。俺に縋っていた手を放して立ち上がると、その足は迷いなく外へと向かった。
 バタンと重い音を立てて閉じた扉の音を合図に、俺の目から涙が溢れ落ちた。

 『今は分からない』と言って瞳を揺らめかせた先輩に、真実を見た気がした。もしも先輩の言葉がもっと違うものだったなら…俺は言ってしまっていただろう。
 ほんの少しだけでも、俺へ揺らいでくれていたことを知っていたから。

 好き……でした、先輩。
 あの強い眼差しを持つあなたが、
 浅尾先輩を想うあなたが俺は…



 ――本当に、好きだったんです



 ◇



「また…行かせたのかよ」

 部屋の前に立つその人物に、場違いにも笑いそうになった。
 前の様に会うことが無くなったのは、忙しいことが理由じゃないことは知っている。俺は歩に避けられていたのだ。だけど今は、俺の目の前に立っている。
 何時だってこいつは、俺が本当に辛い時には側に居てくれるんだ。

「良いんだよ、これで」

 部屋の中へ入れば、歩も後ろからついて来た。扉がしまった途端に肩を掴まれ振り向かされる。

「おい旬っ、良くねぇだろ!? 何だってお前ばっかり苦しい思いしなきゃなんねぇ!?」
「それはお前も同じだろ?歩」
「は?」
「ごめんな、歩。今まで俺がお前を苦しめて来たよな」
「なっ、……え?」
「多分俺、気付いてた。お前の気持ち、ずっと知らない振りしてたんだ」

 そうすることが楽だった。親友だってことにしておけば、何も失わないで済むと思ってたんだ。
 けど、良く考えたら可笑しい事だらけだろう?

 歩が俺に与えてくれてたものは、親友が与えてくれるものだったか? 歩はどんな気持ちで、俺に触れてた? きっと俺だったら耐えられない。

「俺はそれで…良かったんだ」
「歩」
「旬、俺は…俺はお前のことが…」

 そこまで聞いて、歩の口に手で蓋をする。

「ごめんな、歩。俺はまだ、その先を聞くことは出来ないよ」

 こんな中途半端な状態で、歩の気持ちに答えることなど出来やしない。今の俺にはそんな資格はないんだ。
 そっと手を外せば、歩はもう何も言わなかった。

「歩、頼みがある」

 ごめんな…
 もう少しだけ、あと、もう少しだけ。
 お前のその優しさに甘えさせて欲しい…

 俺のその一言で、歩は何かを悟ったようだった。
 少しだけ悲しそうな顔をして、そうして静かに目を伏せた。



 ◇



「B12区で乱闘騒ぎだ。松嶋、中川君、行ってくれるかい」
「「はい」」

 処刑室…もとい、仮眠室に生徒を引きずりながら消えて行く委員長にペコリと挨拶をしてから部屋を出る。

 歩と二人で指定された場所へ急ぐ途中の渡り廊下で、俺はふと足を止めた。
 中庭を歩く二人の後姿。
 何かを楽しそうに話しかける相手に、優しく微笑むその横顔に目を奪われる。

「あの二人……別れたんだってな」

 俺が足を止めたことに気付いた歩は、俺の目線を追って同じものを見ている。

「……うん」

 あの日雨宮先輩は生徒会室へと向かい、浅尾先輩と話をした。
 何故浮気を繰り返していたのか、何故狙われ襲われるようなことになったのか。そして、職務を放棄して転校生を構っていたのは、俺を見捨ててでも自分を追いかけて来て欲しかったからだったこと。
浅尾先輩は雨宮先輩に全てのことを話した。
 そうしてまた、雨宮先輩も全てを話した。
 会長との関係に気付いていたこと、浮気されていたことや浅尾先輩が嫉妬を煽ろうとして取った行動がどれだけ辛く、悲しく、苦しかったかを。

 雨宮先輩は、もう一度やり直そうと、そう浅尾先輩に言おうと思っていたのだと思う。
 だけどそれは先輩の口から出る前に、浅尾先輩からの「別れよう」と言う言葉に呑み込まれたまま、出る機会を無くしてしまったのだ。

「僕は自分で自分が許せないんだ」

 そう後に、浅尾先輩は俺に言った。雨宮先輩も、浅尾先輩を引き止めることはしなかったそうだ。
 その時先輩が何を思って別れを受け入れたのかは、もう俺に知る術はないのだけれど…


 俺はあの日から歩に協力してもらい、生徒会の復興に踏み切った。
 未だに戻る気配の無かった、会長、副会長、書記の元を何度も訪れて説得に当たった。
 全校生徒の憧れの的であった生徒会役員に、リコール等という無様な最後だけは迎えて欲しくなかったのだ。

「生徒たちから絶大な支持を受けて会長に就任したことを、まさか忘れたって言うんですか!? 会長を信じて付いて来た皆の気持ちを、貴方は軽んじ過ぎてる! これ以上彼らの気持ちを…今でも信じてる俺たちの気持ちをっ、これ以上踏みにじらないで下さいっ!!」

 何度目かに訪れた会長の元で遂にキレた俺がそう叫ぶと、会長は目を見開いて驚いて、そしてチッと舌打ちしたかと思うと何処かへ消えた。今度もダメだったか、と溜息を吐いて項垂れていると、ジジジ…と聞き覚えの有る雑音が流れた。

『生徒会長の相楽だ。生徒は全員体育館へ集まれ、今すぐにだ(ブツッ』

 突如流された校内放送に、学校中が一瞬にして静まり返り、そして直ぐに騒がしくなった。

「慌てずゆっくり行動してくださーーい!!!」

 叫ぶ俺の声が届いているのかいないのか、皆走って体育館へと向かって行く。そうして全校生徒が体育館で見たものは…ステージの上で土下座する会長の姿だった。
 今まですまなかった、と。
 もう一度チャンスが欲しい、と、会長はそう生徒たちに訴えた。
 もう二度と投げ出したりしない、必ず昔のような学園を、いやそれ以上の学園にしてみせるから、と。

 一緒に引きずって来られたであろう書記も、泣きながら会長の隣に跪いた。

 誰もが息をのみ、言葉を失った。
 いつも高い位置にいて降りてこない、手の届かない存在だった生徒会の役員が今、地に頭を付けているのだ。

 ステージ裏に回れば、そこには浅尾先輩と雨宮先輩が居た。
 三人で顔を見合わせると、自然と笑が溢れた。
 そうして俺たちも、会長の横へと並び、謝罪した。

 蹲って、泣いている生徒もいた。
 怒り始める生徒もいた。
 だけど結局みんな、彼ら以外にトップに立てる人など居ないと知っているのだ。

「頼むよ会長!!」
「今度こそ裏切らないでっ!」
「戻ってきてくれてありがとうございますっ」

 様々な激励の言葉を受けながら、生徒会は再び立ち上がった。



 ◇



「綾瀬が自主退学した」

 生徒会が再び立ち上がった次の日、会長の口から聞かされたのは副会長の事だった。
 素行があまりに悪く、遂に理事長直々に退学へと追い込まれた日向ミチル。一人では行かせないと、副会長は日向と共に自主退学したと言う。

 その時初めて、俺は綾瀬副会長の本気を知った。
 遊びでもなく、逃げていた訳でもなく、彼は本気で日向に惹かれていたのだ。
 俺は何も分かって無かった。
 俺は何もかも知らな過ぎた。

 もう完全に元に戻ることは出来ない。
 だったら、新しく始めるしかない。

「皆さんに話があります」










「後悔…してるのか」

 未だ中庭の二人を見つめたままの俺に、歩は探るように問う。

「してないよ。何度考えても、これが最善だった」

 風紀委員への移動を伝えた俺を、誰も責めはしなかった。
 浅尾先輩が何かを言おうとして口を開いたけれど、結局何も言わぬまま閉ざされ、遂に言葉が出ることは無かった。
 その日は生徒会の補佐として最後の仕事を行った。
 殆んど時間は移動の為の片付けに当ててしまったけど、思い出がひとつひとつ飛び出て来るようで充実した時間を過ごす事ができたと思う。

「旬、寮に戻ろう」

 雨宮先輩に声をかけられ周りを見渡すと、いつの間にぼうっとしていたのか、既に他の役員は帰った後だった。

「あれ…俺…」
「帰ろう」

 長くて、短い帰り道。互いに話すことなく、ただ静かに歩いていた。
 そうして寮の明かりが見え始めたところで、少し前を歩いていた先輩が突然足を止める。

「先輩?」
「………」

 前に回り込んで顔を覗き込むけど、先輩は俯いたまま目を合わせなかった。

「もう、ずっと前から決めてたの…?」

 それが風紀への移動の話だと、少し考えてから気付く。

「決めたのは…まだ最近です。でも、ずっと考えてました」

 違和感はずっとあった。そしてその理由を、会長の言葉で何かがカチリと噛み合い、突如理解することになる。
 あぁ、俺はここに居るべき人間では無かったのだ、と。

 俺は生徒にではなく、教師に選ばれ生徒会へと入った。それは一種の、教師による実験のようなものだった。 でもそれが間違いだった。踏み込んではいけない領域に、俺は踏み込んでしまった。
 そうして多く歯車を狂わせてしまったのだ。

「きっと、もう何を言っても引き止められないんだね…」
「俺は絶対、風紀に向いてるから」

 そう言って笑えば、先輩は漸く俺の目を見てくれた。
 とても悲しそうな目をしていたけど、それでも揺れてはいなかった。俺の好きだった、大好きだった、真っ直ぐな目をしていた。
 するりと右の頬を撫でられ、そのまま後頭部を引き寄せられる。

「んっ、んんッ…」

 深いキスを与えられる。

「はっ…、んっ、」

 何度も息継ぎをしながら唇を重ね、いよいよ酸欠に呼吸が荒くなってきた頃。唇は漸く解放され、途端に強く抱きしめられた。

「………」

 先輩は何も言わない。
 きっと俺の出した答えを知っているからだ。

「俺、応援してますから」
「………」
「もう側には居られないけど、ずっとずっと、応援してますから」

 誰よりも側にいられた、あの日々を忘れはしない。
 好きだった、本当に。
 狂おしいほどに、大好きだった。


 強さの増した先輩の腕に身を任せて、俺もその背に腕をまわした。








 茜色に染まり始めた木々の向こうへ、二つの背中が消えていく。

「歩、行こう」

 歩の腕を引っ張り、前へ進む。
 自分の歩むべき道を進んでいる実感があった。

「ちゃんと、お前の気持ちに答えるからな…」
「は、なに?」
「何でもない! ほら、急がないと俺たちが藤村さんに殺される!」
「げっ!」



 走り出した俺たちは
 
 確かに今、未来に向かっている。


END


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