それは確かに。
「はいはーい、じゃあラストは買い出し係ふたり! 引きまーす!!」
「おお、出ました! 幾島と〜…水澤! よろしくー!!」
高校二年、残暑厳しい中の体育祭が終わって間も無く準備に入る文化祭。
出し物を何の捻りも無い喫茶店に決めた俺、幾島 巴(いくしまとも)のクラスは、主な雑務もくじ引きで決めようと言う適当具合。
取り敢えず変なことをさせられなくて済んだ事にホッとしたのもつかの間、完全なる雑用が当たってしまった。
(あぁ、しかも相方が水澤…)
水澤 旭(みずさわあさひ)は色んな意味で有名人だった。
まずは外見。男から見ても格好いいと認めざるを得ない程の美形だ。
肌の色は白いが、髪は艶やかな黒髪。適度な量の長いまつ毛に縁取られた切れ長の目は、冷たい印象を与えつつもそこら中の女子たちを骨抜きにして止まない、らしい。
水澤が有名人なのは、何もその外見だけではない。
彼は背がとても高くバレー部に所属、そこで存分にその高さを活用し、一年生の頃からレギュラーとして活躍してる。
ウチの学校のバレー部は強豪で、全国大会で何度も優勝を掲げた超名門。
そんな名門校のバレー部のエースに、一年から入るとはよっぽどの実力者なのだと素人の俺でも分かる。
「幾島ぁ〜ハズレおめでとー!」
帰りのホームルームが終わり、カバンを肩に担ぎ教室を出ようとしたところで、クラス委員の萩野から思い切り背中に突進を受けた。
「お前が引いたんだろが」
「えへへ、ごめーんね?」
ちっとも可愛くない顔で謝られたってヤル気は出ない。そのまま一緒に帰る気なのか、隣に並んで歩き出した。
「しっかし、相方が水澤とはね! どーすんの?」
最後にもうひとつ。
水澤が有名な理由が有るのだが、それは『寡黙すぎる』ことだった。
話しかけられても返事は大抵単語でしか返ってこず、まず自分から話す事は無いものだから余計に会話は広がらず成り立ちもしないのだ。
男で有ろうが女で有ろうがその対応は同じであり、つまりは誰も仲良くなることが出来ない。
そう言えば、水澤と親しい者を見たことがない気がする。
そんな男とふたりで買い物…。
それも複数回行かねばならないとなると頭の痛い話だ。
「どーすっかな…」
いくら悩めど解決策は浮かばず、いよいよ明日から文化祭準備はスタートする。
◇
「水澤と幾島、こっち来て〜」
クラス委員の萩野に呼ばれ教卓の前まで移動すると、
「はい、じゃーこれが買い物リストと買い出し専用の財布ね」
無駄遣いするなよ? と、メモ用紙を挟んだ薄っぺらい長財布を渡された。
いよいよ今日から六限目と放課後は文化祭の準備に変わる。
看板などを作る大道具の係りも担いながら、買い出し係もやらねばならないとは本当に面倒な話だ。
無言で財布を受け取りチラリと横の男を伺うと、
(うわぁ…)
ジッとこちらを見ていたらしく目があった。
まさに圧巻だ。やはり良い男を間近で見るのは迫力が有る。
背もやっぱり高い。180有る俺より目線がもう少し上に有るのだ。
「あ、あぁ〜と、じゃあ、行くか?」
イケメンにあてられた俺は、何だかかっこ悪い程にどもってしまったが、言いたいことはちゃんと伝わったらしい。
コクリと頷く男を促し、早速買い物に出かける事になった。
渡されたメモに書いて有るものは、殆んどがお菓子やジュースなどの休憩時に欲しいものだった。
「本物の雑務じゃねーか」
ハァ、とため息を吐き出しつぶやくと、ずっと無言で隣を歩いていた水澤がメモを覗き込んで来た。
「あ」
「ん?」
「これ」
水澤が指差したお菓子らしきものの名前、“チョコロン”。
「なに?」
「これ、三橋のスーパーにしか無い」
「三橋…はぁ!?」
三橋は学校の最寄り駅から二駅離れた所だ。
まぁそれ程遠くは無いのだが、たかだか休憩の菓子を買いに行くには面倒すぎる。
「まぢかよ。めちゃくちゃ面倒臭ぇな、どうする?」
問いかけてから、しまった、と思った。
相手はあの水澤だ。
今の会話だけでも奇跡的なのに、相談に答えてくれる可能性なんて無いに等しい。
「今回限りってことで、今日は買いに行くとか」
「え、…えっ!!」
「……」
「あっ、いや、うん、まぁ……行くか」
まさか、こんなまともに会話ができるとは思って無くて、意外過ぎてパニくった。
そのまま何だか変な空気になってしまい結局駅まで互いに無言で歩いた。でも、こんな空気を作ったのは俺なんだと思うとそのままにも出来なくて、電車を待つ間に解決に乗り出した。
「えーと、その…さっきは悪かった」
「…?」
恥ずかしいやら後ろめたいやらで、相手を見れず無意識に足元へ視線を落とす。
突然話し始めたから、水澤には何のことだか分からなかったみたいだ。
「その、さっき…さ、変な態度取っちまったろ? せっかく提案してくれたのに。なんつーか、お前が普通に会話してくれると思ってなくてさ。失礼な話だけど、ちょっと驚いちまったんだ。悪かったよ」
「……」
ジッと見られてる視線で、左側の頬が痛い。
ヤバイ、更に空気悪くなったかも。なんてまた焦り始めたその時。
「フハッ」
吹き出した様な声が聞こえてびっくりして思わず隣を見ると、水澤が口元を手で抑えて肩を震わせていた。
「え、え?おい…」
何だろう。気分でも悪いのか?
慌てて顔を覗き込んで見ると水澤は。
「……なに笑ってんだよ」
「ごめん。面と向かってそんなストレートに言われたの、初めてだから」
そう言って真顔に戻すものの、また我慢出来なくなったのか肩を揺らしている。
「ッだよ。素直に謝ったのに」
初めて笑った顔を見たことの衝撃と、自分の余りに素直過ぎた失礼な謝罪に恥ずかしくなり、自然と顔は紅潮してしまう。
「うん、ごめんね」
でも、そんな風に素直に謝られれば今度は逆に戸惑ってしまった。
お前は悪く無いのだから謝るな、と言おうと思って隣を見れば、まだ水澤が笑っていたので思わず足が出る。
「テメェ、笑過ぎなんだよ!」
「いてっ!」
電車の中ではたわいも無い話をした。
話すのは殆んど俺からだったけど、水澤はちゃんと話したことにポツリポツリと返事を返してくれる。
そして、たまにだけど水澤からも話をしてくたりした。
最初に感じてた不安やらはどこへ消え去ったのか、いつの間にか二人で居ることに何の違和感も無くなっていた。
◇
「水澤、買い出し行くぞ」
「分かった」
そうして二人連なって教室を出て行く姿に、暫くの間同じクラスは勿論のこと他のクラスの奴らまで驚いていた。
やがて見慣れて落ち着いてきたものの、次に訪れたのは。
「ねぇねぇ幾島君、水澤君のケイタイ番号とアドレス知ってる?」
「今度みんなで遊びに行かない? 水澤君も誘ってさ」
「いつも水澤君と、どんな話してるの?」
すっかり忘れていたが、買い出し係の相方は有名人。
「なぁ水澤」
「なに」
「お前って…彼女とかいんの?」
「は?」
「いや、クラスの女子に聞けって言われてさ」
もう何度目か分からない買い出しの帰り道。
ポリポリと頭をかきながらチラリと隣を伺うと、水澤は黙ってジッとこっちを見ていた。
「な……なに」
「居るようにみえる?」
「え……見えねぇ、けど」
「だろうね」
水澤が笑った。それを見た俺の心臓がドクリと跳ねる。
「え、いんの?」
「いない」
「……好きな奴は?」
「それも聞けって?」
「へ!? ま、まぁ」
嘘。本当はそんな細かく言われてない。俺が気になっただけだ。
「幾島は」
「はぇ?」
何なのその返事、とまた笑ってる。最近水澤がよく笑う。
それを見て女が寄ってくる。
水澤の笑顔はまるで花の蜜だ。…あれ? 普通女が花だよな。
「幾島は好きな奴、いるの」
ビックリして水澤をみたら、妙に真剣な顔をしていた。
「好きっつーか、一応彼女…いる…けど」
居るけど、もう三ヶ月くらい連絡を取っていない。連絡が無ければこのまま自然消滅する流れだろう。
あえて連絡してまで別れ話をする気も起きなかった。
「……へぇ」
「あ、おい」
突然早くなった歩調に慌ててついて行く。
「ちょ、早いって! なぁ水澤っ! みずっ」
「幾島くん?」
水澤の腕を何とか掴んだその時、突然反対側の腕を逆方向に引かれた。
「えっ!? ………野上?」
引かれた腕の先には、先程話題に出た俺の彼女が立っていた。
「こんな所で何してるの?」
「いや、文化祭の買い出しだけど…そっちこそ」
「私も買い出し」
久しぶりに会ったのに何を話したら良いのか分からず、そこで会話が終了する。
「あ〜…っと、ごめん。今急いでるからさ、またな! 水澤、行こう」
「幾島くん!」
今度は俺が水澤を追い越す。水澤は何も言わずについて来た。
暫らく呼び声が聞こえていたけど間も無く、彼女の姿は見えなくなった。
「…ごめん、変なところ見られたな」
「別に」
「水澤…、さっきから何か怒ってねぇ?」
心なしか何時もよりムスッとして見える。
「別れたと思ってた」
「え、なに?」
水澤がボソリと何か呟いたが上手く聞き取れない。
「ねぇ、幾島。好きってなに」
「え」
「さっき聞いたよね、好きな奴はいるかって」
「あ、あぁ」
「正直俺にはそう言うのって分からない。けど、独占欲が抑えられない相手なら……いる」
部活あるから先戻る。
そう言って水澤は足早に消えていく。俺はその後を追うこともできず呆然と立ち尽くして居た。
“独占欲”と言った水澤の声が耳に残る。恋愛感情なんて凍てついてしまっていそうな水澤に、独占欲を湧かせるなんてどんな子だろう。
野上は可愛い子だと思う。さっき出くわした時もそう思った。付き合ってくれと言われて、可愛いと思ったから付き合った。
けど、ただそれだけだ。
『好きってなに』
その水澤の言葉は、思った以上に俺へ重くのしかかって来た。
◇
「幾島ぁ〜、今日から買い出しは俺とペアな!」
「へ? 何で? 水澤は?」
結局昨日は後から遅れて帰ると水澤はもういなくなっていた。近々試合が有るとかで部活へ呼び出されたらしい。
「今まで無理して手伝ってくれてたみたいでさ、部活の方がもう厳しーんだとよぉ」
そんな萩野の説明に、俺は素直に納得することが出来なかった。
途中から様子の可笑しかった水澤。責める様な声と、先に帰ってしまった彼奴の後ろ姿。
避けられた…? と思った途端に胸がぎゅっと縮んだ。
「っ、」
「幾島、どったぁ?」
「な、なんでも無い」
「ふーん? じゃ、行こうぜ!」
大して気にもしてなさそうな萩野は俺を置いてどんどん進んでいく。
そんな萩野を追って足を動かすがその足取りは重く…気分までずっしりと重みを増していた。
目も合わ無い。会話も無い。どうしたら良いのか分からない。
買い出しと言う接点を無くしてからと言うもの、驚くほどに水澤と関わることが無くなった。
良く考えればそんな状況は元からだったはずなのに、ほんの二週間程度関わっただけでこんなにも心が騒ぐ。
あの日胸に引っかかった物は今もまだ残ったままで、痛みはどんどん広がっていた。
理由の分から無いモヤモヤした気持ちは、解消する解決の糸口すらも見つかっていない。そしてそんなモヤモヤを更に増殖させるかの如く、水澤の噂を耳にした。
――最近不調らしい
そんな噂は、よく体育館の外で先輩に怒鳴られていると言う目撃情報が真実味を強めている。
自惚れでもなんでも無く、彼奴の不調には俺が関わっている気がした。それは単なる勘だけど、何故か自信があった。
二人してなにやってんだ。
俺はどうしたいのだろうか。
彼奴はどうしたいのだろうか。
突然崩れた築き始めていた関係を、どうしていくべきか悩みながら。
今日もまた萩野の後ろを歩きながら買い出しへと向かった。
「あれ? なぁオイ幾島」
「ん?」
「あれってさ…」
そう言っ萩野の指差す方向には。
「野上…」
数日前に出会ったその場所に彼女は立っていた。
「ここに居たら会えるかと思って」
用事があるなら、携帯に連絡してくれれば良いのに。そんな思いが顔に出たのだろう、何も言っていないのに野上は「直接会いたかったし、避けられたら嫌だったから…」と苦笑した。
学校に戻れば、周りにはもう生徒は誰もいなくなっていた。
空き教室の中に置かれた物を見れば、文化祭の出し物の準備も完成間近だと分かる。
誰もいないその静かで暗い部屋からカバンを強く握りしめて外へ出る。
意気込んで足を向ける場所は、一つだ。
◇
「何度言えば分かるっ、全然集中出来てない!! 足手まといになるだけだ、やる気が無いなら辞めちまえ!!」
怒鳴っているのはバレー部の顧問だろうか、怒鳴られていた者は顧問が去った後も俯き微動だにしない。
「水澤…」
ジャリ、と足元の音を立て消していた気配を元に戻し近づくと、呼びかけにビクリと肩をはねさせ水澤がこちらを向いた。
「いく…しま」
ハッとした表情を見せたが、瞬時に見られた場面を思い出したのか罰悪そうに顔を背けてしまう。
背けられて見えた左の頬は殴られたのか赤くなっていた。
「水澤…ほっぺた、それっ」
今度は俺がハッとして駆け寄り肩を掴むと、水澤に思い切り振り払われた。
「いつものことだ、気にすんな」
そう言って歩き出した水澤は、体育館から離れて行こうとしている。
「戻んねぇの?」
慌てて後を追うと、それに気付いた水澤が足を止め振り返る。
「…なに、何か用なの」
氷みたいに冷たい声に、無意識に俺の身体はびくんと跳ねた。が、問われた通り、俺には水澤に話したいことが…いや、話さねばならないことがあった。
「俺、野上と別れた」
話の順序や色々な事を考えてから来たはずなのに、全てぶっ飛んでそれだけが最初に口をついて出た。
正直意味不明だろうと焦ったが、チラリと伺った水澤の様子は意外なものだった。
俺の言葉に驚いて、目を見開いてる。
「今日直接会って、キチンと別れて来た」
「な…何で」
「ハッキリ言われた。『幾島くんは、私のことを好きじゃないよね』って」
気付かれていた。
水澤に『好きってなに』と言われたの瞬間に、自分でも気付いてしまった。
「水澤と同じで、俺も好きってなんなのか…全然分かんねんだ。もう一度やり直そうって言われたけど無理だった。もうあの日からずっと、俺はお前の事ばっか考えてる。モヤモヤしてどうしようも無いし、毎日楽しくないし…。俺、お前の独占欲を煽る奴が誰なのか気になって仕方ねぇんだ」
もしも。
もしもまだそれが“好き”に辿り着いてないなら。
もしもまだそこに入り込む余地があるなら。
「どうか俺と一緒に! “好き”が何なのか探しませんかっ!!」
プロポーズの時に花束を差し出す様に。
俺は水澤にカバンから出したソレを差し出した。
「……チョコロン」
「無頓着な水澤が唯一詳しかったヤツだから、好きなんだと思って買って来た」
それをチョイスした理由を述べるものの、未だ水澤の顔は怖くて見られない。お辞儀のポーズのまま永遠チョコロンを差し出している俺。
「フハッ」
差し出した腕がプルプルし始めた時、突然頭上から吹き出す声が聞こえ思わず顔を上げると。
「………水澤?」
俺から背けた顔を手の甲で押さえ、肩を震わせている。
……くそ、笑ってやがる。
「くっ、…うはっ! ははっ!」
「何で笑うんだよ! 今はシリアスな感じだっただろーがよ!」
あのポーカーフェイスの水澤が声を上げて笑っている。
真剣によく分からないアピールをした身としては余り茶化して欲しく無いところだけど、久しぶりに水澤と話せたことが思っていた以上に嬉しかった。
怒りながらも、微妙に顔がニヤケてしまう。
「ホント…何で幾島はいつも予想外の事をするんだろ」
「何だよ、俺は必死で考えたのによぉ。お前、急に俺の事避け始めるし、結構傷付いたんだからな?」
まだクククッと笑っている水澤に、ぷぅっと頬を膨らませて抗議する。すると水澤は笑うのを止め、少し眉を下げた。
「傷、付いたんだ?」
「付いた付いた! ふっかーいのがな!」
「俺と話せないことで?」
「だからそーだって! 寂しかったんだよ!! この際だからゲロっとくけど夜なんて寝れなくなったし、ちょっと風呂とかで泣いたしな! だからどうしようか一生懸命考え……て…」
言いながら見た水澤の顔は、目を潤ませ泣きそうな顔だった。
そんな水澤を何だか可愛らしいと思った。
「あ、俺……水澤を独占したいかも」
思わず出たそのセリフに水澤は顔を真っ赤に染めると、「それは反則」と呟き間合いを詰めて抱きしめて来た。
俺の肩に頭を預けている。
そんな水澤の行為にも、不思議と違和感も何も感じなかった。
寧ろじんわりと伝わってくる水澤の体温に、いつしかモヤモヤは消えつつあった。
『好き』が何なのかなんてハッキリ分からない。
けど、言葉より確かなものがそこにあった。
互いに名前を知らないだけで
それは、確かに―――
「あっ!!つかお前、お前の独占欲を煽る奴って誰だよっ」
「幾島……ちょっと鈍すぎる」
END
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