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▼ 桜庭薫と一緒に宅飲み

 仕事の休憩中に携帯を確認したら、メッセージの通知が点滅していた。
 仕事関係者からの連絡が今来るはずもなし。友人家族からの連絡は夕方や夜が多い。じゃあ誰だ? と確認すれば、驚いてついタップする手が止まってしまった。
 あまり連絡を自分から寄越さない彼氏からだった。
 め、珍しい。本当に。自分も言えた義理はないが、所謂内容の無いメッセージを送ることも送られることも嫌うたちで、必要最低限のやり取りしないせいで、そもそも送られてくる頻度が少ないのだ。加えて、私が休憩時間にしか触れないような昼時に送ってくるなど、よほど緊急の連絡かもしれない。
 何かあったのかと少しドギマギしながら目を通せば、

『良い肴を頂いた。今夜家で飲めるか?』

 と、まさかまさかの拍子抜け。酒盛りの誘いだった。
 そういえば、昨日今日で都心を離れてロケに行ってくると、いつだか……一週間前に会った時だったかに言っていた気がする。気もそぞろで聞いていたせいで具体的な地名は覚えていないのだが。
 彼がわざわざこんなメッセージを残してまで誘ってくるということは、相当に良いものを貰ってきたに違いない。しかも当日指定で。恋人の予定までわざわざ聞いて。
 学生時代に出会った当初こそ、ストレートな物言いで敵を作りまくっていたのを目の当たりにして若干引いていたものだが、今ではその言葉の裏を勘繰るぐらい造作もなくなってしまった。付き合いの長さってすごい。
 勿論、そんなこと本人には言わないけど。素直じゃなくてすぐ拗ねるから。
 相手のメッセージに既読マークを付けてすぐ、行くぞ!という意思表示をスタンプで送った。
 送った直後にこちらにも既読が付いた。こいつ、この画面開けて待ってたな?

『直帰で来て良い。待ってる』

 口ぶりからして、もう自宅に帰ってきているんだろうか。こちらの退勤時間をある程度知っているからこその発言。
 友人期間こそ長かったものの、こういう直接的な、そして愛情深い言葉を聞いたのは恋人関係になってからだ。
 お世辞にも良いとは言えないお口だけど、意外とメッセージ上だと優しくて心臓に悪い。本人の口から「待ってる」なんて言われたことはないから、不覚にもときめいてしまって悔しい。
 悔しいから、その爆弾ワードの後には何も返さなかった。既読無視をしたけど、多分された当人は『目を通した』確認が取れて良しくらいにしか思っていないだろう。


***


 父親が酒飲みだったので、夕飯時にアルコールを嗜む父親の姿は日常だったし、家にお酒があることも日常茶飯事だった。でも、子供だった当時の私には正直関係ないことでもあった。
 そんな私がついにお酒を身近としたのは、成人した誕生日当日。ついに娘と一緒にお酒が飲めると張り切った父親は、私が生まれた年に作られたというお酒を用意していた。
 父親泣かせの娘で本当に申し訳ないのだが、洋酒だったことは覚えていても詳しい銘柄や作られた国やらまで覚えていない。小さなグラスに氷と共に注がれた液体が、家の照明に反射して綺麗だったことは覚えている。美味しそうに飲む父親を幼い頃から見ていた手前、さぞ美味しい飲み物なんだろうと一口、いやそれどころか一舐めしたところで、舌先が痺れた。
 妙な、ハードルが上がっていたんだと思う。成人したてのまだまだ子供に毛が生えたような人生経験、舌に乗せた食材や味の複雑さも大して知らなかった私には、到底美味しいものだとは思えなかった。
 これはお前が飲むといい。飲まなくても、捨てるなり人にあげるなり好きにして良いから。
 と、父親はそのボトルから注がれたお酒を自ら飲むことはしなかった。
 すると、どうなる。そのお酒はしばらく家に鎮座していた。減ることもないまま。


***


「……大学の成人祝いの席で、君が持ち寄った洋酒があっただろう」
「ん?」

 無音だとなんかすぐにいかがわしい空気になるような気がして、別に見ているわけでもないのにBGM代わりに付けられているテレビの音だけが少しだけ部屋の中を満たした。
 会話の話題転換にしては長かった間の末、桜庭の口から出てきたのは、10年前とまでは言わないけど、かなり年季の入った話題だった。

「また随分と昔の話だねぇ」
「忘れたか?」
「いや、覚えてるけど……」

 なんでこのタイミングでその話なんだ? と白ワインを飲みながら頂きもの貝の乾物を口に放り込む。
 ワインに合うつまみとして乾物を見せられた時は正気を疑ったが、意外や意外。これがまた相性が良い。白ワインには魚が合うって話は耳にしたことがあったけど、貝でも乾物でも良いんだなぁ。
 咀嚼しながら昔を懐かしむ。

「ゼミか何かの集まりだっけ? そういうの来ない桜庭が居たから驚いた記憶がある」
「そうだな。時間の無駄だと参加していなかったが、教授に今回だけとせがまれて渋々行った」

 それは知らなかった。
 そう、その物珍しさに女性陣が浮き足立っていたのも思い出した。桜庭、顔だけは良いから結構おモテてになっておいでだったけど、多分当人にとっては煩わしいだけだったんだろうな。
 桜庭も、グラスに注がれた少ないワインを一口で煽る。
 私はお酒が強くも弱くもないけど、対して桜庭は私に比べれば幾分も飲める。こうやって一緒に桜庭の家でくつろぎながらお酒飲む回数も増えたが、いつもボトル半分以上は桜庭の胃の中だ。

「教授の家にいろいろ持ち寄って、料理とか振る舞われたよねぇ。すごかったなぁ」
「ああ。あの頃にはゼミ生全員が成人していたから、酒も飲んだ」
「そうそう。それで私、お父さんに貰ったは良いけど辛くて飲めなかったお酒持って行ったんだよね」
「確かに教授も、飲みたいものを持ってこいとは言っていたが、あれだけ渋いものを持ってきたのもお前だけだったな」

 貝柱の乾物がとても美味しい。
 正直お酒よりもこっちをメインで食べている気がする。が、別に貰ってきた張本人である桜庭が、私の止まらない手を止めないので遠慮せずに口に放り込んでいる。
 噛めば噛むほど味がする。ほろほろと口の中で身が解けていくのも幸せだ。

「全員、物は試しと川口の酒に口をつけたが、かなりクセのある味だったからな」
「あはは。誰かしら飲めるかと思って持っていったのに、全然減らなかったね」
「酒飲みの父親らしい選択なんだろうが、君も含め、学生には強すぎた」

 言いながら含み笑いのような、口角を上げて桜庭は少し笑った。
 こちらへ向けて少しだけ目を細めながら表情を見せるもんだから、若干腹が立つ。

「なーにさ、同い年だけど自分だけ美味しく当時から飲めたからって、マウントですかぁ?」
「何を言っているんだ。そんなこと言っていない」

 当時の情景は、昔だが比較的鮮明だ。
 結局、そのお酒は教授と桜庭が飲んでいた。口に合うのが、この二人しかいなかったからだ。
 具体的な言葉までは流石に忘れたが、その日の内に桜庭と交わした会話が、脳内にぽつぽつと浮かび上がってくる。

「あれ、それでなんで、残りを桜庭にあげる流れになったんだっけ……?」

 私と、桜庭と、教授と。
 大学での講義の後、桜庭が教授に質問を投げかけている内容が興味深くて、なんとなく居残っては会話を眺めていた。それは毎週の、大学の教室内での記憶だ。
 桜庭薫という男は、そもそも友達付き合いが悪かった。悪いというか、むしろ友人を作るという行為すら見かけた試しがなかった。
 だから、私も特別桜庭と仲が良かったわけでも、会話をするわけでも、ましてや友達だとすら、互いに認識はしていなかったと思う。
 それでも、ゼミの後の小一時間。なんとなく、その距離感は続いていた。
 桜庭が、私がその空間にいることを拒否しなかったのは事実だ。
 その日は、教室ではなく教授のひっろい家で。周りに同じゼミのみんなもいたけど。
 良い時間になったし、長居は教授のご家族にも迷惑だと、各々帰宅準備に入った頃合いだったか。お皿を片付けるのを手伝う傍で、何か、桜庭と会話をした記憶がある。

「……覚えていないか」
「うーん? 何か会話をした記憶はあるけど、内容までは……」
「あの時君は、自分より美味しそうに飲んでたし僕も同い年でちょうど良いから良かったら貰ってくれと言ったんだ」

 …………。そんなこと言ったかな。

「あの時、……今より子供だったから、君は僕に惚れてるんだと思った」
「はぁ? 話が飛躍しすぎでは?」

 思いもよらない言葉に、つい桜庭の顔を凝視してしまう。
 桜庭も昔を懐かしんでいるのだろうか、表情は存外穏やかではあったが、頬が少し赤い気もする。照れているからなのか、アルコールの影響から血の巡りが良くなっているからか、どちらかまではわからないけど。

「当時は子供だったからと言っているだろう。自分でも浅はかだと思う」
「はー、なるほどね。だからあの日から、なんか話しかけてくるようになったのか」
「……若気の至りだ」

 私はてっきり、なんかこう、お酒もらったお礼したいけど友達とかいたこと少ないから距離感を測り損ねているしどうしたら良いのかわからなくて、でもとりあえず会話はしておこうみたいな感じで、親密になったのだと思っていた。
 勿論、声に出しては言わない。拗ねるからどうせ。

「失礼なことを考えていないか?」
「全然?」

 ……相手の心中を察しているのは私だけではないらしい。
 笑ってごまかしておこう。

「で、なんでこんな懐かしい話が唐突に出てきたのさ?」

 私の顔が嫌いではないであろう桜庭、見事撃退されたらしくすごすごと酒を煽っている。
 そして小さな口で貝を頬張ると、そんな話を聞きたいのかと言いたげな表情をした。

「今日行ったロケでな、酒に関するエピソードを話せと要求された」
「ふーん。いつもの三人で行ったの?」
「いや、柏木は別の収録で予定が合わなかった。天道は……下戸だから番組の趣旨と合わんから論外だ」

 なるほど、お酒関係のロケだったわけだ。
 じゃあ確かに、つまみを貰って帰ってくるのもわかる。

「事務所の年長者数名だ。全員酒を嗜んでいる」
「それで、まさか今の彼女との馴れ初めを話したわけ?」
「まさか。アイドルだぞ、そんな迂闊なことはしない。……ワイン好きが高じて、ワインセラーを買ったという話をした」

 桜庭は誤魔化すように言っているけど、そのワインセラーだって、外で私と気軽に美味しくワインが飲めないからという理由でそこそこのお値段のものを買ったという話だろうに。
 改めて、自分という存在がアイドル桜庭薫の人生に食い込んでいる事実に、なんとなく恥ずかしさを覚えた。
 お酒を急に煽ったわけでもないのに、頬が高揚するのを自覚する。自覚してるのだから、はたから見ても丸わかりだろう。

「何を照れているんだ。別に君のために買ったわけではないと何度も言ってるだろう」
「ええー嘘だー。だって私の好みに合わせて甘口のワインばっかり置いてるのにー」
「それは……、」

 知っている。何年の付き合いだと思っているのか。
 あまり辛口のお酒が好きではない私のために甘口のワインをよく買ってくることも。実は私と二人で飲むのが好きなくせに、自分と異性が二人きりになると何かと私に被害が及ぶかもしれないから、外食などを控えていること。……そうやって自分の都合に合わせてしまっていることを、実は申し訳なく思っていることも。

「前さ、お酒だったら焼酎とかも好きってお昼の番組で言ってたよね」
「……見てたのか」
「でもさ、ぜーんぜん買ってこないよね。私が飲めないから?」
「さあな。意外だと言われて、何となく飲んでいないだけだ」

 あーあ、拗ねてそっぽ向いちゃった。でも、明後日の方向を向いたせいで、赤い耳をこちらに見せてしまっている。

「はは。可愛いなー桜庭は」
「うるさい。もうその様子なら満腹だな。最後の一つはもらうぞ」

 そう言うと、桜庭は間髪入れずに最後の乾物を口に運んだ。

「あー! 取っておいたのに!」
「早い者勝ちだ。……もう遅いし、今日は泊まっていくだろう。早く風呂に入ってこい」

 言うや否や立ち上がって、空のグラスを台所へ運び始める。へそ曲げちゃった。完全にお開きにしたい流れらしい。

「着替えの用意ないよ」
「前に泊まった時のものがあるだろ。水分補給してから風呂場に行け」
「……はーい」

 出たーさりげなく優しいやつー。
 さらっと泊まっていくように言ってるけど、多分今日呼んだ時から泊めるつもりで、終電ギリギリになる頃合いまで時間の話題を出さなかった確信犯だ。
 今日の下着そんな可愛いもんでもないけどなーでも風呂上がったら着けなくて良いかーとか考えてたら、うっかり水を飲まずに風呂場へ直行してしまい、服脱ぎかけの状態で水を持った桜庭を風呂場まで来させてしまった。
 さりげなく下着をチラ見するな。このむっつりめ。





220118
リクエスト『桜庭薫さんとPではない恋人の夢主が宅飲みするお話』



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