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▼ 一般女性が鶴丸国永に助けられる

 どうやら、右隣の部屋に新しく人が越してきたらしい。
 知ったのはちょうど今朝。寒いこの時期の貴重な晴れ予報に、ウキウキしながらベランダで洗濯物を干していた時だ。
 三階の高さからアパートの出入り口を見下ろせば、小柄な自家用車からダンボール箱を下ろしている様子が目に入った。
 指示を出す女性が一人。テキパキと動く長身の男性が一人。そしてなにかとサボりがちな男性が一人。働き者の男性が、のんびりしてる男性を怒鳴る声が、外からではなく玄関の方から聞こえてきた。
 そういえば、隣人がいなくなってからもう数ヶ月は経った頃だろうか。遂に新しい人が来たんだなぁと独りごちていいると、相変わらず手伝わない男性と私の目が遭った。

「よぉ! 今日から騒がしくするが、よろしくな!」
「あっはい! よろしくお願いします!」

 細い体、明るい髪色、綺麗な顔つきからは想像しにくい、低めの声だった。
 地上から、三階にある部屋まで聞こえる、大きな声。私も反射的に言葉を返したが、小さすぎて聞こえていたかわからない。

「あの、隣に越してきた……佐藤と申します。騒がしいかもしれませんが、よろしくお願いしますね」
「あっはい、こちらこそ」

 後に挨拶に来たのは、指示を出していた女性だった。
 背格好は大きくもなく小さくもなく。しかし、背筋がピンと伸び、はきはきと喋る印象から、しっかりした人なんだなって思った。テキパキしてたし。

 さて、私が今借りているこのお部屋は、あまり広い部屋ではなく、どちらかと言えば一人暮らし向けの物件だと、借りる時に不動産屋さんから聞かされていた。あまり広くても持て余すだろうと、だからこの適度な広さの部屋に決めたのだ。職場の最寄りから電車一本で通えるのもポイントが高い。
 しかし、越してきた隣人はなんと、女性一人に加え男性二人という大人三人で生活を生活を始めたらしい。
 驚いた。一人一部屋にはならない人数だ。いったいどういう関係なのか。兄弟にしては似ていなかったしなぁ。親戚なのかな。それともルームシェア……でもシェアするには個室が足りないし……。
 壁が薄いということもないが、多少の生活音は聞こえる。そして何より不可解だったのが、朝、昼、夜、時間帯や天気、曜日を問わず、人の出入りがやたらとあることだった。
 朝、誰かが出ていったかと思えば、数日その人の姿を見なかったり、昼間に知らないお兄さんの声が聞こえたり、かと思えば夜に全員で家を開けてしばらく戻らないこともあった。
 こんなに詳細に覚えているのにはわけがある。隣人だから、玄関の開閉音が日常的に聞こえてくるからだ。決してわざわざ見に行ってストーカーまがいの行為をしているわけではない。
 全員、お昼に仕事をしている様子ではない。学生にしては生活リズムが不規則。どうにも素性がわからないご一行なので、正直最初は不信に思った。ただ、だからと言ってこちらに何か具体的な被害が出るわけでも無し。騒がしくするかもと断られた割にはそもそも家には不在。
 結局よくわからないまま、数週間が過ぎた。

 その日、週末で仕事仲間とお酒を楽しんで、いつもより遅い時間に帰宅した。
 駅からそう離れた場所ではないのだが、周りに住宅地が多いので静かなうえに街灯だけに照らされる道は暗い。
 妙齢の女性が一人で歩くには、少し危機感を持たねばと、ほろ酔いながらも周りを気にしながら歩いていた。
 と、その時、視界に花弁が数枚舞った。見間違いか? でも、確かに桃色の小さな花弁が、ひらひらと、落ちていったような。立ち止まって足元を確認するも、そこはいつものコンクリート。花弁なんて一枚もない。そもそも、この周りに桃色の花が咲く木なんて存在しないし、そんな季節でもないのだ。
 アルコールによる幻覚だろう。自分で思っているよりも酔っぱらっているのだ。
 歩みを進めた。もう少しでアパートに到着する。そんな時だった。
 背筋に寒気が走った。原因はわからない。が、確かに悪寒を感じたのだ。
 一体何に? と思う間もなく、獣のうめき声のような、腹に響く音が正面から聞こえる。視界には、いつも路地しか見えない。が、数度瞬きをする内に、何かを感じ取った。この先に、何かがいる。目には見えない。でも、他の感覚で、何かを感じ取った。
 体が震える。理由はやはりわからない。わからないけど、脳が訴えかけていた。このまま足を進めれば、お前は死ぬ、と。
 獣の声がまた聞こえた。さっき聞いた時よりも大きく、そして距離が近づいたように感じる。
 このままではまずい。逃げないと。
 それはわかっている。なのに、体が動かない。どうして。なんで。疑問と焦りで、呼吸が荒くなる。いやだ、死にたくない。近付く獣の声。もう耳元で聞こえる気すらしてくる。どうして。まだ何も見えない。何がいるの。なんで。助けて。

「もう大丈夫だ。安心しろ、俺が来たからな」

 獣の声じゃない声だった。人間の、話し声。その声は私に向って語っているのがわかた。そして、私はこの声を知っている。

「おっと、緊張で体が固まってしまったか? 無理もない、慣れてないだろうからな。今はとにかく深呼吸だ。吸ってー」
「すぅー……」
「吐いてー」
「はぁー……」
「もう一丁行こう。吸ってー」
「すぅーー……」
「吐いてー」
「はぁーー……」
「よっし、いい子だ。ほら、もう体は動くぞ」

 聞こえる声の主が言う通り、深呼吸をしたら体の震えも固まりも落ち着いていた。
 しかし、すぐに獣の声がまた聞こえる。

「さて……、君にはちょっと目をつむっておいてもらいたいんだが、できるかな?」
「はい。そのくらいなら」
「素直だな。じゃ、その場から動かないでくれよ……っ!」

 言われた通りに目をつむった。直後に、真横から風を切るような音が聞こえ、真正面で何かが激突するような鈍い音が聞こえた。
 一体、何が起こっているのか。何故、いつだかに聞いた引っ越してきた隣人の声が突然聞こえたのか。目を開いて確かめたい。
 私はその欲求に抗えなかった。思わず、目を開いてしまった。
 目の前には、暗闇ですら見えるほどの白い人間と思わしきものと、人間の三倍くらいありそうな、まがまがしくて黒い、そう、まるで鬼のような化け物が、棒のようなものをぶつけあっていった。

「おっと!? 存外きみは悪い子だな? じいさんの言うことは、聞いといたほうがいいぜ、っと」

 白い人は、私が目を開けたことにも気付いたらしい。なんで……?
 しかも、私に向けて言葉を発しながら、巨大な鬼のような化け物をいなし、そして膝をつかせていた。自身の体よりも大きな巨体を、細くしなやかな体躯で負かしている。

「ははっ、後ろだぜ?」

 笑っている。あんなに恐ろしい化け物と闘っているのに。
 白い人が化け物の後ろに回り込んだかと思いきや、棒だと思っていたもの――刀がきらりと光って、そして化け物を背中から貫いた。

『―――――――!!』

 形容しがたい絶叫を上げ、化け物の身体は朽ちていく。ばらばらと皮膚が表面から一枚一枚剥がれるように、まるで紙屑が燃えて煙と共に天へのぼっていくかのように、その巨体はものの数秒で跡形もなく消えた。
 白い人はそれを全て見届けると、いつの間にかその辺に投げたらしい、鞘に刀をしまった。

「うーん、その驚いた顔は魅力的だが、見られたのは厄介だな。さて、どうしたもんか」

 口ぶりは困ってそうだったけど、白い人はにこにこしている。さっきまで化け物と闘っていたようには見えない。街灯の明かりが反射して、暗いこの時間帯でも、かなり異質な存在に見える。
 衣装が白いだけではないのだ。髪も、まつ毛も、この人は白い。とても人間ではない。
 なのに、あの日に聞いた隣人の声がする。顔もそっくりだ。違うのは髪と目の色、そして服装だけだ。

「あの……あなたは……?」
「んー? そうだな、確かに混乱するだろうなこの状況。でも、取りあえず、何も聞かずに俺についてきてくれないか?」

 頭をかきながら軽く言ってくれる。

「えっと……その、正直、あなたは普通の人には見えないので、怪しい人には付いていきたくないんですけど」

 本音を伝えた。

「そうだろうな。しかし、きみがいけないんだ。目をつむっておけと言ったのに、開けてしまうから」
「…………」

 それを言われたら、ぐうの音も出ない。

「はっ、言い返す言葉はないって顔だな。決まり。どっちにしろ捕って食うわけじゃないんだ。安心してついてきてくれ!」

 そう言われて、鵜呑みにできるような状況ではない。
 しかし、身から出た錆。自業自得だと思って付いていった方がいいんだろうな。だって相手は刀を持っていたし、何か下手なことして殺されたりするのは嫌だ。

「わかりました」

 春には遠い、冬のおはなし。



200206



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