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▼ 粟田口一期先輩と初デートA

 恋人である男性とデートに行くのは一体いつ振りだろうか。訂正。恋人である男性とデートに行く前に、こんなにも心をときめかせているのはいつ振りだろうか。
 明日が遂にデート当日。夜な夜な着ていく服をああでもないこうでもないと思案している。
 待ち合わせは午前10時。奇跡的にも最寄り駅が同じなので、待ち合わせ場所はそこだ。
 家まで迎えに行きましょうか?と、天然なのか確信犯なのかわからないことを抜かすので、丁重にお断りをした。成人過ぎの娘の彼氏が家に来るって、なんか無性に生々しく思えてしまって駄目だった。
 以前、身体の具合を悪くした先輩を家まで送り届けたことがあるので、#雫#も家は知っている。何も言わずに急に訪ねていく悪戯でもしかけようかとも思ったが、後が怖いの辞めた。先輩の性格は悪い。
 先輩の買い物に付き合う、という当初の名目は崩れているが、他に特別やりたいことも行きたい場所もなかったので、結局お互いのクリスマスプレゼントを買いに行こうという話になった。
 そこは男として、彼女を喜ばすデートプラン考えろよ、とか、サプライズでプレゼント渡す、とか、恋人らしい振る舞いをしてもいいのでは、と小言をこぼしたら、「まだ知り合って数ヶ月しか経ってない相手にそんな冒険はできません」と、正論なのかただの臆病なのかどっちともとれることを言われた。しかし#雫#も「確かに」と納得した。いいんだ、最初のデートだし。
 明日の天気予報は晴れ。嬉しい。

***


 普段大学へ行く時は着ないような女性らしい服に身を包み、化粧も柔らかく施した。ばっちりだ。
 家を出る直前、顔を合わせた下の下の弟、即ちこの家の次男に「あれ、姉ちゃん今日デート?」とまさか言い当てられてしまった。流石この家の男兄弟唯一の彼女持ちである。適当にあしらったが、恐らくばれているだろう。
 家から駅までは遠くはない。歩いて数分だ。午前中の日差しはアスファルトを照らしているが、流石に冬。久し振りに出した足に冷たい風がまとまりつく。すぐに体温すら奪われそうだった。
 去年から使っているマフラーに顔をうずめ、駅へと歩きだす。

 人を待たせるくらいなら先について時間をつぶしていた方が精神衛生上楽なので、今日も#雫#は待ち合わせ時間よりも早くに到着した。
 それほど栄えている駅前ではないのだが、休日だと人は多かった。待ち合わせをしているであろう人々の中に、見知った影を見つけた。
 待ち合わせ10分前のことである。

「おはようございます。流石に速過ぎません?」

 壁に体を預けて本を読む様子は絵になる。モデル業をやっている友人もいると言っていたが、先輩も充分出来るのではないか?
 #雫#の声に気付き、本から上げた顔は綻んでいた。柔らかい笑顔に心臓が高鳴る。

「おはようございます。家が近いものですから」
「家が近いと、すぐに着くから〜って言って逆に遅刻するイメージあるんですけど」
「……男は女性と違って準備に時間がかかりませんので、」

 眉がハの字になった。困った時に浮かべる表情だということが、少し前にわかっていた。

「似合っています。……月並みな言葉しか出て来ませんな」
「あはは。嬉しいです。あるがとうございます」

 見栄は張るのに、他人に対しては直球な褒め言葉を投げてくる。心臓に悪い男だ。
 照れ臭くてマフラーで少し顔を隠そうと試みたが、「手、繋ぎたいです」とすぐに手を握られてしまった。しかも指を絡めて。
 暖房で温まっているであろう電車に乗る前から、体は熱い。
 手袋をしてこなくて正解だ。

 最寄駅から大学へ向かう沿線の街に向かう。定期代で運賃をちょろまかす算段だ。家族が大人数いるとバイト代だって自分だけの費用にはならないのだ。先輩は父親代わりだというし、#雫#よりもお金をあまり使いたくないはず。節約できるところは節約したい。
 電車内は空いているわけでもなく混んでいるわけでもなかった。休日の午前中なので、これから出かける人が利用しているのだろう。
 数駅は立っていたのだが、すぐに席が空いたので座った。……先輩の密着具合が気になる。

「体、くっつけ過ぎじゃないですか?」
「嫌ですか」

 嫌ではない。
 話を逸らそう。

「今日はバイト入ってないんですか?」
「ええ。久々のオフです」

 先輩はバーでアルバイトをしている。夜の仕事だ。
 先輩の家は大人数なので、お金はあればあるだけ困らないと言っていた。なので、学業の合間を見つけては過密にシフトを入れている。#雫#と知り合って数ヶ月、デートに行く暇がないほど忙しいのはこのせいだった。
 特にこの時期は、彼の弟たちへ用意するクリスマスプレゼント用の資金がかかる。弟たちを喜ばせるべくあくせく働いていたのだ。会えないからと文句を言う気になれなかった。
 それに、あまり女性関係に信用がないことをしていた先輩なので、会えない理由がバイトだとわかっているのは、妙な妄想をしなくて済む。自分ではなく別の女と会っているのではないかと考える隙がない。
 そもそも大学で顔を会わす機会が多いので、別段寂しい思いはしていなかったのだけども。

「なんか、先輩と並んで電車に乗っていると、いつだか風邪をひいた先輩を介抱した時のことを思い出します」
「あぁ。そんなこともありましたな。私は意識が朦朧としていて、あまりよく覚えてませんが」
「可愛かったんですよ。いつも意地悪さが無くて、甘えてきてて」
「……忘れてください」

 顔を背けられてしまった。さらさら流れる髪から覗く耳は赤い。
 これもこの数ヶ月で気付いたことだ。先輩は普段から人をからかって遊ぶのが好きなようだが、意外と自分が不利な状況には弱い。あとすぐに照れる。そして耳が赤くなる。
 しっかりしている、という評判が嘘ではないのだ。事実、しっかりしているし能力もあるし、ちゃんとやっている風を装うのが上手い。つまり最低限のことはきっちり終え、適度なところで息を抜く。器用なタイプだ。
 ただ、だからといって独りが好きなわけでも、一人で立っていられる性分でもないのだろう。弟という存在がある手前、見栄を張ることが日常になっているが、それでも甘えられる存在が必要だ。
 何故、#雫#がこんなにも先輩の性格を分析できているのかと言えば、それは#雫#も同じ立場だからだった。
 だから、#雫#はわかっている。しっかりしている自分を見せ続けなくていい気楽さを。
 要は、相性が良いのだ。

「駅についたら、まずどこに行きましょうか。貴方は何買うのか決まりましたか?」

 会話が一段落して窓の外の流れる景色を眺めていると、呆けた声で先輩は言った。
 先程から左手をもにょもにょと触られていて、くすぐったい。

「まぁ、大体は。あ、あと弟の誕生日が近いんで、それ買ってもいいですか」
「ええ勿論。そうか、もう決めてるのか。どうしようかな」
「…………」

 最終的に#雫#の手はまた先輩の手で包まれた。意識ているのか無意識でしてしまっているのかわからない。

「なんか先輩、今日可愛いですね?」
「はい?」

 声には驚きと笑いが含まれていた。

「心の声も全部だだ漏れですし、手もずっとにぎにぎしてくるし」
「にぎにぎ……」

 擬音語の復唱は止めて欲しかった。可愛いから。
 無自覚だったらしい。先輩の耳はまた赤くなった。空いている手は口元を覆う。目元しか見えないが渋い表情をしている。

「あー……。すみません。弟が幼い時に手を繋いでいたんですけど、多分その時からのクセで」

 なんだそのクセ。

「貴方と出かけられるのが嬉しくて、浮かれているのを通り越して気が抜けてしまったのかも」
「『浮かれる』の先は『気が抜ける』なんですか……?」
「ううーん」

 いや、悩まれても。

「あはは。なんか嬉しいです。きちっとしてない先輩が見られるの」
「男としては複雑ですが……、ああ、電車の暖房が強過ぎて頭がボーっとしてたということにしてください」
「しません」

 雑談をしていたら目的の駅に着いた。
 暖房の効いた電車から出ると寒さに迎えられた。いっそう手を強く握られるので、悪い気はしない。



190830



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