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▼ 粟田口一期先輩と初デート@

 声と主張の大きい人間に知られているのが痛手だった。大学内で優等生と名高い粟田口先輩と、成績は良い方だが容姿が目を引くほどパっとしないしがない女子大生が、果たして接点がろくにないのに付き合い出したという話題が大学内を駆け巡り何周もするまでに大した時間はかからない。
 雫が粟田口先輩と知り合ったのは比較的最近のことだったので偏見でしかなかったのだが、あまりにもファンクラブさえ出来ていてもおかしくない美丈夫の彼女として認知されるのは、不安な事案が大量なのでは?と心配もしていた。が、蓋を開けてみれば目立った被害は皆無だ。流石に周りは大学生。比較的高学歴が集まる成人前後の人間たちは、お行儀が良かったらしい。あ、今自分見られてるな、とか、こそこそ話は自分の話題だろうな、と察する場面はあっても、フィクションのようにいじめが発生するなどの事件はなかった。

***


 二人の逢瀬は専ら大学内だ。共通点は同じ大学に通っていることしかない。
 とは言うものの、少しだけ時の人となっていたために人の多い場所で会おうものなら周囲の人間の恰好の餌食である。それは困る。というより恥ずかしい。
 だが、この二人にはそもそも人の多い場所で出会う選択肢すらなかったのだ。
 何故なら、出会いの発端である場所が、人通りのない場所、即ち、二人きりになれる空間だったのだから。

 大学構内にある旧喫煙所は、建物を大きく外回りして辿り着く立地な挙句、野ざらしになっているためか極端に利用者が少ない。皆、室内にある新しくできた新喫煙所で紫煙を燻らせていた。
 しかし、雫は自分が喫煙者であることを周りの友人には一人ですら口外していなかった。なので、むしろ人の少ない喫煙所の方が都合が良かったのだ。
 そして、同じ考えの優等生が、そこにはいた。

 ここに来ていた当初は勿論煙草を吸っていた。のだが、紆余曲折を経て「付き合っている」と周囲に宣言してしまった両想いであろう相手に、「前の男が吸っていた煙草を私の前で吸われることも、ましてや臭いをさせていることも、良い気はしませんので」と、煙草を取り上げられた。
 今まで吸っていたものが突然無くなると反動は来るもので、どうしても恋しくなる瞬間もあった。
 それが顔に出ていたのだろう。時間の出来た時にふらっと訪ね、自分はモクモクと煙を立ち昇らせているのに吸わせてくれないうえ、「これで我慢してください」と唇を重ねられた。それも相当に深く。つい今までニコチンを摂ったその口で。ゆっくり、じっくり、優しく、顔に似合わず情熱的に。
 少し前、雫が恋心に自覚すらしていなかった時期に、無理やり唇を奪われたこともあった。その時は一瞬の出来事だった、ように今思い返すと感じる。
 彼はそのことを相当悔いているようで、関係が変化してから施される口づけはえらく優しさが伝わった。
 そしていつも、先輩は吸い始めた煙草を指に持ったまま、雫とのキスで時間を費やし、大して吸わずに灰にしてしまうのだ。

***


 特に示し合わせたわけでもないのだが、お互いにどこか出かけようとか、所謂デートの誘いはせずにいた。
 講義の入っていない時間に連絡を取り合っておちあう。たわいのない話をして終わることもあれば、口寂しそうにしている雫に先輩が嬉しそうに口づけすることも、悪戯に雫から突然先輩の唇を奪うこともあった。
 互いに二十歳そこそこの男女であり、交際経験も皆無ではなかった。そのため、相手の身体を求めたくなる瞬間も、無かったと言えば嘘になる。しかしここは外。それを置いておいてもここは大学構内。流石に行為に走ることは、成人もしている雫にとっては非常識極まりなく思えて、そこまで我を忘れないように自制を利かせていた。
 先輩はどう思っているのか、わからない。
 一度「一ヶ月くらいキスしかしてないですけど、えっちしたくないんですか?」と、さも日常会話の延長線かのように訪ねたこともある。
 その雰囲気に飲まれてか、一度普段通りに返答しようとしてから言葉の意味を噛み砕いた様で、時間をたっぷり使ってから「したいですけど、普通に時間がとれません」と割と冷静に返された。
 それが嬉しかった。ごく普通のことのように、自分をそういう目で見てくれていることが。この気持ちは、自分も同じなのだと。
 気恥ずかしさよりも嬉しさが上回って、心臓を高鳴らせながら先輩の手を握った。季節は冬。厚着をしても寒い。互いに手袋はしていない。触れ合った手は冷たかったし、少し乾燥していた。
 すぐに握り返された。先輩は大柄ではないが、手は大きいし骨が太い。指は長いが爪は平たく四角にできていて、雫の女性にしては大きい手もすっかり包まれてしまう。

「貴方も、そういうことを考えていたことが嬉しいです」

 握る手に力を込めながら、また優しいキスをくれた。
 11月も過ぎ去り、師も走るという月に入ろうかとした季節のことだった。

***


「買い物に付き合って頂きたいのです」

 冬の寒さも厳しさを増し、遂に外で会うのは厳しいということで、大学内の図書館の中でも、奥まって人が来ないスペースで談笑していた。すると先輩が、「そういえば」と冠を付けて口を開いたのだ。

「買い物……。何のですか?」
「クリスマスが近いでしょう。末弟はまだ小学生なので、サンタ役として見繕わないといけないので」

 あーなるほど。

「もうそんな時期ですもんね。うちも一番下が小学生なので上は気を使います。サンタの正体とか、うっかり口に出さないように」
「ふふ。この時期は年長者ほどピリピリしますよね」

 雫の両親も、この時期はプレゼントを聞き出すために『サンタさんへの手紙』を書かせたり、用意したプレゼントの隠し場所に困ったり、奔走しているのを思い出す。長姉として手伝う場面もあるが、両親ほどではない。
 と、そこで疑問が沸いて出てきた。

「先輩の家って両親いないんですか?」

 今の口ぶりだと、先輩がサンタ役って感じですけど。と口に出してから思った。
 これ、もしかしなくても、ものすごく、とてつもなく、デリケートな話題では? と。もう遅い。
 先輩の顔を伺った。しかし、特に変化もみられずケロっとしていた。

「言ってませんでしたか。うちは両親と一緒に住んでないというか、いや住んではいるんですよ父親とは。ただあまり家にいないので、行事ごとは基本的に私やすぐ下の弟たちでどうにかするといいますか」
「はぁ……。なんか、大変ですね」
「そうですね。歳の割に過ぎた苦労をしている自覚はあります」

 でも、人数が多いほうが楽しいので。と笑う先輩は、どう見ても優等生の良いお兄ちゃんだった。

「で、私は買い物に行って何をすればいいんですか?」
「はい。欲しがるプレゼントの中に、化粧用品がありまして。うちは男所帯ですし身近な女性もいないので、宜しければ貴方に指南して頂きたくて」

 なるほど、妹もいるんだろう。小学生とは言えそういうのが気になる年頃なんだろうな。納得。
 でも……、と雫は少し気になった。

「ねぇ、それ、もし…………、いや、何でもないです」

 言いかけて、止めた。その発言が、きっと嫉妬深いであろうことは想像ができたからだ。
 みすぼらしくなって、己を責めた。以前の彼氏と付き合っていた頃には、味合わなかった感情だった。ここまで先輩と前の彼女とのことを気にするのは、二人が体を寄せ合っている姿を目の当たりにしたせいだろうか。先輩がこんなにも魅力的な男性だからだろうか。

「いえ、その口ぶりは何かあります。言ってください」
「…………」

 閉口。

「……雫」

 優しい声色と共に、俯いたせいで落ちた髪の毛に指を伸ばされ、耳にかけられた。触れた指先は優しい。

「もし、もしですよ。前の彼女とか、その前の彼女とかにも、こうやって女性だからと、頼ったりしていたのなら、私は協力したくありません」

 胸がぐるぐるする。この嫌悪は、先輩や前の彼女に向けてではない。何もかもが自分より優れている先輩の過去の付き合いに対して、自分のような何も及びはしない存在が妬ましさを感じている、愚かさにだ。
 先輩の顔は見ていなかった。しかし、すぐに細くて長い溜息というより呼吸音が聞こえた。

「私も正直に白状しますと、その、実は、一緒に出かける口実を探しておりまして……」
「……ん?」
「弟の一人に相談したら、クリスマスも近いしそれに託けた理由を考えてもらいました」

 先輩の耳は赤かった。何なら、首まで赤くなる勢いだった。

「毎年そう言ってショッピングしながら最終的にホテル行っていちゃつき倒してたんじゃないんですか……?」
「偏見がすごいですな。……クリスマス時期はバイトの稼ぎ時なのでそちらに出ていました。それに、会ってどうせセックスするならやってることいつもと変わらんですし、あえてその時期会う必要もないかと」
「それ、彼女の前で言ってないですよね?」
「まさか」

 こいつ……。

「確かに、過去に女性とお付き合いした経験が少ないとは言えません。が、基本的に相手から告白され、そのままなされるがまま行きたいところに付いて行ったり会ったり、が多かったので、あまりよくわからんのです。それに、そういう方々が喜ぶことを貴方にしたところで、喜ぶとは思えない」
「そういうの何て言うんでしたっけ……。あ、シロウト童貞?」
「やめてください。……貴方のことは、もう傷つけたくないんです」

 先輩の弱っている姿を二度見たことがある。一度は風邪をひいた時。そして雫に申し訳ないことをしたと謝った時だ。
 今の様子は、それを思い出す。

「頼れるお兄ちゃんって顔してるのに、弟に恋愛相談しちゃうんですね」
「……これは決して貴方の気持ちを慰めるために言うわけではないんですが、弟に彼女の話をしたのは、これが初めてですな」

 いや、わざとだろ。口には出さなかったが、気の抜けた笑みをこぼしたので伝わったと思う。
 こうして、交際経験が全くないこともない二人の、何とも慣れていないデートは幕を開けたのだった。



190828



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