▼ 天道輝が嫉妬する
「…………」
「な、なになに、何事」
帰宅。午後11時半。
玄関を開けて入ると、目の前には輝くんが立っていた。
確かに、もう帰るよーという連絡は入れた。疲労が蓄積した体を引きずって家に帰れば、もうほぼ同棲してる相手に「おかえりー」と朗らかな、でも家だから少しとろけた声色で迎えてくれるのを待ち遠しくは思っていたけども。
けど、まさか仁王立ちで、しかも無言で迎えられるとは思いもよらず。
取りあえず、資料だなんだと詰め込まれた重い鞄を置かせて欲しい。そして、足の疲れる高いヒールも脱がせて欲しい。
別に勝手にすればいいじゃん、という話なんだが。何故か躊躇ってしまうような空気なんだ。今。
「た、ただいま」
「……おかえり」
すっごい不服そうな表情だが、一応返事は返ってきた。少し安心。
「風呂、沸かしてあっから」
「あぁ。うん。ありがとう」
輝くんはそれだけ言うと、スタスタと歩いていってしまった。
な、なんなんだろう。彼を怒らすようなことをしてしまったんだろうか。
でも、全く見当がつかなかった。
今の今まで仕事の繋がりがある人達と集まっていた。その前は普通に仕事へ同行し、お偉いさんと話をしつつ、輝くんの様子を見ていた。その時は、別段変わった様子はなかったはず。少なくとも、あんなすねた表情はしていなかった。
思わず、息がこぼれてしまう。手ももう力尽きたのか、ため息のように鞄を降ろした。
接待、とまではいかないけども、次のお仕事に何かしらの形で繋がるかもしれない。そんなお相手との食事は、やっぱり疲れる。気疲れというやつだ。
1日、朝から晩まで働いたあと、精神的疲労をたっぷり溜めての帰宅。
男女の関係になる前から数えるともう長い付き合いになる相手が待つ家というのは、基本的には癒されるものだった。
でも、ああいう態度を突然取られると、やっぱり心はとげとげする。
疲れている。これはもう、さっさとお風呂に入って寝ちゃった方がいいな。
靴を脱ぐために体を動かすが、それすらも億劫に感じた。
お風呂に入り、綺麗さっぱり。体も心も汚れを洗い流した。
おかげで気分は少し晴れた心地だ。
睡魔の侵食がすさまじいので、髪の毛を乾かしたり何なりをすぐに済ませた。
洗面所から寝室へ。途中通った居間に輝くんの姿は無かったので、もう電気は全て消してきた。
「…………」
寝室に入っても、輝くんはこちらに声をかけるわけでもなく、静かに携帯を眺めていた。
うーんこれは……。
未だに彼の機嫌は直っていないっぽい。
しかし、理由がわからない。でもこうもあからさまだと、多分原因はこっちにあるのだろう。そして、特別何かを口に出してこないということは、私のせいではあるけど私が一方的に悪いわけではないから、彼の中で葛藤しているに違いない。
「向こうの電気全部消してきちゃったけど、良かった?」
「ん。もう寝るから良いよ。ありがとう」
目は合わせてくれなかった。
言葉をかければ返してくれる。決して無視をされているわけではない。
けど、いつもならクルクル変わる表情が動かないので、無視されるのよりも少ししんどかった。
「…………もう寝るね。おやすみ」
心の疲れはお風呂で流したと思ったけど、そう簡単に落ちるものでもない。
これ以上、普段通りに接する自信が無くなってしまった。
輝くんが腰かけるベッドの横で、いそいそと布団に潜り込む。
無性に目頭が熱くなってしまって、もう顔を見られたくなった。
「…………」
視線を感じる。あからさまに背中を向けているのが気になったのかな。
でも、お互いさまってものではないだろうか。刺々しい態度を最初に始めたのはそっちだ。
あーあーダメだなぁもう。
声には出さなかった。代わりに涙がこぼれた。
「……悪ぃ」
彼にしては珍しい小さな声が、ぽつりと落とされる。
「大人げなかったよ。……泣くなって」
「べつに、泣きたくて泣いてるんじゃないよ」
顔は見せてないのに、どうして泣いてることに気付けたのかはわからなかった。
肩と首の間らへんに、温もりと重さを感じた。布団越しではっきりしないけど、多分輝くんの頭が乗っかっているんだろう。
「泣かせたかったわけじゃねぇんだ。余裕なくてごめん」
くぐもってはっきり聞こえない声は、本当にらしくない。
ただ、その声色も充分、涙の代わりだった。
もそもそと布団から手だけ出して、輝くんの頭を撫でる。彼もお風呂に入ったのだろう。指通りの良いサラサラな手触りだった。
「私、何かした? 言わなきゃわかんないよ」
「そうだよな……」
その内、頭まで被っていた布団が降ろされた。特に抵抗はしなかった。
部屋の電気が眩しくてまともに目を開けられないでいると、目じりや頬に輝くんの指が触れ、優しく撫でられた。涙をぬぐわれた。
「……今日、飲み会行ってただろ」
「うん」
「仕事の延長線ってのもわかってるんだが、なんかこう、歳上のおっさん相手に接待っぽく酒ついでるのとか想像するとな」
「うん」
「……………………柄にもなく妬いた。ごめん」
苦虫を噛み潰したような表情、とはこういう顔のことを指すんだろうな。
奥歯を噛んで目線を逸らしていて、なんというか、可愛らしい。
さっきまでの下がっていた気持ちが、輝くんの表情ひとつでキュンキュンした。好きな相手に翻弄されて一喜一憂する心はどうかと思うが、可愛いものは可愛い。輝くんが可愛いのがいけない。
「ふふ」
「……なに笑ってんだよ」
微笑ましくてつい鼻から息が漏れ出てしまう。
不服なのか唇を尖らせるのも可愛くて、少し顔を動かしてちょっとだけ軽くキスをした。
「輝くん、普段大人ぶるけど可愛いなーって」
「あーーー、だから言いたくなかったんだよ。28にもなっておっさんに片足突っ込んどいてやばいだろこれは」
「えー? でも嫉妬心隠せるほど大人じゃなくて彼女泣かせたの誰ですかぁ?」
「うっ……」
会話を誤魔化すように身じろぎさえて、その内腕が伸びてきた。後頭部と腰に周り、器用にも布団の中で抱き寄せられる。
「悪かった。自分のことしか考えてなかった。もうしねぇよ」
「ん。ちゅーしたら許しちゃおっかなー」
意地悪のつもりで言った。わざとらしく、そしてあざとく、唇を尖らせて待とうとしたら、そうする前に輝くんは唇を合わせてくる。
何度か柔らかく唇を合わせ、そのうち上唇に吸い付いてくる。優しく、ゆっくりと。
あーこれは口開いて欲しんだろうなという気配を察知。でもやっぱり意地悪したい気持ちは萎んでなかったので、決して唇は開かずにこちらも啄んで躱し続けた。
焦れてきたのか、ほぼ唇が触れた状態で輝くんが話す。
「えっちなちゅーしたら怒るか?」
「もう眠いからしませーん」
「んーーー」
もう日付が変わってる時間帯で、そんな布団の中で引っ付いて、濃厚なキスでもしようものなら、そのまま別の行為に発展すること間違いない。
「輝くん、明日仕事は何時から?」
「……朝からだな」
「じゃあ尚更ダメじゃん」
「あーーー、そうですね」
はは。えっちしたいこともそのままなだれ込むつもりだったことも否定しないでやんの。
「輝くんの機嫌は、えっちじゃなくて今度晩酌して直してあげようねー」
わざと子供扱いするかのように頭を撫でた。
「別に晩酌して欲しいわけじゃねぇし、それなら普通にセックスしてぇな俺は」
「はいはい。おやすみー」
彼氏がいつまで経ってもすけべで彼女冥利に尽きる。
結局この後、二人してくっつきながら眠ったら、思いの外快眠で寝過ぎてしまい、お互いに遅刻しかけたのは別の話だ。
220115
リクエスト『天道輝さんとプロデューサーで、輝さんがはちゃめちゃに嫉妬するお話』