▼ 野生の芸能人?が飛び出してきた!
外で何やらテレビ番組の撮影があるらしい。若い女性二人客がレジ横で話しているのが聞こえたのは不可抗力だ。
「本当なんですかね、撮影の話」
そのお客さんでちょうど、レジに並ぶ列が途切れた。隣のレジで商品をうっていた同僚に訪ねる。
「らしいですよー。さっき若いスタッフさんが大量のブルーシートと缶コーヒー買っていきましたし」
「あー、ADさん的な人ですかね? ……でも何でそれ?」
「今日雨降ってるから、機材とか濡れないようにするためとか?」
「なるほど」
冬が遠のいたとはいえ、曇ればまだ寒いこの時期は春と呼ぶにはまだ早い。
レジ業務を一段落させた私は、元々手を付けていた品出し業務に戻るため、レジを離れて担当売り場に戻った。
「すみません。電池ってどこにありますか?」
その途中、お客さんに品物の場所を聴かれることだって、よくあることである。
「ちょうど目の前にありますねぇ」
「あっすみません見落としてました」
「いえいえー失礼しますー」
謝ってくれるだけ、良いお客さんだ。人間の形をしただけの魑魅魍魎なんてはいて捨てるほどいる。
顔を見ずに接客することなど、申し訳ないが日常茶飯事。やっと顔を見れば髪の長い中性的な方だった。スーツをお召しのところをみると、時間帯的に仕事帰りかな。線も太くなく、なんとも不思議な雰囲気の人だ。
売り場に戻って、途中だった品出しを再開した。作業着のポケットからカッターを取り出し、段ボールを開ける動作。我ながら慣れたものである。
それから数度、道行くお客さんに声をかけられた。どれも「探している商品はどこにあるのか」という問いかけである。目の前にあるものから、遠い売り場のものまで。基本的にはお客さん自ら探して頂ければすぐに見つかるものばかり。中には例の「そこになければないですね」商品もある。品数が膨大な挙句、入れ替わりも遅くないので、店員が全てを把握しきれないのが正直なところだった。
駅から徒歩圏内で来られる商業施設の1フロアに広々と設けられた100円均一のチェーン店でアルバイトし始めて、もう年単位が経つ。働き始めた頃は高校生だった私も大学生になった。ぼちぼち、就職活動という言葉に耳が痛くなる年頃である。
今日はそこそこ雨が降っているので、客足は比較的遠のいていた。売り上げのことはよくわからないけど、私的には品出し業務の手が止められないので良い感じ。
そうして、黙々と手を動かすこと数十分。あ、そろそろレジ業務の時間では?と腕時計で時間を確認した瞬間だった。
「あの〜、すみません」
「はい?」
屈んでいたので、頭上から声が落ちてきた。若い男の子っぽい声だ。
時計から顔を上げた。派手な眼鏡の割には地味な黒髪の、マスクとキャップを備えた男の子だ。手元には小さなメモ用紙が握られていて、多分そこに買う物が書いてあるんだろう。
「えっと……、大き目のタオルが欲しくて探してるんすけど、どこにありますかね」
マスク越しだとしても、かなり小さな声だった。ただ、不思議と聞き取りにくい印象は受けない。
「タオルでしたらあちらになりますねー」
立ち上がって売り場へと歩きだす。数歩後ろから着いてくる男の子はそこまで長身の印象ではなく、まるで顔を隠すかのように俯いているので、余計に小柄に感じた。
私たちがいた売り場のほぼ間反対側、若干の距離があるので少し歩いた。相も変わらず彼は俯いている。……具合でも悪いのかな。マスクもしてるし。
とか考えていたら、急に「ぎゃっ!」という声をあげて男の子はその場に転んだ。
「え!? 大丈夫ですか?」
「いったー……」
「や、やっぱり体調優れないんですか!? そこの椅子で休みます!?」
見事な尻もちを着いた状態の彼に、思わず膝をついて駆け寄った。転んだ拍子に眼鏡とマスクは少しずれていた。
「へ、体調っすか……? オレは元気だし、体悪いところなんて無いっすけど」
「ん? あれ? そうなんですか? マスクしてるし俯いてるからてっきり具合が悪いのかと」
「あー! これはその! 変装用のマスクなんで! あっいや変装用っていうか! あああ余計なこと言っちゃったっす……!」
「変装用……?」
全く体調不良も素振りも見られず、元気いっぱい大げさな身振り手振りで慌てだした。
「転んだのも多分靴が濡れてたからで……」
「取りあえず、立ちましょうか。立てますか?」
いくらお客さんが少ないとは言え無人なわけではないのだ。人の目が集まってきそうだったので立つことを促す。
彼は「そ、そうっすよね」ともごもごと言葉をこぼしながら、お尻をさすりながらもちゃんと立ち上がった。彼の言っている通り、体調が悪いわけではないようだった。
「えっと、タオルでしたっけ?」
「そうっす! できれば大きめの!」
おいおい君今変装がどうのって言っただろ、と突っ込みたくなるほど、急に元気になった。よくわかんないけど、変装してるのであれば目立つのはまずいのでは? だから縮こまっていたのでは? 流石に一店員がそこまで言うのも余計なお世話だ。何とか頬の緩みに留めて案内を進めた。
洗面器具の置いている棚の近くにバスタオルも一応置いてある。が、流石に100円+税価格だとその大きさや厚さはたかが知れている。あとで文句を言われるのは心身共に疲弊がすごいので、取りあえず確認の意図でバスタオルを差し出した。
「こういうのしかないんですけど……」
差し出されたバスタオルを男の子が受け取ろうとした時である。
彼の背後に人影が突如現れた。
「……ここにいた! 探したんですよ何してるんですか!」
「あっ、プロデューサーちゃん! ってあれ? 春名っちに伝言頼んだはずなんすけど」
「えっ聞いてないですけど!? 春名くんもむしろ一緒に四季どこだって探してましたよ!」
「げぇマジっすかぁ!? うわぁそれは本当にゴメンっす〜〜!」
怒るスーツ姿の人。怒られる男の子。私は無力だし関係もないのだが、何とも離れるに離れられなくて固まってしまった。
……あれ?と気付いたのはこの時だ。背後から現れたスーツ姿の人、ちょっと前に電池の場所を訪ねた人と同一人物では? 中性的な独特な雰囲気が記憶に残っていた。
プロデューサー、と呼ばれていたけど、芸能関係の人なのだろうか。そういえば撮影がどうとかって噂も聞いたし、この人たちがスタッフなのかな。というか、だとしたら男の子が顔を隠しながら変装だかをしていたのも、出演者とかならうなずける。
えっもしかして私、今芸能人と会話してたの!? 自分のことを特別ミーハーだと思ったことはないけど、でも初めてテレビの人と接点があったのはやっぱり一般人の自分からしてみればテンションが上がるのも仕方ないことだよね!?
しかして今はバイト中。高ぶった心、鎮まり給え……。自らの表情など確かめようもないのだが、多分今相当な百面相をしている。
「すみません。弊社スタッフがご迷惑をおかけしました」
スーツの人がこちらに恭しく頭を下げていた。
「はっ、いえいえそんな。ただただ商品の場所へ案内しただけなので。そんなかしこまらず……!」
お互いに恐縮しあった末、二人は急いだ様子で店を後にした。
ん? そういえば、芸能人と会話はしたのかもしれないけど、あの男の子って結局誰だったんだ?
日常的にテレビを観ない私には難問だった。うーんもしかしたらめっちゃ有名な子なのかもしれないけど、私が知らないばっかりにプライドずたぼろになってたりしないかな? なんて失礼なことも考えたりしたけど、結局この日の業務を終えて家に帰る頃には、すっかり頭から抜けていた。
一ヶ月ぐらい経った頃の晩。夕食を食べた後、居間でぼーっとテレビを眺めていたら、地元の地名がテレビから聞こえてきた。何やら番組内の企画でのロケ地が近くだったらしい。
「ちょっと姉ちゃん、これ姉ちゃんのバイト先の最寄りじゃん」
「ええー? ほんとかー?」
テレビ大好きな妹が何やら見たい番組がどうのとか言ってたけど、地元が映るからなんだろうか。
そう言えばちょっと前にテレビの撮影がどうのって噂は聞いたなことは思い出した。
妹がファンをやっている、バンドだかアイドルだかが出てくるんだそうだ。よーっし、お姉ちゃんいっちょ妹の好きな男見定めちゃいますねー。
そんな冷やかしの気持ちで観ていたのに、いざそのグループが出てきた途端、私は仰天した。身体がぴしりと固まった。
その中の一人が、どう考えても、どう見ても、あの雨の日にバスタオルの場所を聞いた挙句大人に怒られて結局買わずに帰った、あの尻もちをついた男の子だったからだ。
妹は横でナツキくん?がどうのと騒いでいる。
私が会話した子の名前ではないはずだと記憶を手繰り寄せつつ、しかしグループのファンの前でこの一見可愛らしいけど情けないとも思えるエピソードは、一生話せそうにないだろうなぁ。
墓まで持って行こう。
200329