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▼ 桜庭薫に「   」と言われる

 猫の手も借りたいとはこのこと。いや、猫の手を借りたところで、役には立たないのだが。無茶な願いが叶うのならば、いっそ自分を3人くらいに増やして欲しいところだ。
 ありがたいことに、最近ウチの事務所は忙しい。やれJupiterの雑誌撮影だ、Beitのテレビロケだ、神速一魂のドラマ撮影だ、と、所属ユニットのスケジュールを把握するだけで手一杯。自分で勝ち取ってきた仕事が半分、オファーが半分、以前はほとんどの仕事を、私が売り込みにいっていたのだから、これはユニットごとの知名度が高まり、キャラクター性が確立されていっている証明だ。社長も私もにんまりである。
 Legendersという新規ユニットが結成してから、もうしばらくは経ち、事務所設立からアイドルスカウト、ユニットデビューと、ついにここまで来た。
 多少無理をして忙しいくらいがちょうど良いんだ、と、私はついに皆さんのお仕事に同行する暇も惜しんで、事務所の机に座りスケジュール調整の鬼となるのが、最近の主な業務内容であった。


***


 意識が浮上する。と、私は事務所の机にいた。窓から差し込む光に目がくらむ。
 まずい。やってしまった。どうやら、夜に仕事をしながら、ここで眠ってしまったらしい。
 勿論、服装は昨日と一緒。化粧もしっぱなし。おまけに座った状態で寝ていたせいで、体の節々が悲鳴を上げている。安眠もできていないから、頭は重く靄がかかったような思考だ。今日だっていつも通り仕事があるというのに、なんという自己管理のだらしなさ……。
 腕を伸ばしながら首を回し、バキバキの体をほぐそうととりあえず椅子から立ち上がった。軽くストレッチをしながら、時計を見れば、現在午前6時半。併せて、机の真後ろにあるホワイトボードを見て、ユニットごとの今日のお仕事を確認。うん。今日、自分が同行しなければならない仕事は無い。それに、朝から事務所に誰かが来るということも無さそうだ。バイトの賢くんは、今日は午後から来る予定だし。
 一度家に帰って、シャワーを浴びて、色々支度してからまた来よう。もう電車も動いている時間だ。
 机の上に広げていた、各社からのCMオファーやテレビ出演、インタビューの依頼など、各ユニットに「こういう仕事が来てますよ」と確認をとる前の微調整の痕跡を、一応見えないように隠し、机横に置いてある鞄を掴んだ。

 と、事務所の扉が開く音がする。
 えっ、こんな早い時間に誰だ!? この状況は、自分があまりにもずぼらなことが露呈するから、あまり見られたくないんだけども!?
 つい体を縮こませながら、一体どんな言い訳を考えれば、いいかなぁと焦っていると、扉をくぐって来た人が顔をひょっこりと出した。

「お、プロデューサー。ずいぶん早いな。おはようさん!」
「……天道さん。おはようございます」

 今日も冷えるなぁ、と言いながら、天道さんは台所へと向かっていた。ごそごそ何してるのかと思ったら、コーヒーメーカーの動く音がする。
 そういえば、昨日はDRAMATICSTARSの3人とは、顔を合わせていないのだ。だから、昨日と同じ服装なのもばれなかったのだろう。鞄持ってたし、ちょうど事務所に着いたように見えたに違いない。

「こんな早くに、どうしたんですか」
「んー? なんか早くに目が覚めちまってなぁ。次の現場、事務所から近ぇし、ちょっとコーヒー飲んでから行こうと思ってさ。……プロデューサーこそ、どうしたんだよ?」

 天道さんはこちらに顔を出し、「顔が疲れてるぞ? あ、プロデューサーも飲むか?」と備え付けのマグカップを見せた。
 うっ、やっぱり顔疲れてるってすぐにわかってしまうか……。別にそこまで誤魔化せるとは思っていなかったが、いざ言われるとギクリとしてしまう。

「飲みます。ありがとうございます」
「おう。まぁ、座って待っててくれよ」

 家に帰ってシャワーを浴びる作戦は無理かもしれない。化粧くらいならどこでも軽く直せるし、服は…………仕方ないから適当に誤魔化そう。
 私は天道さんのてまえ、大人しくソファーに座った。座り慣れたソファーだ。柔らかさが心地よく、少しだけ睡魔に見舞われる。
 ……そうか、目に見えて疲れているのか私は。まぁ、仕事半ばに朝まで熟睡してしまったわけだし、日頃の疲れが溜まり続けているのだろう。

「あいよ。熱いから気を付けろよ」
「ありがとうございます……」

 天道さんはマグカップを2つ持ってやってきた。私の目の前に1つを置くと、自分は向かいに座ってコーヒーをすする。
 私も早速頂いた。湯気が出てる。熱そうだ。口を付けると、確かに熱い。でも美味しい。天道さんが入れてくれたコーヒーは美味しかった。

「美味しいです」
「良かった」

 天道さんはニカリと笑った。

 しばらく、二人揃ってコーヒーをすすっていた。
 すすりながら、そういえば朝食をどうしようか、でもあまりお腹も空いてないしなぁ、お腹空いてから食べればいいかなぁ、と、ボーッと考え事にふけっていた。
 というところで、天道さんの視線が先程から私に向けられてることに気付く。天道さんの大きな目が、私をじぃと見ているのだ。

「……プロデューサーさ、」
「はい」

 天道さんは自分のカップを机に置いた。

「疲れて、るよな? あんま顔色良くないぜ」

 コーヒーを渡される前に言われた調子に比べ、随分と真面目な声色だった。

「そうですね。最近はどのユニットも忙しいので、スケジュール調整だけでも激務で」
「……確かに、最近プロデューサーと現場で会わなくなったよな。個人の仕事も増えてきたし、プロデューサーが付いて回るのも効率良かないだろうし」

 天道さんは寂しそうであり、そして心配そうな顔をしていた。

「なぁ、アンタの業務が俺らにとって欠かせない唯一無二なことを知ってっけど、あんま、無理すんなよな。倒れられたら心配だ」

 そりゃそうだ。倒れて療養して復帰していたら、その間の時間が惜しい。良くも悪くも、この事務所に私の代わりはいないのだ。

「私が休んでたら、仕事まわりませんからね」
「そうじゃなくてな、」

 天道さんは私を少し睨んでいた。

「プロデューサーが体壊すなんて心配すんだろ。もっと自分、大切にしろよ」

 おお。イケメンしか許されない台詞。
 照れ隠しで茶化しそうになったが、飲み込んで耐えた。天道さんの言葉が嬉しかったからだ。

「……ありがとうございます」
「ま、そう言って休むぐらいなら、最初から休んでると思うけどよ」

 俺に手伝えることあったら、遠慮せずに言えよ。
 と、朗らかに笑ってくれる天道さんの笑顔が何より心強い。
 私は倒れている場合ではないのだ。

***

 完全なフラグだった。

 天道さんが仕事に向かって事務所が私だけになったお昼過ぎ。没頭し過ぎて集中力を途切れさせたくなかった私は、結局昼食も取らずにデスクに向かっていた。
 区切りのいいところで手を止める。フル回転させていた脳味噌にブレーキをかけ、思考をまっさらにさせるのだ。
 すると、ぐう、と鳴きだすのは胃袋。流石に一日の内に摂取した栄養が朝のコーヒーだけというのは、やはり頭を働かすエネルギーにしては明らかに不十分である。
 近くのコンビニで、何か手ごろなものを……、あぁ、10秒で飲めるゼリーとか効率良いなぁと、妄想で腹を空かしながら立ち上がった。
 つもりだったのだが、視界は座っていた時よりも低くなった。
 おかしい。と違和感に気付いたのもつかの間、目を開けているはずなのに、視界は明るいはずなのに、目の前がぐらりと揺れて霞み、暗転する。

 そうして、意識が遠のいていった。


***


「馬鹿か君は。体調管理も仕事の内だと説いたのは自分だろう……!」

 桜庭さんの声がした。
 久しぶりに聞いた声だった。
 そう、最近は、どのユニットにも、そして個人にも、仕事のオファーが増えたからなかなか一人に対して割く時間が減った。仕方のないことだ。
 だから、以前のようにDRAMATICSTARSの三人と一緒に夕飯を食べに行くことも、誰かの体調が悪くなった時に看病に行くことも、めっきりなくなっていた。最も、風邪の看病で家まで訪ねたことなど、あの一回限りなのだけども。

 桜庭さんと会うのだって、もう数日振りのことだ。ドラマの台本を渡したっきり。必要最低限の会話したっきり。
 だというのに、その時の私は浮かれていた。
 どうにも、桜庭さんに対しての気持ちと言うのは、例のあの日から、アイドルとプロデューサーというビジネスパートナーの間柄では到底及ばないものに、徐々に、徐々にだ、少しずつ変化してしまった。
 自分の働く事務所のアイドルに恋愛感情を抱くなど、プロとしては失格極まりない。わかっている。だから、この気持ちは絶対に表に出すまいと決めていたし、あの夜、桜庭さんの家へ『看病』をしに行った時の出来事だって、墓まで持って行くつもりなのだ。
 例え、桜庭さんがあの夜、私と大人のキスをしたことを覚えていたとしても。その日以来、仕事が終わり二人きりになると、そうじゃない時よりも一層優しい瞳で私を見つめていたとしても。
 お互いがお互いの仕事のプロである以上、その態度の答えを言葉にすることは、自分たちが一番許せない。

 意識がまだ覚醒していない中、何故桜庭さんの声が聞こえたのか、不思議に感じた。
 こういう時に思い出してしまうほど、私は桜庭さんのことを特別に思っているのか。自嘲してしまう。
 夢心地のまま、手に感覚が生まれた。力なく何かを握れば、それは私の手を優しく、しかし力強く握り返してくれた。私の手よりも大きく、固いと感じるその手は、少し汗ばんでいた。

「目が覚めたか」

 今度ははっきりと、桜庭さんの声が頭上から聞こえた。
 どうやら私は、自分の家のベッドに寝ているらしい。身体を包む布団の重さも、身体を支える柔らかさも、ベッドから見える視界も、全て毎日見ているものだ。
 見慣れないものと言えば、私の手を今も握ってくれている桜庭さんの存在くらい。

「………?」

 私は、なんで今ここにいるんだろう?
 桜庭さんは、何故私の手を握っているんだろう?

「状況が呑み込めていないという顔だな」

 桜庭さんは、何故か苦虫をかみつぶしたような表情で溜息をついていた。

「昼過ぎに、明日のスケジュールを確認しようとしたら君が電話に出なかった。何か別件で手が離せないのだと、少しすれば折り返してくるだろうと待っていても、一向に電話は鳴らない。埒が明かないから事務所へ戻れば、君はデスクの裏で倒れていた」
「……あー」
「病院に連れていくよりも君の自宅へ運んだ方が早かったから、今君はここで眠っていたんだ。わかったな」

 状況が呑み込めた。
 昼食を買おうとして立ちあがったら、倒れて気を失ったのだ私は。

「…………僕は怒っているんだ」

 そういう割には、静かな声だ。

「ご、ごめんなさい」
「僕に謝ってどうする。すべては君の体調管理がずさんな結果だ」
「返す言葉がないです……」

 はぁ。全く情けない。私の胸はズキズキと痛む。
 今朝も天道さんに言われたばかりだというのに、こうして誰かに迷惑をかけている現状。もしも、私が倒れている間に事務所に仕事の電話がかかってきていたとしたら? こうして寝ている間に進められていた仕事があったはずだ。
 何を、しているんだ、本当に。

「君は、また仕事のことを考えているのか」
「え?」

 何故そのことがわかったのだろう。桜庭さんの顔を凝視してしまった。

「君が倒れていたのを目の当たりにした時の僕の気持ちがわかるか!?」

 素の彼からは聞いたことの無いの怒号が飛んできた。咄嗟のことに身がすくむ。
 ああ、桜庭さんは、怒っている。握られた手が痛くて熱い。
 しかし、すぐに桜庭さんは表情をやわらげ、小さい声で「すまない……取り乱した」とこぼした。

「ご、ごめんなさい。私が倒れたりするから、その仕事が滞ってしまって、」
「そうじゃない。そうじゃないだろ馬鹿か君は……!」
「え、え?」

 プロとして、仕事に支障を来たすことに怒っているのではないのか?
 真意が読めなくて、また顔を凝視する。が、桜庭さんはじっとりとこちらをにらむだけで、言葉をくれなかった。

「……軽い栄養失調と寝不足による過労だ。水分と栄養を摂って明日いっぱいまで寝ていろ」
「え、はい。え、そうじゃなくて、は?」
「うるさい。寝ろ」

 有無も言えずに布団を無理やり被せられた。
 なんだ。なんだ。いや、もしかして。

「桜庭さん、心配してくれて、ありがとうございました。ここまで運んでくれたことも」
「…………」

 布団から顔を出して言えば、桜庭さんはだんまりだった。
 この人は、素直じゃないのだ。でも、素直じゃないから、素直じゃない時に何が言いたいのかは、まるわかりである。……可愛い人なのだ。
 ふふ、と思わず笑ってしまっていると、突然腕を引かれた。そして、目の前には桜庭さんの綺麗な顔。

「……喉、乾いているんじゃないか?」

 桜庭さんの唇の動きが、やたらと視界に入った。
 どこからか取り出されたらしい、ペットボトルの蓋を開ける音が聞こえる。拘束されているわけでもないのに少しも動けない私は、そのまま身体を固まらせていた。

「だ、だめですさくらばさん」
「……何がだ。僕はまだ何もしていない」

 まだ 何も ってこれからするつもりじゃないか!?
 声にならなくともツッコんでしまう。私の慌てた様子に、桜庭さんは随分と愉快そうにしていた。

「……僕は、自己管理のできるプロデューサーが好きだ」

 まだ何も触れていない唇に、その時確かにびりりとした感覚が走ったのだ。





180509



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