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▼ 氷室辰也への懺悔

氷室辰也という、バスケットボールプレイヤーを知っているだろうか?

10人に聞いたら確実に10人は知らないだろうと思う。学生チームのエースとして雑誌などなどで名前を世に轟かせている青峰大輝や火神大我などとはわけが違う。彼らは最早プロのバスケットボールプレイヤーであったが、件の氷室辰也は違う。彼は、高校の英語教師をやりながら男子バスケ部の子たちに指導をするレベルの人間だ。決してプロになれるようなやつではない。しかし、プロになれないようなやつでもない。つまり、何が言いたいかというと彼のバスケには、何かが足りない。その何かさえあれば、彼はプロくらいなれたのに。

高校生活と言えば、私は部活にしか熱心に取り組んでいなかった。といっても私が直接目立っていたわけでもなく、大会に出場して良い成績を叩き出していたわけでもない、要するに裏方の、マネージャーというやつだ。私は3年間、みっちりと部活中心の周りから見れば異様な程の生活を進んでしていた。そうなったのにも、ちゃんと理由がある。



***




「あれ、川口じゃないか」


そこはお気に入りのお店だった。週末の仕事終わりに寄ってはいつも同じ一番奥のカウンター席に座り、生ビールとチーズの肉巻きを頼む。最寄駅の、しがない居酒屋だ。

この仕事についてからはもう恒例となっている週末の楽しみは、度重なる偶然で再会を果たさせたのだった。


「んぁ、氷室?」


なんともまぁ、色気のない状況だ。相手の容姿を考えれば、お洒落なバーが死ぬほど似合っていたというのに、お洒落もへったくれもない駅前の居酒屋とは。

神様よぉ、もうちょっと再会のタイミングと場所を選んでおくれ? 何が好きでジョッキビールを飲み干して一息つくその瞬間を見られなければいけなかったのか。



***




実は、氷室とは高校の部活を引退してから全く全然これっぽちも連絡をとっていなかった。というかそもそも、あんなにも部員とマネージャーの関係で接点が有りまくりだったのに、私は氷室の連絡先を知らなかった。知らなくても、彼は優秀だったから遅刻もしなければ無断欠席もない、どこぞの馬鹿のようにお菓子が食べたくなってふらりコンビニにレッツゴーしたら部活の存在を忘れていました、なんて作り話のようなボケをかますやつのように、常にどこにいるのか把握しておかないといけないやつではなかったから。…というのが建前だ。

とにもかくにも、大学を卒業して手に職をつけてから早数年。久しぶりの再会だった。



***




彼は私のオヤジ臭い言動をばっちり見たにも関わらず、空いていた私の右隣に座った。そして店員を呼べば彼も生ビールを一つ頼んだ。


「氷室は、仕事帰り?」
「ああ。最近この辺に越してきて、ちょっと駅周りを探索してたんだ。そしたら、いい感じの店があったから入ってみた」


店員がビールを彼の目の前に置いた。氷室は一言、ありがとうと告げていた。

相変わらず、言動もイケメンである。というか、数年振りの再会だから久しぶり補正もかかっているのだろうが、この男憎たらしいほどに顔が整っている。歳重ねてさらに男らしいセクシーさに磨きがかかったのか? 高校時代とは身長はさほど変わってないだろうが、少し低くなった声と細まった瞳や高くなった鼻。髪型は相変わらずだが、そこから覗く耳たぶのピアスの穴に何故か心臓が跳ねた。

氷室は頼んだビールをごくごくと煽った。少しそった首元の、男らしく主張する喉仏が上下に動く様が何故か淫猥に見えてしまってひどく動揺した。本人は無自覚なのだろうが、常に色気と隣り合わせの彼の一挙一動は異性から見るととても心臓に悪い。

ずっと、目の前の料理に手をつけずに彼のことを凝視していたのが悟られてしまったらしい。こちらを一瞥、チラリと視線を寄越して流し目で悩殺させてくれれば、今度はニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「川口、髪伸びたね」
「へ、ああ、うん。もう走り回ることもないからね」
「茶色に染めたんだ? 尚且つパーマ、かなそれは」
「そうそう。ま、ちょっとお洒落ね」
「ふーん。あんなにお洒落に無頓着で、監督に心配されてたお前がなぁ。染めてパーマかぁ。大人になったなぁ」
「なんと失礼! 私だってそれくらいしますぅー」


ケラケラ笑いながらジョッキを手に持てば、「俺は黒いまま伸ばして欲しかったなあ。その方が川口には似合うと思うし、俺好みだ」なんて、この男、抜かしやがりますからして、私、もう乙女とは名乗れないこんな歳ですけど、年甲斐もなく動揺してしまって、ええ、そりゃあもう盛大に、手に持つそれを、あろうことかスーツの上に、ガシャーンと。

意外と冷静に、冷たいなあと思いました。



***




白状してしまえば、私の初恋は氷室辰也だった。高校生で初恋とは、なんて思わないで欲しい。当時はお洒落にすら興味がなく、色恋の沙汰なんてもう聞くと気恥ずかしくてザワザワしてしまうくらいの耐性しかなかったのだ。

そうは言うものの、おそらく従来の恋心とは少し形が違ったように思える。彼に恋心を抱いたそもそものきっかけは、彼のバスケだったからだ。

高校生にもなって転校生っていうのはかなり珍しいものがあって、しかし氷室がそれだった。クラスに突如と現れたイケメン野郎はら瞬く間に女子の話題の中心になっていた。生憎だが、その時の私はそんなことには興味もへったくれもなく、ただただその年の春に入学してきたキセキの世代とかなんとか呼ばれてる天才問題児をどう料理するべきかと散々に頭を悩ませている時だった。その時はまだ、氷室辰也という人間が、どんなバスケをするのか、全く知らなかったから。

きっかけは体育の時間。普段男女別で行う体育だったが、その日は雨が降っていてそれぞれが体育館の半面ずつを使っての授業だった。女子はバレー、男子はバスケ。その時は確か、バレーの審判を担当するチームとして動いていた時だと思う。男子の方から、歓声が上がった。何事か、と女子はみんな手を止めて男子の使う半面を見つめた。

転校生の、氷室辰也だった。彼が敵チームから奪ったボールをドリブルしゴール方面に運び、そして。

すごく丁寧な第一印象だった。勿論バスケの話だ。素人目にでもわかるであろう、バスケが上手いと分からせるには充分な動作。バスケを知っている者からすれば、それはただただ美しい、と形容するしかない。恐らく、その時だった。私が彼のハズケに惚れ、だんだんと彼自身が気になっていくきっかけというものは。



***




幸い、大きなそのジョッキは割ることはなかったため流血沙汰になることだけは避けられた。だがしかし、である。半分とまではいかないがそこそこ中身を残していたそれを完全に膝上にぶちまけてしまった。冷たい。スーツのスカートからしたに履いたストッキングからびしょびしょだ。服の中で液体が浸透していく感覚は、妙にぞわぞわしてしまった。


「わ、川口、大丈夫、には見えないけど大丈夫か?」


氷室は慌てた様子で自己完結しながら、私が答えを伝える前に店員に濡れタオルを貰い、

「ごめん、触るよ?」

と一言告げて、私の太腿の上をタオルで優しく叩いた。

紳士的かつ流れるようなその所作につい見とれてしまった。高校時代からそうだったが、アメリカ持込みなのかはわからないがやたらに女性の扱いというか何というかに長けているやつだったことを、今更ながらに思い出す。そうやってボーっとしていたら、氷室は私を見上げながらなんとも心配そうな表情を作った。


「本当大丈夫か? どこか痛い?」
「あ、いや、ええと、大丈夫です。はい」
「本当? そうには見えないけど、信じるよ」


言いながら氷室は右手の動きを続行。なんだか、もういい大人だというのにこんな醜態を晒してしまい、情けなくなった。足の上に置く拳を握り締める。

その時、私は気付いてしまった。

氷室の動いていない方の手が、左手が、私の右手の上に、重ねられていることに。とても力強く、握り締められていることに。

こ、れ、は、つまりどういうことでしょうか。意識した途端、体が熱くなって手も強ばってしまったのだと思う。氷室は相変わらず黙々と丁寧にタオルを使いながら、それても怖ばる右手をぎゅっと握り締めた。さらに強く握り締めた。うわぁ……今の表情を氷室に見られたくない。絶対赤い。絶対に赤い。けど私の表情は彼が顔を上げれば簡単に見れる体勢。今顔を上げてくれるなよ、と一心に願いながら顔を明後日の方向に背けてみた。

そしたら一気に広がる。視界が。

終始ざわざわとしていた居酒屋は、私の失態によりかなり静まり返っていて、なおかつお客さん方の視線は私たちに向いていた。注目の的、とはこういうことなのだろう。そして、タイミングの悪いことに近くのテーブル席に座る男女のカップルが囁き合ってるのが聞こえてしまったのだ。


「ねぇねぇ、あの人たちカップルかな」
「そうじゃね? 女の方顔めっちゃ赤いし、手握ってるし」


うわぁ……、と情けない声が漏れてしまった。その一言に、氷室はついに顔を上げた。そしてぎょっと驚いて目を見開いていた。多分、私の顔が異様に赤かったからだと思う。


「氷室ぉ……」
「ちょ、どうしたの川口、俺なんか、変なことしちゃった?」
「ちが、して、ないけど、だってぇぇ」
「ああもう、わかった、一回お店出よう? ね?」
「ううう」


情けなくて情けなくて。何より、氷室とカップルに思われたことが申し訳なくて。

泣きそうだった。アルコールが入っていたというのもあっただろう。涙を流すまではいかなかったけど、握り締められた右手を握り返したことだけは意識の中にあった。



***




イケメン転校生、氷室辰也は勿論男子バスケ部に入学した。本人も最初からその気だったらしい。というか、あんなプレイが出来るのに入らないなんてもったいなさすぎる。氷室が転入した放課後にはすっかり彼のバスケスタイルの虜になっていた私は、その日の部活に彼を誘った。二つ返事でのOKだった。これが、いわゆる私と彼とのファーストコンタクトである。

それからというもの、私と氷室はマネージャーと部員という、バスケを通して有効な関係を築いていった。決して男女の仲のような睦まじさではなかったことを明記しておきたい。何分彼は見た目よし性格よし頭もよし運動も得意というパッと見否のうちどころのないムカつく完璧野郎だった。お陰でそりゃあもうもてるもてる。彼としては今は部活に専念したいから、という理由で彼女その他少し不純な異性交遊をたらし込む一切のこと作らなかったし、しなかった。彼は非常に真摯な態度でバスケットボールというものに向き合っていたのだ。

私も、彼のそういうところに惹かれた。何度も言うがバスケットボールプレイヤーとしてである。彼のその取り組み方と実際のプレイは、私たちの一つ下の学年に存在するというキセキの世代にだって引けを取らないものだと思っていた。実際に、その中の一人である紫原敦にだって引けを取っていなかったのだから。

しかし、そうではなかった。私は氷室辰也という人間がどういう人間だったのか、全く知らなかったのである。

私はバスケ部でマネージャーという立場にありながら、周りから見てもわかるくらいに氷室辰也を贔屓していた。勿論、他の選手にだってケアするところアドバイスするところ、一通り無駄なくやっていた。ただし、氷室辰也には、それプラスアルファのことを平然とやっていたのが私だった。常に周りからは呆れられては、お前は氷室が大好きだな、と再三言われた。勿論下心なんて皆無な私は、満面の笑みでそれに同意していた。それほどまで、私は氷室辰也のバスケスタイルが好きで好きでたまらなかったのだ。

ことの終わりは、ウィンターカップ準々決勝第二試合。誠凛高校との試合でのこと。

私は、この時彼の真髄を見た。これまで見て来た氷室辰也という人間の、綺麗にこり固められたそれこそ幻影のような、私の知ってる氷室辰也ではない、彼の浸透して焦がれていたプレイスタイルをガラガラと壊していってしまうものをそこに見た。

あろうことか、私は絶望した。これでは駄目なのだと。彼のスタイル、いや彼のバスケでは駄目なのだと、勝てないのだと。

試合には負けた。我が部の3年生は、これで引退だ。そして、私達の代の、部長副部長が決められた時期のことだった。

その頃には、私はもう氷室贔屓を辞めていた。



***




お店を出た私は、ひたすらに立ち尽くしていた。日差しは暑いが、今のように沈んでしまえば風が寒くて濡れて服なんて冷たくて着ていられない時期なために、寒くてたまらない。いや、そんなことはなくても寒くて寒くて、自分の腕を抱きしめながら、涙が出てきた。

唐突に彼に出会って、昔私が彼にした仕打ちを思い出した。お酒の力もあったのだろうが、思い出したそれらは当時の彼には酷く辛く、一度は味わった絶望を再び味合わせてしまった、その事実が氷室に対して申し訳なくて、少し考えればわかることをわかろうとしなかった自分が情けなくて、涙がだらだらと止まらない。その内声まで出始めてしまった。どうにも止まらなかった。

どうしようもなくて、その場にしゃがみこんでしまう。今更だけど、すごく寒い。こぼした酒で濡れているのか、溢れた涙で濡れているのか、もはやわからない。


「川口っ? おい、具合悪いのか」


会計を済ませて店から出てきた氷室がこちらに駆け寄ってくるのが音でわかった。近付いて、しゃがみこんで目線を合わせてくれるこいつは本当に紳士だと思う。覗きこんだ私の瞳から雫がとめどなく溢れていることに少し驚いたようだったが、それでも大きな掌を頭の上に優しく置いてくれた。


「気持ち悪くなっちゃった?」
「ちがっ、ちがくてぇ、」
「うん。うん。どうした?」
「氷室ぉ、ごめんねぇ」
「うん?」
「わたし、ばかで、むかしっからばかで、あの時、あのときわたし、氷室のことぉぉ」
「…………」


頭に乗っていた掌で優しく撫でられているのが心地良くて、涙が尚更止まらない。言っていることは大分支離滅裂で、氷室にはなんのこっちゃわからない話にも相槌をうちながら聞いてくれる。

今はその優しさが、痛い。

挙句、氷室はしゃがんでいた体制から膝立ちになって、あろうことか私のことを胸に抱き締めた。あったかいと思った時には遅く、私は氷室の胸にすがってごめんごめんとしゃくりあげながらひたすらに泣いてしまった。

いつの間にか、涙は止まっていた。そのことに気付いた頃、


「高校の、こと?」


ぽつり、と氷室が言った。


「うん。部活の」
「ふっ、俺のバスケの才能が紛いものってわかって、急にマネージャーとしての態度を変えた、っていうあれ?」
「うっ………」


ぐうの音も出ない。ごめんってば。


「俺が気にしてると思った?」
「え?」
「今更だったよ。あんな態度急にとられて、ああ彼女は所詮俺のバスケしか見てなかったんだって」


耳が痛い。と、そろそろ少し頭が冷静になり始めて、気付いた。

私、今、氷室の、腕の、中に、いる。

意識した途端に駄目だった。顔に再び熱が集まる。どうしよう絶対に耳まで首筋まで赤い。そして体勢もすごく恥ずかしいんじゃないかこれ。すごく密着してあのこちらは胸を当ててるレベルに抱きついているんじゃないかこれ。ぶっちゃけ穏やかな氷室の鼓動の音が聞こえてるんですけども。


「君があまりにも俺のこと気にかけるから、もしかしてこの人は俺に気があるんじゃないかって思ったこともあったんだよ? それなのにあの態度とられたから思い過ごしだったんだな自意識過剰だなってがっかりしたことも知らないだろ」


それでも離れられないのは真っ赤になった顔を見られたくないからだ。例え酒に酔っているからといってここまで赤くなってしまえばそれだけでないことが敏いこいつにはわかってしまう。私が氷室を男として意識していることがばれてしまう。あんな綺麗な顔しておいて、手がけっこう大きいとか指が結構節くれだってるとか腕に血管浮いてるとか手首の骨々しいとか、久しぶりの再会なのにさっきから男ということばかり意識してしまって。


「確かにさ、部活中の態度は変わったけど普段の生活には差ほど変わりはなかっただろ? 結構それが心地よかったんだよ。大体の人が哀れみの目で見てくる。こっちがどれだけバスケが好きでどれだけ頑張っても壁の形ばかり浮き彫りになっちゃってがんじがらめになってることたって知らずに、綺麗なことばかり並べてさ」


声だって、高校の頃より少し低くなった。なんて言葉を濁して見たけど実際のところは色気が増した様に聞こえる。こんな声を使って耳元で囁かれでもしたら、なんかもう我慢できなくなりそうだ。ただでさえ彼氏がいなくてご無沙汰だというのに、色気を振り撒かれたら女性らしい清純さなんてゴミ箱にポイッと捨ててそのまま、


「ねぇ、聞いてる?」
「ひぅっ……」


左耳に温かい息を吹き込むかの如く綴られた言葉は、本来の意味を無くして私を氷室にすがりつかせた。加えてどんな反応を示したのか丸分かりするような声を上げてしまった。

やっちまった、と思ってももう遅い。下心がチラホラ見て始めて自問自答したことを悟られてしまったという緊張でガチガチに固まっていたら、気配だけで笑ったことがわかるように再びに耳に息を送られる。今度はびくりと体が跳ねた。もう決定的だ。


「ふーん。見た目だけじゃなくて中身もちゃんと女の人になってたんだね、川口」
「……耳元、辞めない? 気が気じゃないんだけど」
「感じて喘いじゃいそうで?」
「……っ」


息を吹き込むどころではない。外耳に柔らかな唇を合わせられながら響かせられる。そのまま唇で外耳を挟まれた。そのまま彼は息を吐き吸うことしかしなかったが、その先のこと想像すると落ち着かなくて仕方がない。ったくもう、愛撫するならいっそしてくれ。体が震えて仕方がない。


「ひっ、ひむろぉ」
「……ふっ、仕方ないなあ」


氷室は立ち上がり、私の前に手を差し伸べた。察してその手を握り締めれば力強く引っ張られ私も立ち上がった。

顔を上げて改めて氷室の表情を見たら、それはそれは男くさい、色気だだ漏れの表情をしていた。


「川口は忙しいね。酔ったと思ったら泣き出すし、謝りだしたと思ったら感じちゃうし」
「なっ、その言い方! 確かに事実かもしれないけど!」
「うん、ごめんね。ところでさ、」


握ったままの手を離されたと思えば腕をぐん、と引かれ、また氷室の胸に飛び込む形になる。

ちょっと! 今度は何!? と内心じゃ色々なことを期待しながら照れ隠しで騒げば、熱っぽい瞳で覗きこまれて何も言えなくさせられてしまう。お陰でお互いの鼻同士が触れ合い、唇が近い。


「ここから俺の家まで5分なんだけど、泊まってく?」


服もびしょびしょだし、このままじゃ風邪ひいちゃうよ?

ここまでの距離をとっておきながらなんて面倒臭い男だろう。そんなに欲情した目でこちらを見ておきながら、なおも焦らしてくる。

私はしばらくそのまま黙っていたが、氷室の利き手がついに濡れたスーツの上をゆっくりと滑り出した頃に、少しだけ背伸びをした。

触れたそこは、とてもあたたかい。





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