▼ ウィンガルの帰りを待つ
王様直々の訪問だった。
その時の私といえば、まさか家の扉を開けたらボロボロのガイアス様がいらっしゃるなんて勿論想像しているわけもなく、前髪を結び重力に逆らわせて立てている状態で、長い仕事に出るとだけ告げられて何日も連絡の無い同棲相手の帰りを今か今かと待ちわびて夕飯を作っている最中だったため、鍋をかき回すお玉を手に持ってのお出迎えだ。どちら様ですか、の後半なんかは声は裏返っていたしというかなにか変な音を口走っていたとさえと思う。
ボロボロの王様の後ろには、浮いてる美人がいた。何のことだかさっぱりだけど、王様の仲間なんだからそれくらいいてもおかしくないのかなと思って自分を無理やり納得させた。
突然の王様来訪で同様を隠しきれずに形式的に「ガイアス様、ど、どのようなご用件で…」と口にするも当の王様はその無表情に隠しながらも確実に言いにくそうに辛そうに口を開くのだ。
「ウィンガルは帰らない」
その一言だけを残して、重そうな体を引きずりながら王様は去っていった。
何となく、そんな予感はあったのだ。王様の腰巾着のような彼が、王様が訪ねて来た時に後ろにいない時点で。彼はもう帰らないかもしれない、と。国の参謀長として戦争にだって行く仕事だ。いつ命を落とすかわからない。
そう、わかっているつもりだった。しかし、現実はそう上手くいかない。
王様が去り扉を閉めた途端に私の力は抜け、その座に経たりこんで泣いた。作っていたマーボーカレーには手もつけず泣いた。三日三晩泣いた。声が枯れるくらいに泣いた。
泣いて服も髪も床もびしょびしょになった頃、悲しんでいると無表情にも頭だけは撫でてくれるウィンガルの掌を思い出して、まだ泣いた。
その後、人の噂で世界の在り方すら変わると、聞いた気がするがあまり何かを思うということはなかった。そんなことどうでもいい。遺体は見つからなかったという。手元に彼の何もかもが戻ってこないというのは、少々答えた。
一体どこで息を絶えたのか、城に侵入して王様に聞きに言ったけど「人が踏み入れてはいけない地だ」の一点張りで、その地に赴いて探すという作戦は失敗に終わった。
挙句、謁見のルールを守らなかった私は現在牢にぶち込まれている。あんなに彼が近しく話していた王様に感情をぶつけるたわけでこのザマとは、こんなところで彼との身分の違いを感じても遅い。少しの謹慎処分ということで、牢からはすぐに出したもらえた。傷心する私に気遣ってくれたのかしれない。
トボトボと家に帰る途中、ウィンガルのことを思い出していた。もう涙は出なかった。
形見の一つくらいあれば、という思いでいっぱいだった。縁があって恋人となって、それでも同棲し始めたのは最近だ。いつ死ぬかわからない、とポツリと呟いた彼にたまらなくなって、私はすぐに行動に出た。短い間だったけど、一つの灯りの下に過ごすのは、気に食わないことも1割、けどとても幸せな日々だった。
家が見えてくる。そう、あんな感じに窓から灯りが漏れて……、ん?
何故、家から灯りが漏れているのだろう? あそこを使うのは私とウィンガルくらいだ。
いやまさか、と思いつつも私は駆け出していた。途中で盛大に転けて膝小僧から血が滲んでいたが、なりふりかまっていられない。走って走って、汗がダラダラの流れる感覚がひどく鮮明だった。
勢い良く扉を開け用途するも、汗ですべってまごつく。中には、誰が、いるのか。先走る気持ちが抑えられない。これが勘違いだった時、どれほど落胆するのかなんて考えられなかった。
乱暴に扉を開く。入ってすぐの居間には、黒ずくめの男がテーブルにつけてある椅子にポツンと座っていた。
「帰ったぞ」
素っ気なく言うやつに、私は歯を食いしばった。体も痛むであろう彼に、渾身の力を込めてチョップをかました。流石に彼も体に響いたか声にならない声をあげた。さらに、私は背中からウィンガルに乗っかった。
彼は、今、ここに、いる。しかも生きてる。
王様は嘘つきだ。何が帰らないだ。ちゃんと帰ってきた。「泣くな」と下敷きになるウィンガルは私に手を伸ばし、頭に触れる。泣いてない泣いてない。濡れているのは汗だ。顔を伝うのは汗だ。もう涙は流しきったのだ。流れない。
「おかえり」
絞り出すように言った。すぐに「ただいま」と照れたように言った。
何照れてんだよばーか。
140708 → 150724