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▼ レイヴンに面影を重ねる

夢を見る。故郷である帝都を一度追われ、世界の大空を禍々しいものが覆い尽くして、それこそ世界の終わりを見据えたあの日から、昔の記憶の夢を見る。

当時から帝都の騎士団は、まぁご察しの通りあれで、下町で生まれ下町で育った私にとっては恐怖の対象でしかなかった。実際に、女癖の悪い騎士に近所のお姉ちゃんが目をつけられて連れて行かれることがあった。当時は幼くて何をされているか、なんて想像しなかったけれども、今この年齢になって思えば、まぁそういうことなんだろうな。仮初の権力を振りかざして女の子に乱暴するとは、下賤な輩にもほどがある。

その中でも、たった一人、そして彼女の部下達だけは、下町のみんなをちゃんと人としてみてくれた。常に食料なんて足りないくらいだったのに、彼女達はわざわざ魔物を狩ってきて分け与えてくれた。上の命令だとか、そういうことではない。抽象的な意味で、彼女たちは騎士だった。一緒にうちの店で飲み明かしたりもした。当時は飲めなかった私は横でジュースを飲み、とある男の横顔をずっと見ていたものだ。思春期心に、初恋というやつだった。だから、わかってしまった。その男は、彼女に恋をしていた、と。本人は告げる気なんて毛頭なかったようだが、それでも、男が彼女を見る表情は軟らかかった。

最近は、そんな彼女らと、再開したお店でお酒を飲む夢を見る。彼女達が顕在だった頃は未成年だった私も、何故か今のおばはんな年齢で、一緒に酒を飲んでいる。話す内容は、目が覚めるとよく覚えていない。ただひたすらに、馬鹿な話をして、笑って、誰かの介抱をして、また酒を飲んでつまんで騒いで…。

そうして、決まって夢の最後には、店に来なくなった彼女らが、「戦争でみんな死んだ」とという一報が町に届き、私はその場に泣き崩れるのだ。



***




オルニオンの朝は早い。帝都が元団長閣下アレクセイに襲われたとき、帝都から逃げてきた人たちが協力して形となった町だ。土地の開拓が一段落したものの、やることは山積み。住人は誰が言い出したわけでもなく、率先して新たな建物の建造を手伝う。

そうして、住人が起きだす頃、私も動き出す。

町の西側、水辺の近くに魔物を警戒するための物見やぐらがある。そのすぐ隣に、見張さんの休憩所として使えるように、という意味で、ちょっとしたものが食べられて飲める軽食屋がつくられたのは、つい最近だ。昔、帝都にいた頃、両親が経営していたお店の手伝いをしていた私には料理の心得も多少はあったため、白羽の矢がたった。もともと、両親に倣ってお店を構えてみたい心も少なからずあったので、結果的にこの町での仕事を見つけた。ちなみに、日中は軽食屋だが、日が沈めば酒場としてお店を開いている。

町のみんなが建造を作業を朝する理由は一つ。まだ暑くならないうちに汗のかくを仕事をしてしまおうという理由だ。だから、みんなは朝食を食べる前に体を動かす。すると、必然的にうちのお店に休憩兼食事をするため集まることになる。私は、力仕事をしない分、食事を格安で提供することで持ちつ持たれつの関係を築いているというわけだ。

小規模な町とは言え、最近は人も増えてきた。私も、必死こいて量のあるものを作らなければならない。時間との勝負だ。

建物は二階建て。二階は私の移住スペースで、私はここで寝泊まりしている。一階は軽食屋。厨房も食料庫も、仕事関係のものは一階に詰め込んでいる。布団から出て身支度をし、階段を下れば気分はお仕事モードだ。

さぁ、今日も一日がんばるぞ、と息込んで誰がいるわけでもないが「よし」なんてひとり言をつぶやいた瞬間、だった。

ドシン、と。

地震とも違う、しかし地面が揺れる感覚が足に伝わる。長く続くわけでもなく、一気に一発だけドシンときたその衝撃は、立っていることが難しく、まぁ平たく言えば、私はその場に倒れこんだ。棚には仕掛けを施してあるから、皿が落ちて大惨事ということにはならない。しかし、膝を撃って痛い。許さない。原因はなんだ。

痛みからふらつく足に鞭うって立ち上がる頃、外では大勢の悲鳴やら阿鼻叫喚の声が聞こえた。



***




誰が叫んだか、「魔物の大群だ!」という声が、ふらつきながら店を出れば聞こえてきた。

結界魔導器がもともとないこの町は、安全面を考慮して背面が高い山岳に囲まれている。海沿いにある町であるが、海に通じるのは流れる川を辿った先である。町を出入りする入口は実質一つだけ。山岳の真逆側に位置し、唯一そこだけ開けた平原になっていた。ここには勿論魔物も巣食っており、しかしお互いに均衡を保ちつつこちらから危害を加えなければ、それなりに平和に過ごしていた。ただ、魔物の繁殖期だけは、数の増えた魔物が住む場所を求め町に入ることも少なくはないため、ギルドに依頼して駆除を頼むことが通例だった。

しかし、繁殖期にはまだ遠い。寒さも深まる秋口だ。枯れ始めた葉っぱが山々を色づけ、なかなかの景観を誇っている。

町の入口の先に、かすかに見えるのはサイノッサス型の魔物だ。あいにく詳しくないから何て名前の魔物かはわからないが、とにかく強そうだ。

数はそこまで多くない。が、武器魔導器を使いこなす者も持っている者もいないこの町に、為す術はない。そもそももう魔導器の使用は難しいというのに、武術の心得がないのだ。少し前までは騎士様も数人駐屯していたが、魔導器の使用が難しくなった影響で、最近は世界のいたる所で忙しくしていると聞いた。この町はそもそもの設立から荒波をかいくぐってきただけあって、環境の変化には馴染めるとみなされたのか、最近はかまってもらえてない。

まるで、狙ってきたようなタイミングだった。

私だって武術の心得はないが、体は黙っていられない。野次馬根性と言われればそれまでだが気になるものは気になる。

「女子供は山沿いに避難していろ!!」と町一番の剛腕が叫ぶ。パニックに陥る人もちらほらいるが、みんな目が座っている。魔物が来ようと何が来ようと、自分たちでどうにかしなければいけない。そう考え、行動できる者だけが今でもこの町に残っているのだ。


「雫、何で来たんだ下がってろ」
「私もやる」
「やるってお前、」
「碌なもんじゃないけど、弓矢が打てるの。それで惹きつけるから、あとは適当に何とかして」
「何とかってなんだよ!」
「よろしく!」


背中に静止の叫び声を浴びながら、見張り台の下に常備してある木製の如何にも弱そうな弓矢を掴み取って駆ける。近道に細い川を飛び越える。右足で着地したものの勢い余って左足が軸足の先を行き姿勢を崩すが、何とか持ちこたえた。ここでこけたらかっこ悪いもんね。

すかさず前を見据え、標的を定める。前方、4時の方向、目測10メートルほど離れているか。

木刀や錆びた剣を持つ町の三人青年たちが、下手な間合いを取りながらわずかに傷をあたえている。が、大したことはない。中型程度のサイノッサスは興奮を高めて、言葉通り猪突猛進、かろうじて転がりながら避けてもそのうち大きな傷をこちらが負わさせることだろう。


「へーいこっちだこっち!!」


両手を上にブンブン振る。自慢の脚力を使い、町の入口からダッシュで離れればサイノッサスは私を瞳で追いながら体の向きを変えてこちらに照準を合わせてくる。狙い通り。

右前足で数度かけて地面を蹴る。走り出す合図だ。私は振り返る。万が一私ごと鋭い牙に貫かれても背中は山の斜面だ、町の塀からは離れている。被害が及ぶことはない。

手元を見る。矢は数本しか背負ってこなかった。

再び前を見据える。命中率なんてあてにならないが、恰好だけでも敵の目を狙う。サイノッサスの習性上、一度突っ込んで来たら止まらない。つまり、避けられる心配もない。一本でも矢が、体のどこにでも刺さりさえすれば、多少なりとも動きは鈍くなり仕留めやすくなるだろう。

こちらの集中力が高められる前に、サイノッサスは突っ込んできた。

弓を教えてもらったのなんて、私がまだ酒の味も知らなかった頃のことだけど、運動神経だけはいいんだ。些細なことも、楽しかったあの時のことなら体がしっかり覚えている。

標的まで5メートル。思ったよりも奴の走りは重く、それだけの威力があるように感じられた。想定される痛みが急激に現実味を帯びてきて、背筋に何か冷たいような熱いような何かが流れる。身が引き締まった。

弓を弾く。途端に視界は鮮明になり、的しか目に入らなくなる。風の音が聞こえる。細いような太いような、近くにはない何か大きいものが風を切る音。久しぶりに構えた腕は情けなく震えた。筋力不足によるものではない。やるかやられるか、命のやり取りを交わす時に感じる本能的な何かだ。

風を切る音と共に矢は放たれた。緊張からかわずかに震えた反動からか、矢はしなり真っ直ぐではなくやや上方に傾く。が、ズブリ、と生生しく深くサイノッサスの瞼より少し上に突き刺さった。

私の脳内の作戦によると、この後はこうだ。矢の影響でわずかに失速したサイノッサスを、すれすれまでひきつけて左右に避け、岩面に突撃させ怯ませるというもの。失速はしなくとも、とにかく避けられればこっちのものだと踏んでいた。

残念なことに想像よりもやっこさんは頑丈らしく、走るスピードは正面からでは変わらないように見えた。しかし何ら問題はない。ジリジリと岩肌まで近づき、もう残り1メートルかそこらで、私は右に飛び込み受け身を取りながら転がった。

ドシン、と思い音がする。作戦通り、サイノッサスは山肌に突撃。立派な牙が仇となったか突き刺さり抜けない様子だった。

安堵で、ついその場に寝転んでしまった。空は青い。白い雲がよく映える輝きだ。

お蔭で町の役にたてたよ、キャナリ。

短い間だったが、弓の師匠だった彼女に思いを馳せる。もう、話もできない顔もあわせられない噂話も耳にできないほど遠くに行ってしまった彼女だけど、青空を見ていると思い出すんだ。


「雫!!!」


突然だった。まるで誰かの命が危険に晒せているような、そんな状況下で聞くような怒号が耳に刺さる。ピクンと体が痙攣し、サイノッサスの方を見るために上体を起こす。

が、もう遅い。

牙を折り、岩の呪縛から解き放たれたサイノッサスは、私を見据えて走り出してきていた。やたらと、スローモーションに映る。音はいまいち聞こえないが、包まれているような感覚だった。

ああ、死ぬんだな。直感した。牙はなくとも、その巨体に体当たりされればひとたまりもにないだろう。この体制では持つ弓矢を構える時間はない。矢を放つよりも、突撃される方が早いことだろう。

完全な慢心だった。勝利を確信した瞬間が、一番油断しているなどと説教臭く言われたのはキャナリ隊の誰だったか。

まだみんなが健在だった頃、出来上がった隊員たちとトランプでゲームをしていると、よく誰かだ口にしていたものだ。実際、そう言われた私はババ抜きで連敗街道をまっしぐらとしてた。今になって耳が痛い話だ。

諦める暇もなく、私は再び寝転んだ。視界にはいっぱいの青空。これを見ながらイケるなら本望かもしれない。父さん、母さん、今そっちに行くからね。町のために戦った私を褒めておくれ。

目を閉じて、意識はブラックアウト。地面を重く蹴る振動が体に伝わり、ついに死を感じた。

次に聞こえた音は、まるで弓が獣の体を貫く音と敵の急所を的確に斬り落とす音だった。



***




瞼が開き、視界が揺れる。光源の反射を取り入れる眼球の窓は、自分の機能をさぼりがちで怠惰にふけっていたのか、大きく開き過ぎたようだ。眩しくて目を細めた直後に思ったことは、目が乾いているので目薬が欲しいということだった。

目に映る情景は、生きていた時にお世話になっていた病院の天井の木目によく似ている。模様のある材木を使ったせいで病院の天井は若干ハイカラ使用になっており、暇で暇で仕方がない病院のベッド生活に少しの彩りを与えてくれたのだ。

なんともまぁ、面白いことに死後の世界は生きていた世界の記憶に依存するらしい。目覚めた場所が生きていた頃の病院に似ているとは、天国だか地獄だかの統領さんもなかなかユーモアのあることをしてくれる。これはこれで死後も楽しめそうじゃないか。

と考えたところで、一つの仮説が生まれた。

私、もしかして、死んでないんじゃね?


「あっ、目覚ました!」


椅子をガタリと転がす音と一緒に聞こえた声は、小さな少年のトーンで、しかし年頃なのか声変りが始まり少ししゃがれたハスキーな代物だった。聞き覚えはない。知り合いではないらしい。

あなたは誰? という率直な疑問を投げかけようとするも、声はでなかった。おいおい光彩どころか声帯もさぼってて動かないのかい。一体どれだけ眠っていたのか。


「待ってて、レイヴン呼んでくるから!」


レイヴン? 誰ですか?

温かい布団に包まれながら横目に少年を見れば、少し頬を高揚させて興奮した様子で両拳をぎゅっと握りキラキラ光る大きめの瞳をこちら向けて、そして慌てたように部屋を飛び出していった。

推測するに、私はサイノッサスとの死闘の後、何らかが起きて命は助かり、大した外傷もなく病院で眠りこけて今しがたようやく目を覚ましたとかそんな感じか。

それにしても、あの少年は誰で、呼びに行ったらしいレイヴンという人物は何者?

わからないことが幾ばくか。しかも判断する材料もないと来た。けどまぁ、すぐにわかるだろ、そのレイヴンがこの場に来てくれれば。

寝すぎたせいか、それとも死後硬直に片足を突っ込んだせいか、とにかく固く凝り固まった体を起こすところから、私は始めた。



***




「お邪魔しますよーっと…」


少年が立ち去って数分と言ったところか、一人の男が簡易病室に入ってきた。

目に着く紫色の羽織は体のラインを隠している。男性にしては比較的小柄なのか、丸っこい印象を受けた。長い髪は高いところで束ねてあり、あまり身なりに執着するタイプではないことが伺える。不自然に突出している腰の左側には、長さから推測するに脇差でも差しているのだろうか。

そろりそろりと身を縮こませている様子は、お世辞にも男らしいとは言えなかった。しかし、反して体の機敏さから所謂動ける人なんだということは察しがついた。


「あ、えと、そのー」
「はい」


私が半身を起こしているベッドから見て左側に扉はあり、男はそこから入ってきた。手持無沙汰な様子で気まずそうにこちらの様子をチラチラと伺っている。彼もどうしたらいいのか、困っているようだった。何故わかったかと言えば、自分も同じように思っていたからである。

何の接点があるのかわからない初対面同士だ。気まずくなるのも自然の摂理ではないか。



「あなたがレイヴンさんですか?」


名前を少年からポロリと聞いた時や部屋に入ってきた直後はわからなかったが、この人は少なくとも私より年上のようにみえる。童顔気味ではあるが、顔の皺は隠せない。少なく見積もっても10歳は離れている男の人だろう。

失礼に当たっては気の毒なので、敬称をつけておいた。


「はっ、あれ、俺、君に名乗ったっけ?」


存外、驚かれた。大袈裟なくらいに。一見すると、焦っているようにも見える反応だった。


「いえ、さっきまで見ていてくれた男の子が、レイヴンを呼んで来るって言ってたので…」
「ああ少年が…」


不思議な二人称の人である。


「それでその、」
「ん?」
「失礼かと思いますが、あなたは一体どちら様で…?」


自分の中で一つの仮説もないわけではなかったが、それを押し付けるのもおこがましい。かといってわかっていながら聞くのも意地が悪いが、後者を取らせて頂いた。

キョトンとした表情をされていた。そして、すぐにハッとしたらしく、照れ笑いを浮かべた。顔の皺が目立つ割に、少年のように表情がクルクルと変わる方だ。なんだか微笑ましく思う。


「そうよね。俺たち初対面だものね」
「はい」


さながら、自分に言い聞かせるような雰囲気だ。


「俺は、レイヴン。ギルドのもんなんだが、近場で魔物の討伐依頼をこなしてたら近場で魔物が暴れてるってんで、急遽こっちに来た者だ」
「助けてくれたのも、あなたですか?」
「まぁね、成り行きだけど」
「そうか…、お礼がまだでしたね。ありがとうございます」


私はこの人に命を助けられたのも同然。居住まいをしっかり正し、ベッドの上から失礼して頭を下げる。

すぐに慌てふためく声がした。


「ああー、いや、顔を上げてよぉ。おっさんそういうキャラじゃないんだって」
「はぁ、そんなもんですか」


頭を上げると、レイヴンさんは顔を少し赤くしていた。


「そそ。そんなもんそんなもん」
「でも、何かしらの形でお礼はさせてくださいね」
「ええっ、いいよいいよ!」
「駄目ですね。受け取ってもらいます。無理やりにでも」


頑な態度にこちらもむきなってしまった感が否めないが、それでも、助けられたお礼はしっかりしなければいけない。命を助けてもらうことを、命を、軽んじることはしたくないのだ。


「私、この町でちょっとしたお店をやっているんです」
「軽食を出したり、お酒が飲めるような?」


今度はこっちが面を食らった。流れるように、レイヴンさんが私の店がどんなものなのか言い当てたからだ。レイヴンさんの顔を見つめても、彼はニッコリと笑うだけだった。


「大正解なんですけど、何でわかったんですか?」
「勘かな。お姉さんが接客してたら、おっさんが嬉しいし」


語尾にハートをつけそうな勢いだ。部屋に入ってきたときは初対面だから真面目を被っていたのかもしれないが、ここにきてレイヴンさんの素が見えるようになったのかもしれない。存外、この人はおちゃらけて適当な人、なんて思ったけど失礼かしら。


「じゃあ、お店来ます?」
「えっ、呼んでくれるの?」
「大したものは作れないけど、是非。今夜あたりでどうですか?」
「そんなすぐに体動かして大丈夫?」
「? だって、私数時間そこらしか眠ってないですよね」


「朝方気を失って今は夕方ですし、」と窓の外をチラリと視線を運んでから指を差す。

レイヴンさんは、少し表情を落としてジィとこちらを見つめた。


「雫ちゃん、2日間寝てたんだよ」
「は?」


若干口を尖らせて言われた。そんな馬鹿なことあるもんかという表情をすれば、静かに首を振られた。勿論縦に。


「だから、お礼は今度。とにかく、暫くは安静にして」
「……」
「お願いだから、ね?」


眉を寄せて何だか苦しそうな表情で言われた。懇願されているようだ。

断れないとは、こういうことか。


「………、じゃあ、明後日、また来てくれますか」
「少しの間、この町にいる時間は取ってあるから安心して」


むくれていたら、不意に頭に掌を乗せられた。20半ばにもなって恥ずかしい。まるで子供扱いではないか。

しかし、だ。


「レイヴンさん、本当に初対面ですか?」
「ありゃ、流石に頭撫でられる年齢じゃなかったぁ?」
「私これでも27なんですけど…」
「んーふふ、そうよねぇ、雫ちゃんってば27歳よねぇ」
「???」


そんな、親戚のおじさんのような物言いを、命の恩人とはいえほぼ初対面の方にされるのは違和感バリバリであって…。

頭をぐりぐりと撫でまわされて体が揺れる。右回りに揺れる。あまりに大袈裟な動作で回されるものだから、酔ってしまいさえしそうなのだ。


「大きくなったな」


ところで、何故この男は私の名前を知っているのか。

彼がこの部屋に入った時から名前を名乗ったのは彼一人であって私は名乗っていない。この人が、油断した私をサイノッサスに止めを刺して救ってくれた人なのなら、あの気が遠のく直前に私の名前を呼んだことになる。そのタイミングで名前を知ることは不可能だ。咄嗟の出来事に、人伝に名前を聞いてきたとは考えにくい。

加えて、親戚のおじさんのような感覚に陥るのは何故か。まさかとは思う。自分の中に一つの仮説が浮かんでいる。が、まさか、そんな、馬鹿なことが。


「ダ、」


頭にあった手はそのままするりと降りてきて、限りなくさりげなさを伴って私の唇に指を置く。


「おっさんはレイヴン。よろしくね」


「じゃ、そろそろ行くわ」と、体を軽々しく動かしていつの間にかドアの前だ。「じゃね」とウインクで星なんて飛ばして、逃げるが如く私の視界から消えた。実際に逃げたのだと思う。

正直、思考が追い付いていない。そんな、死んだ人間が実は生きてましたーとか。あり得ない。作り話ではないのか。そもそも、戦争に駆り出されて体も遺品も何もかも吹っ飛ばされて所在が掴めないので死亡が確定したとかなんとか、その話はどうしたんだ。無事だったのか。何で。他の人は。生きているのか。どこにいるのか。

わからん。知らん。考えるのやめた。

何だかどっと疲れた。どうやら2日間も寝こけていたらしいが、今ならまた眠りにつける気がする。重力に身を任せて半身を勢いよく沈めれば、枕を通り越して敷物も飛び越えてベッドの板に頭をぶつける。痛い。医者の野郎、もっといい枕を用意したまえ。

レイヴンだってさ。何で名前違うんだろうか。根本的な疑問が浮かんですぐに消えた。

眠りはすぐそばにいたらしかった。



***




いつ見た夢だったか。夢に時間など存在しているのか、誰もわからないし証明できない。

花には詳しくない性分だが、一面に咲き誇るその花はいつしかキャナリが好きだと言っていた花だった。

夢の中で温度は感じない。しかし、この場の風は温かい風のように感じる。勢いは不規則に、リズムは生き物が息を吸って吐くように、吹いては止まり、また吹く。それに呼応して、名無しの花は柔らかくその身を傾ける。花弁と葉がサワサワと音をたてていた。

ずっとずっと先に、絵の具を落としたような青色の髪が、花と共に揺れていた。私は嬉しくなって、思わず彼女の名を叫んでしまう。その声は幼くて、妙に高くて耳に触る。目頭は熱くて、体の内部が発火しているように火照っていた。

私の声が届いたのか、彼女はこちらを見てくれる。私を見てくれた。またまた嬉しくて無邪気に歯を見せて笑顔を作ったら、彼女は少し切なそうな表情をした。

何でだ?

風が吹く。強く吹いた。その威力で花はいっぺんに散っていく。一面の花畑は一面の花弁の嵐になり、視界が鮮やかな橙で埋め尽くされる。対比したような青色はもう見えなかった。



***




「ダミュロンのこと、頼んだわよ」



***




風と花弁の音に紛れて、ノイズがかかったように聞こえたような気がしたその声は、間違えるはずもないキャナリの声で。

流石に、自分に都合の良いように聞こえ過ぎか。

ともかく、その日から夢は悪夢ではなくなった。





20141028



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