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▼ アルヴィンと再会

風が吹いている。自然に吹いているはずの風を、心地よく感じなくなったのはいつからだったか。幼い記憶ですら、風は心地よいものではなくて、この世界の美しさとはそんなものどこにもなかったのかのようだ。少なくとも、私は知らないんだ。

トリグラフの商業区から少し離れた住宅街は、見晴らしの良さそうな比較的高台にあり、そこにはさらに高くそびえる高層マンションが箱詰めのように立ち並んでいる。色も統一されていて、華はない。トリグラフの色のようだ。無機質な灰色、焦げ茶色。綺麗だとは思わないけど、じゃあ綺麗な色って何さ? と思う。荒廃的な色しか、わからない。

頬を撫でる風はのっぺりとしていて、特に何の感想も持たない。申し訳程度にある草木は勿論人工的なもの。ブランコやシーソー、などマンションの子供たちが遊べるように遊具が置かれているこのスペースは、さながらマンションの取り囲まれて親たちの目から監視を受けているようだ。中庭、なんてそんな美しそうなものには思えない。

日にちが変わろうとしているこの時間に、子供たちの姿はおろか大人一人いない。街灯だけがただの背景から脱しよう輝いて夜道を照らし自己主張を続けている。意味がなかろうとも。仕方ない。優しい雫ちゃんは、ブランコにでも乗ってあげてお前も背景から私の乗る椅子くらいには昇格させてあげよう。座ってみたら膝下が余る程、ブランコは子供用だった。20代も半ばに差し掛かったお姉さんの身長では持て余してしまう。

多分、柄にもなく緊張している。だから、いい大人がブランコに乗ってキーコキーコと空中を泳いでいるんだ。ある程度漕げば、視界は空で覆われて、風は髪を乱す。これから人と会うというのに、そんな乱れた格好で会う大人がどこにいる。名残惜しかったが、加速するブランコを足の裏で地面を擦り急停止させた。ズサー、というこの音も久しく聞いていなかったような。

手持ち無沙汰ではあったが、ブランコに座ったまま眠る街を眺めて人を待とう。



***




世界の成り方が変わるなんて、生きているうちに経験するとは思わなかった。幼い頃からの腐れ縁で、結局就職先まで同じくしているバランと、少し前に酒を飲んでいた時に、事の大きさに笑いあった。今では、自分たちが研究してきたものが、この世界をよくするものだとわかって万々歳。不眠不休の日々は続きそうだ。それでいいのだ。少しも苦ではない。好きでやっていることが、多くの人に役立つなんて、そんな光栄なことはなかなかない。

今日も仕事だった。数ヶ月前、リーゼ・マクシアと繋がったこのエレンピオスの環境の推移。精霊という摩訶不思議物の解明。やることは大積。私は個人的な興味のまま、精霊について調べて調べてそして調べていた。今日もだ。夕方辺りに、バロンが休憩のための差し入れを持ってきたとき、「今夜空いてる? 話があるからウチまで来て欲しいんだけど」とめちゃくちゃ楽しそうに言った。私は女であいつは男なので、そんな雰囲気の噂だってたっていた時期もあったが、今ではどこ吹く風、私たちがただの腐れ縁だということは同僚後輩先輩各位の事実だ。だから、今日言われた誘い文句がどんなに意味深でも、バランにそういう意図は決して皆無。しかし、今日のバランの表情はいつも以上に意地が悪そうで、何か裏があるに違いないと踏んでいたのだが、まさか、


「アルフレドを覚えているか?」


という言葉につながり、私は読み込んでいた文献を足に落として湿布沙汰になったのだった。


「アルフレドって、え?」
「俺の従兄弟のアルフレドだよ。小さい時によく遊んだだろ」
「いや、わかってるけど、え、いやあいつは20年前に死んだんじゃ」
「生きてるよ」


こいつは何を言っているのか。スヴェント家当主の息子だったあいつは、20年前のかの有名な豪華客船消息不明事件で一家全員で亡くなった、と。

友人の突然の死に、かなりショックを受けたことは忘れられない。


「いやけど、船が」
「その船が、リーゼ・マクシアに突っ込んだんだ。それで消息不明。アルフレドはリーゼ・マクシアにいたんだ。この20年間ずっとな」
「な、んで知ってんのよ」
「会った」
「会った!?」


思わず、バランの胸ぐらを掴むが、横で話を聞いていた同僚に止められた。一応こいつは昔馴染みでも仕事上では上司だ。口調こそ、今更敬語なんてサブイボが止まらなくなりそうで使えやしないが、今は仕事の時間、態度くらいは上司相手のものでなければ。流石に上司の胸ぐらを掴むのはまずい。離して、行き場の失った手を意味もなく動かした。


「え、じゃあアルフレドは生きてて、帰ってきてて、?」
「まぁ混乱するのも無理ないよな」


「因みに、」と彼は人差し指をたててわざとらしく続けた。


「お前が出張に言ってたとき、ここ乗っ取られたろ?」
「そんなこともあったね。無事で良かったよ」
「その時、アルフレドも来てて普通にこいつらと顔合わせたからな」
「は!?」


ちょっと待て。じゃあこいつらは昔のあいつを知っているわけでもないのに、アルフレドに会っているっていうのか。ちんちくりんな頃を知っている私を差し置いて、こいつらは…! 睨みを利かせて同僚をみたら、勿論目をそらされた。


「というか! 生きてるなら何で私に挨拶のひとつもないんだ! それに! バランも、何ですぐ私に言ってくれないの? ここが乗っ取られたのって随分前だよね!?」
「いやぁ、アルフレドのやつに口止めされててさぁ。きちんと挨拶したいから、色々とケリつけてから会うってさ」
「………」


なんだそりゃ。何があったんだ。わからんよ。


「てことで、今夜俺んちの下に来るってさ。そこでアルフレドと待ち合わせな」
「ん!? 流石に急過ぎやしないですかね!?」
「今すぐ会いたいアルフレドーって言ったのはお前だろー。照れないで会ってこい」
「言ってないし! 照れてないし!!」


いろいろと言いたいことも聞きたいこともあるけれど、バランは声をあげて笑うだけで何を言ってもはぐらかされる勢いだ。これ以上こいつの相手をまともにしても、そのうちこっちの血管が切れそうだ。それに、こいつは飽くまで上司飽くまで上司、


「因みに、結構な男前になっているから、うっかり惚れるなよ?」
「!?」


仕事上の立場なんて関係無い。今こいつは幼馴染の顔で私をからかっている。

ので、全力で殴った。



***




自分から呼び出しておいて何たる遅さだろうか。ただでさえ遅い時間だというのに、女性一人を待たせるなんて。成長したアルフレドの顔だって人間性だって何一つ知りやしないし、幼い頃の色褪せた思い出の中では、流石に想像だってしにくい。

第一、私の中のアルフレドはチビッ子でお母さんにべったりで甘えん坊で泣き虫で、大人になったときの姿なんて想像できないようなやつだったのだ。そいつがいきなり、男の大人として帰ってきました、なんて言われても、そりゃあ会えて嬉しいけど正直どうしたらいいのかわからない。困惑が、先に来てしまう。

今も、素直に喜んでいない自分がいる。どんな顔をして会えばいいのか、わからない。

ブランコに座ったまま、地に足をついたまま、ゆらゆら揺れる。このブランコも年代物なんだろう。キーキーと鎖の擦れる音が頭上から聞こえる。何気なく上を見上げてみても、特に何もなかった。


「わりぃ、待たせたな」


背中から、聞いたことのない男の声が聞こえた。


「アルフレド?」
「…よぉ、随分と、久しぶりだな」


男がいた。発育がいい。慎重もそれなりだが、体格がいい。ふくよか、ということではなく、服を着ていてもわかる筋肉質な体つきだ。小洒落た服装と、印象に残る茶系統のロングコート。男としては長めの髪は後ろに流されていて、お洒落なのか一掴みの前髪が額にかかっている。


「…本当のアルフレドだよね?」
「はぁ? 嘘つくかよ。お前こそ、あのちんちくりんだった雫か?」


言いながら近づいてくるこいつは、私の頭を小突くかのようにぐしゃぐしゃと撫で回す。大きな男の手だった。力も強かった。


「ちょ、っと! 髪乱れるやめろ!」
「おお? あの男と大差なかったお前も、身だしなみを気にするようになったんだな」
「ああ? お前なんか、私よりチビだったくせにっ」


頭に乗ったままの手を振り払うと同時に勢いよく立ちあがった。さっきまでは座ってたから私の方が目線が下だったけども、立ち上がれば身長なんて、


「………」
「男らしくなったっしょ?」


立ち上がったが、未だに私の目線はアルフレドより下だった。く、くやしい。頭一個分くらいは高い。しかも、勝ち誇ったようなニヤニヤ顔をしてやがる。くっそぉ……!


「なーにが男らしくなっただよ。男どころか知らない人みたいになりやがって! あの小さかった頃の泣き虫で甘えん坊で健気でお母さん大好きだったアルフレドを返せ!」
「なーんだよそれ。色々と大変だったんだぞ、こっちだって。お前こそ、女みたいにちんまくなりやがって。女みたいに丸っこい体になってるしよ、髪だって伸びて」
「うっわ。アルフレドってばエロなの? やだー、これだから男の人って、そういうことばかり考えて、」
「そりゃあ! 男だから! そういうところに目がいくんだよ! 男だからな!」
「む、昔は! あんなに、人のあと着いていくばっかりで情けなかったお前が、随分えらそうに立派になったもんだね!」
「ああそりゃあな! お前なんかが想像つかないようなことがたくさんあったんだっての!」
「……っ」


急に必死に言うもんだから、何となく、言い淀んだ。さっきまでの、半分ふざけ合いつつ、でも知っているはずなのに知らない相手の腹を探るような空気は、どこかに行った。


「昔とは、違ぇんだよ」


噛み締めるように言ったその一言は、重かった。何も、言い返せなかった。のと同時に、多分だけどアルフレドは私以上にこの20年間を濃密に生きたのだろう。言葉の重みが、そのまま貫禄だった。


「…悪いな、自分の中でケリつけたつもりだったんだが、やっぱりまだお前にはどんな顔してどんなこと話してどんな俺でいたら良いのかわからない」


髪の毛をくしゃりと握ったアルフレドの顔は、酷く情けなくて、少しだけ私の知っているアルフレドのようだった。


「辛かったんだね」
「………」


沈黙は肯定だ。


「私も、色々あったよ。色々ある度に、なんでアルフレドいないんだろってよく思ってた」
「……そうか」
「大きくなったアルフレドってどんな人かなーって考えたこともあったけど、やっぱりもやもやしたまま何も思い浮かばなくて、でもこうやって会ってみても、やっぱり何もわかんないや」
「そうだな。俺も、今のお前がよくわかんね」


自嘲気味にニヤッと笑うアルフレドにドキッとした。大人の男の人のようだった。


「話を、しよう」
「? 突然何だ?」
「今まで、会えてなかったときのこと、たくさん話そう。そうすれば、また幼馴染に戻れるよ」
「………」


思いついたがままに提案をした。自分ではなかなか良い案だと思ってる。お互いのことがわからないから、どう接したらいいのかわからないのだ。なまじ幼い頃の姿を知らないから尚更。


「どうだろうな」


それでも、アルフレドの声色は晴れなかった。ちょっとむっとした。ネガティブ過ぎないか?


「何でよ」
「ドン引きしちゃうかもよ? あまりの壮絶さに」
「そんなこと言ったって、あったことはあったことなんだから、変わらないし仕方ないでしょ」
「…おっとこまえだな、お前は変わらず」
「アルフレドこそ、相変わらず変なところ女々しいよね」


少しだけ口角が上がることが阻止できなかったので、アルフレドの横っ腹にパンチを入れといた。「ぐえ」という変な声の後に「何すんだよ急に」と文句を言われたので「餞別!」とだけ答えたら、笑いながら「意味わかんねっての」と返された。

少し気分が浮上したので、気を取り直して歩き出す。


「うちさ、港の方にあるんだけど、そこで話そう。今から」


別に、何気なく普通に言ったつもりだったのだが、アルフレドの返事は返ってこなかった。意味がわからなかったので、歩みを止めて振り向いたら、棒立ちのアルフレドは苦笑していた。


「何? 早くしないと置いて行くよ」
「いや……、お前彼氏いたことないだろ」


「はぁ?」と返しざるをえない。急になんで彼氏の話だ?


「いたことあるし、何で急にその話題なのよ?」
「そりゃお前、こんな夜更けに男を自分の部屋に呼ぶとか、誘ってんの? ってなるだろ」
「は? ならないだろ、アルフレドに? まさか。お前こそ彼女いたことあんの?」
「ったく、襲うぞ」
「は」


急に詰め寄ってきて腰を抱かれ、密着させられる。腰を抱く腕も存外たくましいもので、肩口に顔が近付けば男物の香水が香り、視界の近くに入る首筋は筋肉のついたもので、まぁとにかく、


「おっきくなったね、アルフレド」


見上げて言えば、怪訝な表情が。そして大きなため息。


「お前さ、もっと他に言うことないの?」
「どういうこと?」
「きゃあやめて、ぐらい言えよ」
「何それ声真似? 似てないからやめた方がいいよ」
「………」


やれやれ、と言わんばかりにまたため息。失礼なやつだ。

よくわからないけど、腰に巻かれていた腕は説かれて、スタスタとアルフレドは歩き出す。ちょっと待てや。


「ねぇ待って。結局何がしたかったのよ今」
「お子様にはまだ早ーよ」


手を頭上でヒラヒラさせる、その動作は腹立たしい。


「ちょっと、私の家どこだかわかってんの!?」
「さぁな。港だろ。早く来いよ」
「はぁ!? 意味わかんない!」


癪だけど着いていくしかない。走って追いつき、背中に平手をかました。





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