文章 | ナノ


▼ プラターヌ博士が帰ってこない

私がこの地に定住してもう5年か。いや、定住というのには少し違うかもしれないが、いい加減異なる言語にも慣れて、1人でもなんとか生きていけるくらいには成長した、と思う。個人的に。

そもそも、私をこの地に連れてきた張本人は無責任過ぎるのだ。研究の一端だか何だか知らないが、弟子たちの様子が気になる、とお節介な彼は数日に一片、今頃はあの辺だろうかと、何かしらの目星をつけてふらりとどこかへ出かけていく。そして二、三日帰ってこない。私の自宅であり彼の研究所であるここに私を一人ぽつんと置き去りにして弟子たちの心配とは、いいご身分である。そんなに弟子たちが可愛いか? いや実際なところ個性もあり愛嬌もあり子供らしくっていい子ちゃんな可愛いやつらなのは私だって会ったことがあるからわかっている。わかっているけれども、そっちばかり気にかけられては何だか癪だ。

何で癪に障るのか、なんて。あんな博士を毎日面倒見てたら言うのも野暮でしょう。



***




その日も、博士が研究所を旅出て暫くがたった日だった。いつもと違うことと言えば、一週間近く帰ってこなかったことだろう。加えて、村一つに大穴を空けてしまったその騒動から3日が経ち、その事件終息の裏にはポケモン図鑑所有者である少年少女が関わっていたこと。そして某企業の取締役の行方がわからなくなっていること。

何も知らずに研究所の中で、博士に隠して溜め込んでいたお菓子を貪りながら何気なくつけたテレビは、こちらの気持ちも知らずに淡々と教えてくれた。

ここ何日か、博士の帰りがいつもより極めて遅い理由。私は察しざるを得なかった。

お菓子を噛んでいたはずの歯は、私の唇を噛んでいた。



***




それからさらに4日が経った。事件当日からはもうはやいもので一週間が経つらしい。私は相変わらず自室のテレビの前でお菓子を食べている。

カロスを揺るがす大変大きな事件ではあるものの、これだけ日にちがあけば話題として取り上げられることも少なくなってきたし、そもそも取り上げる情報が重複し過ぎていてどれも代わり映えがしない。 

私はそろそろ悟りを開いていた。博士は確実にこの事件に関わっている。図鑑所有者の名前が関係者に上がった時点で、彼も何かしらの関係者なのかもしれない。……とても信じたくはないが、もしかしたら、もしかしたら、フラダリさんと仲の良かった彼はそもそもこの事件の。

そこまで考えては何回も辞めた。そうだ。私は彼の先生であるナナカマド博士のところで腕を買われ引きこもり上等で、むしろ元々の引きこもり精神で助手を努めていたらナナカマド博士の弟子だったプラターヌ、事実上同期ではある彼に引き抜かれてこのカロスにやってきた。それから5年が経ったが、私は相変わらず引きこもりだ。引きこもりで研究所のポケモンたちの面倒を見て、機器をチェックしては資料にまとめ、細やかな掃除や洗濯等の家事全般を仕事として博士に雇って貰っているのだ。もともと彼のことは仕事の面と少しの生活面でしか繋がりはなく、直接的なプライベートや詳しい交友関係までは知らない。彼の好み趣向研究テーマはわかっても、野心や野望は知らないし聞いたことも話されたこともない。

こうやって仕事場を離れてしまえば、彼がどんな人かよくわからないのだ。

あの人は携帯電話を持たない。故にここを離れてしまえば安否はたちどころにわからなくなる。それが日常的過ぎて私の感覚は麻痺をしていたようだが、とんでもないことだ。現に2週間近く連絡が取れずに不安になってきているのは事実。

私は、少し考え方を変えてみることにした。十中八九その事件に博士が関与していることは間違いないとしよう。では、その事件の後博士はどうしたのだというのか。彼は見た目もさることながらなかなかの男前にしあがっているわけで、故にそこそこに異性に人気のあるわけで、街に出かけて適当に調子よくナンパをすれば、成功率こそ半分程度、いやほぼ相手にされないで終わるが、その容姿を好んで関係を持とうとする人もいるかもしれない。大した資金を持たずになってフラリと旅に出られるのはその場その場に現地妻でもいるのではないか。彼はポケモンバトルが得意ではなく、てっとり早くお金を稼げない(というと語弊があるかもしれないが)。

だんだんと悲しくなってきた。自分で考え出しておいて、だが。悲しいものは悲しい。

私はこれでもプラターヌ博士を異性として好いている。例えポケモンが大好きで目に入れても痛くないと豪語するレベルでも、あれで運動はからっきしなところも、自分の容姿を知っているからこそナンパをするも軽く見られて失敗するところも、駄目なところも含めて私は彼が好きだ。5年前に半ば無理矢理この地へ連れてこられた時は憤怒し噛み付いてばかりだったが、いつしかそんな想いを秘めるようになってしまった。

彼に触れたい。笑いかけられたい。自分を見て欲しい。優しくしたい。優しくされたい。キスがしたい。手を繋ぎたい。体を密着させて相手の熱に酔いたい。それ以上のことがしたい。

全て、私の頭の中でのことだ。こんな私を博士が知ったら、笑うだろうか? 引いてしまうだろうか?



***




かりんとう美味い。美味しい。けどもうなくなる。博士の分はもうないよーだ。バーカバーカ。

博士が出ていってもう何日かなんて数えるのも馬鹿らしくなった頃、貯蔵していたお菓子がついになくなった。最後はかりんとうだった。わざわざ自宅から送ってきて貰ったものだ。後で電話して送ってもらわなくては。

そんな思考にまみれている最中、1階の玄関の扉のガチャリ、と開く音がした。

あれ? かりんとうもう来たの? まだお母さんに電話もしてないのに? すげぇ、お母さんエスパー。

……わかっている。かりんとうが届いていないことくらい。



***




「博士っ!!!!!」
「やぁ、雫くん……。久し振りだね」


何が久し振りだねだばかばかばかばか。

自分の足が出せるスピードなのか疑うほどの速さで2階の簡素な自室スペースから駆け下りれば、途中で盛大にこけてしまった。そのまま階段を滑れば足が痛い。膝が痛い。けどそれよりも。目の前には、何週間か振りの博士がいた。

服も鞄もどうしたらそこまでなるのか不思議なくらいボロボロ。ズボンの裾なんか研究所に置いてある雑巾の方がマシなくらいだ。気に入ったものを離さない博士が、いつも出かけるときにかけていくバッグもほつれて小さな穴が数カ所あいている始末。はみ出す元は白かったのだろうか、くすんでくたびれた灰色がかっている何かの布地は白衣だろうか。

博士自身も、いつも小奇麗に決めていた髪は乱雑なオールバックへと変わっている。後ろに流した髪の毛が四方八方明後日の方向に散らかっているのは癖っ毛のせいだろう。特徴的に整えられた髭も今はただの無精髭だ。しかし、いつもと変わらない香水だけは香ってくる。


「元気で、留守番出来ていたかい?」
「どの口が言いやがりますか、そんなボロボロになって帰ってきて……」
「ちょっと…………、一言では説明しにくいことがたくさん起こってね」


痛めた膝をかばいながら博士に近づけば、爽やかなような色っぽいような香水に詳しくない私には判別できない大人の魅力に満ち溢れたそれが鼻を通り脳みそを刺激する。ああ、博士がここにいる。目の前にいるのはまごうことなき、いつもより少しだらしなくて小汚い博士だ。

抱きつきたい抱きつきたい。そのまま胸に抱かれてわんわん声を出して泣いてどれだけ私が心配して枕を濡らす夜を過ごしてきたか。


「……察してます。とにかく! お風呂! 掃除ついでに入ってきてください! その様子じゃ自宅に先に戻られたわけじゃないんですよね?」
「流石雫くん。わかってるね。なんなら体を流してくれてもいいんだよ?」
「んなアホなこと言ってたら、傷口にマスタード塗りますよ」
「ははは、それは痛そうだ。じゃあまだ日は高いけど先に頂こうかな」


髪を書き上げながら笑う博士は様になる。かっこいい。

本心なんて悟られまいと、私は眉を釣り上げて博士の背中を押した。ああ、博士の匂い。少し汗なのか体臭の臭いもするような気がして、何だか頬が熱くなる。こんな臭い知らないよ。

なんだそりゃ。私は変態かよ。全く。これも博士がなかなか帰ってこないせいだ。博士が帰ってこないだけで、私はこんなにも、こんなにもかき乱され、一喜一憂し、思考回路までいつも通りではなくなってしまう。何だよ。何なんだよ。これが惚れてるってことか。そっか。馬鹿だなぁ。私、馬鹿。

ここまで一人問答をしていたら、いつの間にか目には涙が溢れて頬をつたった。彼の匂いを感じ、触れた背中から温もりを感じ、姿を見てから会話を交わしてから、少しの時間をおいてから、ようやく彼が生きて帰ったことを実感したのだった。今、彼がこの場に居なくて心からよかったと思う。こんなみっともない姿、見せられるわけがない。彼は今頃シャワールームだ。

さて、博士はきっとお腹をすかせてお風呂から出てくるだろう。きっと出てきて最初に言い放つ一言は、「何か口にするものはあるかな?」のはずだ。それまでに、何か軽食をつくってやらないこともない。…私では想像もできないような、大きなことに巻き込まれているはずだし、きっと心の傷も深いはずだ。親しかった友人さん、フラダリさんのことを、私だって知らない訳じゃない。何度かここに訪ねてきて、他愛のないお話をしたことだってあるし、一緒にお茶をしにカフェまで行ったことだってある。フラダリさんが顔に似合わずコーヒーにたっぷりのミルクを入れることだって知ってる。それが胃に対して優しくするためだということも。私だってこれだけショックなんだ。彼はもっともっとショックに違いない。そう。そのショックを軽減させるためには、楽しい食事が必要なんだ!

とは言うものの、申しわけないけれど私は料理が得意ではない。だけど、そんな私だってつくれるものはある。故郷の田舎では、しょっちゅうお弁当なんかと合わせて持っていったものだ。スタンダードでつくり方も簡単。こちらではあまり目にすることのない、白い粒たちは、私の日々の食生活のために定期的に蒸されて柔かくなっている。私は、まず手を洗うところから始めた。



***




遅い。これは何が何でも遅すぎではないだろうか。博士が風呂に入ってから、もうとっくに時計の短い針は一周回った。その間に、もうおにぎりは五つも形になっていたし、海苔だって包まれて水蒸気でしなしなになっている。

まさか、あまりにも疲れて帰ってきてお風呂の中でぶっ倒れたとか? いや、ゆっくりし過ぎて眠ってるとか…いやいや、ここには湯船なんてないし、ってことは、やっぱり倒れてる!? やばい。生きて帰ってきたのにお風呂で倒れて意識失ってそのまま…とか! 笑えない。全然笑えない冗談だ。

何はともあれ行動あるのみ。私は博士の安否だけを心配して、つまり他のことは何も考えずにそれだけが頭を占領してお風呂までの廊下をダッシュした。

お風呂の扉の前に着き、立つ。「博士!」と呼びながら勢いよく扉を開ければ、仕切られたカーテンの向こうから人の声による返事はなく、代わりといってはなんともお粗末な、シャワーが勢いよく噴出している音しか聞こえない。こ、これは本格的にヤバイんじゃないか。本当に死んでいるんじゃないのか。生唾を飲みながら、一思いにカーテンを一気に引く。

後悔した。私は大変後悔した。一気に顔が熱くなって、そしてかけられた近くのタオルをひっつかみ流れるように博士に投げつけ、そしてシャワーを止めた。

よくよく考えればわかることである。お風呂に入るのだから、シャワーを浴びるのだから、服を脱ぐのは当然。裸になるのも当然だ。私は何を考えていたのだろう。いや、真面目に返せば博士の安否を心配するあまり、なのだがそういう問題ではない。

好きな人の局部を不本意に見せられて喜ぶような神経を、私は持ってないんだ。見えてない。何も見えてない。インドアで籠りっきりで運動だって得意じゃないのに、程よく引き締まった腰回りなんて、私は見てないんだ。

全く、どうしてくれようか。今の一連で、私は乙女としての何かを大分えぐりとられた気がする。


「……雫?」
「!? は、はい!」


寝惚けたような声で呼ばれて、熱く火照る頬の赤みがさっと引いていく。そうだ。裸を見てしまったために呆けてしまっていたが、彼が倒れていたことには変わりがない。


「情けない姿を見せてしまったね…」
「いえ……」


情けないモノ、の間違いではないか? とは、口に出さない。


「大丈夫、ですか?」
「いやぁ、安心したら力が抜けてしまったね。この有様だよ」
「…すぐに呼んでくださいよ。駆けつけるのに」
「すまない。男の意地というのかな? 君にこんな姿、見せたくなかったからね」


ははは、と自嘲気味に博士は笑うが、笑い事ではない。お陰様で頭の中は悶々としている。夢に出てきそうだ。いや、別に特別やらしい意味ではなく。そう。笑い事ではないのだ。


「髪の毛、拭いてあげるんで後ろ向いててください」
「おや? 雫くん、今日は随分と優しいね」
「つべこべ言わず、隠すもの隠してください。握り潰しますよ」


出来もしないことを言って脅した。博士は相も変わらず、自分の体調が芳しくないはずなのにいつも通りに余裕そうに言葉を返してくる。腹立たしい。弱ってる時くらい、弱いところを見せてくれたっていいのに。

再度カーテンを引く動作は、少しゆっくりだった。博士の、背中が見える。少しゴツゴツとして、男の人の背中だとすぐにわかるその背中。また心臓がうるさいのは、惚れた弱みか。


「頭、拭きますよ」
「うん。お願いね」


ぴょこんとはねていろんな方向へ向かっている黒髪を、タオルで包んでは叩くように水気をとっていく。一応、の優しさだ。

何か優しい言葉をかけるべき、場面なのだろうな、と手を動かしながら思わないわけではない。けど、元々の性分が口下手なんだ。俗に言う、素直になれない質なのだ。思っていることと裏腹な言葉が、口を出ることの方が多い。今更、改めることのできない、自分自身の特徴だ。

暫く、博士も無言だった。お陰で静かな空間が生み出されて、不思議と心地よかった。博士もそうだったから、口を開かなかったように思える。そろそろ髪の毛の水分も粗方とれただろう、と私が手を止めると、博士ががくんともたれかかってきた。後ろから抱きしめるように髪の毛を拭いていた私に、背中から寄りかかるような形だ。


「ちょ、っと! 博士?」


上から顔を覗きこめば、なんともまぁ、不抜けた表情をなさっていた。穏やかな顔で、お眠りなさっている。全くもう。この人は。驚かせないで欲しい。


「もう……。服も着ないで寝て……」


湿った髪の毛は後ろに流れて、オールバックに近い。さながら私が膝枕をしているかのような光景だ。私は博士の髪の毛を後ろへと撫で付けながら、見せられたおでこにデコピンを喰らわす。ピシッ、といい音がなるも、博士は唸るだけで目を覚まさなかった。

しかし、ふと、


「雫……ありかとう……」


などと、呟きやがりますからにして。私も拍子抜けだ。現金である。好きな人からのお礼一つで、こんなにも幸せを感じるのだ。この人には全くこれだから、適わない。


「愛してるよ…………」


思わず、手が止まるほどの呟き。直前の言葉が私に向けられたものだからと言って、次のものまでそうだと、楽観はできなかった。

元来様々な土地へ研究そっちのけにフラリとどこかにでかけては、暫く帰ってこないなんてザラにあること。その場で現地妻をつくっていたって私は何も驚きやしない。やっぱりそうだったんですね! と納得顔で言える自信がある。けどまぁ、やっぱり、悲しくは、あるけども。

全くもう。ここに来てから全くもうが口癖になってしまった。これもそれも全部、博士のせいだ。博士がどうしようもなくて、そのくせ魅力的な男性で、いちいち私の心をかき乱すのがいけない。


「私はあなたを愛してますよ」


なるべく小さく呟いた。聞こえないように、聞こえないように。

だからだろうか。何も反応を返さずむにゃむにゃと呑気に眠るこの人に腹が立つ。腹が立つので、いつもより主張の激しいおでこにデコピンの代わりにキスを、落とした。

もう知らん。裸のまま眠って風邪でもひいてしまうといい。髪の毛を拭いて湿ったタオルを申し訳程度に博士にかけ、硬い床に博士の頭を置く。浴室の電気も消してやれば、大分満足だ。

そういえば、つくったおにぎりにラップをかけていない。慌てて来たからだ。乾いてカピカピになっていたら嫌だなあ、食べさせる気満々で浴室の扉を閉めたのだった。





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