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▼ 乾貞治の目チラ

「……お前たち、何をしている!」

低いのによく通る声だと思う。我らがテニス部部長の手塚くんの声を背中に浴びて、隣にいる乾くんと同時に肩をビクつかせた。

「グラウンド20周。早く行って来い!」



そんな怒声、というには透き通っている声を無視することが出来ずに、結局のところ、マネージャーである私と乾くんとで、今やっと走り終えたのだ。―――言われた半分の量を。

「…いいのか、半分で」
「いいって、ゆうか、わたしの、たいりょくが、もたない、って、ことだ、よ」
「お前はやはり、女子だな」
「いまごろ、きづいたか、たこすけ」
「………タコ?」

いいんだ、タコはどうでも。言ってやりたかったが、私にそんな余裕はない。コート外のフェンス周りを10周もしてきた。乾くんが言う通り、私は女子だ。20周なんて距離、走れるわけがないだろう。全く、部長は無理を押しつけ過ぎだ…。部室横の木にもたれかかりながら、その場に座り込む。

「サボったことがばれると、周数が追加されるぞ」
「乾くんが部長に言わなきゃいい話だよ」

10周し終わって、やっと数十分。上がっていた私の息も、いい加減平常に戻ってきた。ただ、息が平常に戻ると、一つ気になることが出てきもした。

「暑い」
「ああ」
「汗、ダラダラだ」
「そのようだな」

そう、汗。女の子の大敵とも言える汗が、額に、首筋に、胸元に、浮かんできて仕方がない。だけど、何で、隣のコイツは………

「何で乾くんそんなに涼しそうな顔してんの!」
「…そんなに暑くないと思うんだけど、」
「暑い!」

もはやもう自棄である。さすが、青学テニス部レギュラーなのだろうか、それとも単純に男の体力が凄まじいせいなのだろうか。どっちにしろ、ムカつく。こんなインテリ顔しておいて、分厚い眼鏡なんか掛けてるのに…!

「はぁ、まぁいいや」
「…まだ張り合う気でいたのか」
「だからもういいって。ちょっと、水道まで行ってくる」

寄りかかっていた木から、立ち上がって伸びをする。そして、歩き出そうとすると、腕が掴まれた。―――この状況、言わなくても誰に掴まれたかは明白だ。

「何、」
「俺も行く」
「え、何で」
「暑くないが、喉が渇いたからな」
「………あっそ」

私から腕を放し、そして立ち上がる。私が茫然と、ああやっぱり背が高いなコイツ、なんて呆けていると、乾くんは一人で歩いていってしまった。相変わらず、マイペースな人だ。



二人共、無言で無言で水を飲んでいた。いや、水を飲みながら喋れたらそれはそれで人間離れしているのだが。
私は、乾くんよりも一足先に、水道から顔を上げた。排水溝に何かが詰まっているのか、水道に水が溜まって蛇口から溢れ出てくる水滴が跳ねている。後でスッポンでも持ってこようか、とお節介なことを思い浮かべた。
あ、タオルを持ってくるの忘れた。だが、今更思い出しても遅い。仕方がなく白いTシャツの袖で口元を拭った。
ふと、すぐ横で水飲んでいる乾くんが視界に入る。…彼のように背が高いと、屈むのも面倒くさいのかな。足を大きく広げ、腰から体を折って蛇口に口を近づけている乾くんを見ていると、そんなことを考え始めてしまった。
そして、乾くんは唐突に蛇口に添えていた大きな手を使って水を止めたのだ。

「……さっきから気になっていたんだが、」

レンズが分厚くて瞳が見えない眼鏡を、彼の指が押し上げる。よくやる、彼の癖のひとつだ。

「なに、」
「…透けているぞ」
「……は?」
「だからその、……下着が」

顔を真っ赤にする前に、私は即座に後ろに振り向いた。自分の胸元を見てみると、水道に溜まっていた水が跳ねていたのか、ところどころが濡れて透けている。
恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい…!胸元を腕で隠して、再び乾くんの方へ向き直った。

「……いつから見てた?」
「水を飲んでいる最中。目だけでお前を見たら透けてた」

悪いと思っている訳でもなく、ましては顔を赤らめれる様子もない。その表面上の感情に、私は少しキレた。

「、っバカ!!」
「うおっ!」

水道に溜まっている水を手ですくって、乾くんにかけた。持ち前のノーコンが生かされたのか、その水は見事なまでに乾くんの顔に命中。声と共に顔をそ向けられた。
ここで、私も冷静になる。

「あ、ごめん」
「……謝るくらいなら、最初からやらないでほしかったな」

眼鏡をしているのにも関わらず、あー、目に入った。と嘆きだすので、再び罪悪感を感じる。本当にごめんなさい。と再度こっちが謝ろうとしたときだった。
乾くんが、眼鏡を外した。単純に考えて水が入ってしまった目をこするためだと理解できた。が、しかし。この時に見えた、初めて見た乾くんの裸眼が、
……何だよ、少しドキドキしちゃったじゃん。

「…ん、どうした?」
「何でもない」

何か恥ずかしくって、思わず顔を逸らす。今頃乾くんは、また不思議そうな表情をしているんだと思った。

「さてと、お前は…シャツを着替えに行かなきゃな」

そう言われて、乾くんの顔を見た。もう眼鏡はかけてしまっている。…少し残念だったのは、内緒だ。

「そ、だね」
「よし、行くか」

乾くんが、数歩歩いて突然立ち止まった。そして私の方を振り向く。……どうやら、待ってくれているらしい。再び胸元を腕で隠しながら、小走りで乾くんに駆け寄っていった。









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