追記 2017/05/14 23:07 男は名前を与えられなかった。気づいた頃にはローマで育ち、皇帝の膝元で騎士道を学んだ。名前はなく無名と呼ばれるのが常であった。 幼い頃に名がないことで色々不便を受けたことがあった。自分の育ての親に何故名をつけてくれないのだろうかと不満に思ったこともある。彼がいうには自分には立派な名前があるため、名付ける必要はないということだった。ではその名はと聞くが、親との約束でそれは教えられないと言われた。いずれ立派な騎士になれば教えると言われ、無名はローマの地で騎士になることを志すが途中養い親は病死してしまった。 このときほど無名が養い親を恨んだことはない。本当の名前ではなくても何か特別な名で呼ばれたかった。養い親がつけてくれる名であれば何でもよかったのに。 そう残念に感じながら無名は騎士道を学びローマで剣術を身に着けていった。 成人し戦にでると多くの功績を残し皇帝からいただいたサーコートからサーコートの騎士と呼ばれるようになった。そして戦はいったん落ち着き、ローマは一時の平穏を取り戻した。 皇帝は無名を呼び、アーサー王に謁見するように命じた。そして謁見の際に箱を献上するようにとも。何の箱か知らされず名無しはその箱を持ち海へと渡った。 たどり着いたブリテンをみて驚きを隠せなかった。常に未知の外敵の進行にさらされ、ところどころ戦場の跡地となっていた。また森や山へいくと狂暴な竜や猪が棲みついており人々の生活をを脅かしてきていた。 人々は疲れ切り何かにすがるように日々を過ごしていた。 その何かというのが新たな王であった。 若くして王座についた英雄アーサー王。 賢者マーリンの予言通りに登場した光輝く王。 彼の到来により外敵の進行は食いとどまり、また異端の怪物たちも次々と退治されていった。星の力を宿した聖剣を持ち、どんな傷も癒す力を持つ王は無敵の英雄であり人々はこの存在に歓喜した。これで自分たちの生活は平和になっていくだろうと。 「騎士王アーサー王か。どのような方か」 ローマを旅立ってから聞く人々の噂は地域によって異なる。生意気な少年王、神々しい光のような少年王とさまざまだ。 それは島国にたどり着いても場所によって異なった。 ローマ法王から会うように言われたのだ。きっと何か得るものがあるはずだ。 そう信じてここまでくるとふと湖の傍らに一匹の栗毛が視界に入ってきた。遠目でも手入れが行き届いた美しい毛並みで、鞍と轡をつけられている。だが、騎乗者の姿が見当たらない。気になった無名は馬の傍まで近づいてみた。人懐こい性格ですぐに無名に甘えるように寄り添ってきた。 「主人はどこにいったのだ?」 そういうと無名の言葉がわかるのか木々の傍へと寄った。木の陰隠れて見えなかったが、そこに主人の姿があった。木にもたれかかりすやすやと眠っていた。 「これは」 主人の姿をみて無名は思わず息を漏らした。 薄い色素のプラチナブロンドの髪を綺麗に編み込れ綺麗に整えられた。肌は透き通るように白く雪を思い出した。身に着けている衣装は男物であったが、顔だちは間違いなく美しい女性のものであった。あどけない笑顔が愛くるしく少女のようにみえる。 「眠り姫だ」 そう表現し名無しは主人の傍に近づいた。そしてふと造形の違和感を覚えた。何だろうかと主人をみると右腕がなかった。 慌てて肩に触れると驚いたようにその肩がはねた。翡翠の瞳が無名の顔を映し出す。その様をみて無名は胸の高鳴りを覚えた。 「あの」 翡翠の瞳が困ったように無名を見つめてくる。 「あ、失礼。このようなところで倒れているのではと心配になり」 ちらっと右腕の方を見つめる。そこには自分にはある腕はなかった。袖が膨らみなく垂れているのみであった。 「ああ、これは幼い頃のものであり野党にやられたわけではありません」 無名の心配を察して説明する。 「幼い頃………」 「はい。幼い頃、酷い火傷を負い命が危うかったので切断したものです」 「そうでしたか。お辛いことを聞きました」 「よいのです。昔のことですから」 栗毛が甘えるように肩にすり寄る。それを翡翠色の瞳の主人は優しく撫でてやった。 「そうだな。そろそろ戻らなければ………」 そう呟き主人は立ち上がった。つられて無名が立ち上がろうとすると思わず驚いてしまった。自分と同じくらいいやもしかすると自分より少し長身かもしれない。成人して1,2年でめきめきと身長が延び同年代の騎士や少年兵の中ではぐんを抜いて高かったと自負しているのに目の前の美少女がまさか自分よりも長身とは。少しショックを覚えてしまった。 「どうかしましたか?」 「あ、いえ………」 落ち込む無名を心配し顔を覗き込んでくる。美しい宝石のような翡翠色の瞳に見つめられ、無名は今のショックをつい忘れ去ってしまった。こちらへ見つめてくるものは間違いなく美しい少女のものであり、わずかな長身でもあまり気にならなくなった。 「旅の方ですよね。外から来られたのでしょうか」 「わかるのですか?」 「ええ、訛りが………南方のローマのものでしょうか」 「そうです。私は無名といいます」 「………無名?」 その名前をきき翡翠色の瞳は不思議そうに瞬きした。 「私には名前がないのです。なので無名と呼ばれたり、最近はサーコートの騎士と呼んでもらっています」 「あなたも騎士なのですか? そのいで立ちは異国のものですよね」 少女は目をきらきらさせ無名を見つめた。赤いサーコートを珍しく見つめる。よくみれば細かい刺繍が施されている。 「これは、ローマのものですね。ではあなたはローマの騎士なのですか?」 「はい」 「ようこそ。ブリテンへ。異国の騎士よ」 頭を下げ礼をするその仕草は柔らかく、気持ちのよいものであった。翡翠色の瞳が改めて無名の姿を捕らえていう。 「私はベディヴィエール。アーサー王の騎士です」 それを聞き無名は目を見開いた。 今、何といっただろうか。 このブリテンでは少女(おとめ)が騎士になれるのか。 無名の動揺をよそにベディヴィエールは王の元へ案内してくれるという。 「サー・無名。我が王に会っていただけないでしょうか。異国の情勢にも興味を示されています」 それは願ってもない申し出である。元々アーサー王に会うためにここまでやってきたのだから。 承諾するとベディヴィエールは無名を栗毛に乗るように促す。 「いえ、私は徒歩で十分。あなたがお乗りください」 「そういうわけには」 どちらかが乗るかお互い譲り合っているうちに日は傾いていきあたりは暗くなってしまった。仕方なく二人は馬を引きながら道を歩いていった。 白亜の城、キャメロットは夜中であっても月の光に照らされその純白さはあたりを照らした。 ローマの都も賑わい美しい街であったが、その純白として美しさに思わず無名は見とれてしまった。 「これが我が王の城、キャメロットです」 ベディヴィエールは我がことのように自慢げに城へと案内した。 馬を出迎えた騎士に渡すと年若の騎士がベディヴィエールの方へと近づいた。 「サー・ベディヴィエール。アーサー王がおよびです」 「わかりました」 ベディヴィエールが頷きながら無名の方を見つめた。 「今から王の元へゆきますが、ご一緒に行きますか?」 「是非」 するすると目的の相手の元へたどり着けてあっけないと思うが、皇帝より預けられたものを早く献上できると無名は喜んだ。 案内された先は純白の壁に、天窓から月の光が照らされて幻想的な雰囲気を醸し出していた。 王の座のすぐ前までベディヴィエールに案内される。ベディヴィエールが王の傍まで近づき膝をおり報告を述べる。そして無名の紹介を行った。 「異国の騎士よ。そなたは名がないというのは本当か?」 「はい。ですが今は不便に感じることはありません。ローマではサーコートの騎士と呼べばそれは私以外おりませんので」 「なかなかの武勇をお持ちとみました。そのサーコートはローマ皇帝よりいただいたものですね」 遠目でも無名の身に着けるコートの技巧のすばらしさがわかるようである。すぐに身に着けているものをみて王は無名の騎士がどこの国で活躍していたものかを察した。 「異国の話は興味があります。ぜひお聞かせください」 少年の弾むような声に無名は確かに王はまだ年若の少年のようだと感じた。 王から許しを得て顔をあげると王の座に座っている少年王の若さに驚いた。 若くしてこの島国ブリテンを任された王、それがこのアーサー王か。 金髪の美しい少年であった。年は十五であろうか。まだ成長途上の肉体であり中性的にみえた。少女のようにもみえる。 傍らに控えるベディヴィエールと並ぶと美しい絵画にみえた。 「アーサー王よ。私はローマ皇帝よりあなたに届けるようにおおせつかったものがあります」 それを今お渡しになってもよいでしょうか。そういいながら無名は細工の施された小さな箱をアーサー王に示した。 そう尋ねると少年王はこくりと頷いた。 「ベディヴィエール」 そう傍らの隻腕の騎士に声をかけるとベディヴィエールは心得たように無名の傍に近づいた。ベディヴィエールが箱に触れ、それを持ち王の傍に近づいた。 「早速中を拝見させていただきましょう」 そういいアーサー王はベディヴィエールから受け取った箱を開け、中のものを確認した。エメラルドの指輪と手紙が入っていた。アーサー王はその手紙の内容をみて少し目を見開いて驚いた表情をみえた。 ちらりと無名をみつめてくる。 その表情には動揺がみてとれた。 一体何が書かれていたのだろうか。 「サーコートの騎士よ。あなたはこの中を確認したことは?」 「いいえ、ございません。皇帝より決して中を覗いてはならないと命じられました」 「そうか………」 アーサー王は目を伏せて物憂げにため息をついた。 「いや、すまない。長旅で疲れているであろう。本日よりあなたは我が客人。今宵はゆっくり休まれよ」 ベディヴィエールが端に控える騎士に命じ無名を客室へと案内させた。 手紙の内容は気になったがあれは皇帝からアーサー王への贈り物であり自分とは関係のないものである。内心内容は国交問題に発展するようなものではないかと心配になったが、こうして丁重に扱われており違うようである。 後からベディヴィエールが部屋を訪れてくれた。王から世話を任されたとのことであり何か困ったことがあれば何でもいうようにとベディヴィエールはほほ笑んだ。 「驚きました」 「何がですか?」 お茶を淹れているベディヴィエールが首を傾げた。隻腕であるが器用に茶器を扱っていく。 「あなたがあそこまで王の傍にいる方とは思いませんでした」 ベディヴィエールが無名から箱を受け取る仕草をみて、この隻腕の騎士は王の手足でもあるのだ。 「ええ、私もです。とても光栄なことですので期待に添えるように精進しなければ」 そういいながらベディヴィエールは無名に茶器を手渡した。ひとくち紅茶を口にしてみるとあまりの美味さにため息を溢した。 「お口に合うでしょうか」 「いいえ。逆です。すごいですね。私は今までお茶は誰が淹れても同じだと思っていましたが、今までの中で一番美味しいです」 どう感想述べればいいかわからず単純な言葉しか出てこないのが恨めしい。 しかし、ベディヴィエールは嬉しそうにほほ笑んだ。 「そのお茶は王のお気に入りなんです」 「あなたはいつも王にこれを」 「ええ、少しでもあの方の癒しになるようにと………」 「羨ましいですね」 いつでもこのような美味しい紅茶を淹れてもらえるとは。 相手が一国の王とわかっていても羨ましく感じてしまう。 「それでは私は失礼いたします。飲み終わった茶器はこのままで構いません。翌朝片付けましょう」 そういいベディヴィエールは部屋を後にしようとした。それを無名は呼び止める。 「何でしょうか?」 傍に近づく無名にベディヴィエールは首を傾げた。 無名はすっとベディヴィエールの右頬に触れ、髪に触れる。想像以上に艶やかでさらりとした感触が心地いい。それを手ですくいあげ自身の唇に押し当てる。 「おやすみなさい」 そういい無名はベディヴィエールの髪を放した。 何をされたのか理解できなかったベディヴィエールはしばらく沈黙した。そして改めて今起きたことを認識すると顔を真っ赤に染めた。 その姿はうぶな乙女のように清らかで無名は愛しく感じた。 ベディヴィエールは慌てて部屋を飛び出していった。あまりこういった経験に疎いのだろうか。動作のひとつひとつが無名にとって飽きさせないものであった。 prev | next 戻る |