「円堂が、結婚するんだってな」 中学の頃の、サッカー日本代表の同窓会で騒ぐ奴らの中で、さっきまでにこにこ囲まれて笑っていたはずの彼女はグラス片手にぽつんと廊下に立っていた。 木野は俺の姿をみとめると曖昧な笑みを浮かべる。彼女がこう笑うのは珍しい。俺の言った言葉が、原因だろうということはわかっている。 「夏未さんと、でしょう」 「驚かなかったのか」 「だって、知っていたもの。…風丸君も、でしょ」 「…だって、知っていたからな」 きっと彼女は雷門から。俺は、円堂から。 あのふたりが恋人になった時から、知っていた。否、それ以前から。 俺が円堂から相談されていたように、木野も雷門から何か聞いていたのかもしれない。 「わたしね、一之瀬君が好きなの」 「ああ」 「だけどね、円堂君が好きだってことを、ずっと隠してきたの」 「…ああ」 円堂が雷門を好きだったように、雷門も円堂が好きだった。 一之瀬が木野を好きだったように。 俺が円堂を好きだったように。 木野も、円堂を好きだった。 「一之瀬君も、きっと知っていた」 円堂が雷門と付き合い始めてしばらくして、木野と一之瀬が付き合い始めたことを聞いた。俺は、それで木野が円堂への気持ちを、片付けることができたものとばかり思っていたんだけれど、そうではなかったらしい。 こんな見苦しい、つらい、苦しい思いを抱えてひた隠しにしているのは、俺だけだと思っていたのに。 「わたしね、一之瀬君を好きよ。本当に。…だけど、円堂君が好きだって気持ちを、隠して押し殺したままだった。中学二年の、あの時からずっと、そのまま放っておいてきてしまったの」 一之瀬君と付き合うことを決めた時、その気持ちをどうにかしなければいけなかったのに。 木野はそう言って、両手で抱えたグラスに視線を落とした。氷の入っていたそれは、ほとんど溶けきってしまって汗をかいていた。 「風丸君も、ずっと触れてこなかったんでしょう?」 次に木野が顔を上げた時、その視線を受けて、その言葉を聞いて、俺は自分が泣いていることに気づいた。 「…ああ、そうだよ」 「隠したまま、あの二人に気づかれないのだから、もう叶わないのだから、もう触れなくても、そのまま放っておいてもいいんじゃないか。って、思ったんでしょう」 「ああ」 「…傷つくとわかってわざと触れなくても、苦しいのは消えなかったでしょう……」 木野の言葉が突き刺さる。 そうだ。知られないとわかっていたから、隠していた。 向き合えば、きっともっとずっとつらいと、思っていたから。 「…俺は、……どうすれば、よかったんだ…?」 涙をぱたぱた落としながら、俺は木野に尋ねた。 木野に、というよりも、ほとんど独り言に近かった。 「それも…もう、わかっているんでしょう…」 そう囁くように言った木野も、泣いていた。 彼女も痛いほどに、わかっているはずだった。 俺たちは同じように恋をして、同じように失恋をして、同じように失敗をした。 それから一ヶ月も経たないうちに、木野から電話があった。 「わたしね、アメリカに行くの」 「一之瀬のところにか?」 「ええ。留学で、一年だけなのだけれど」 「へえ、すごいな。…他の皆にも声かけて、送別会でもやった方がいいのか?」 問いかけたのは、皆、の中に必ず彼らが含まれるからだ。 あの日失敗を悟った俺たちは、もうそれをみとめて進みだしている。俺たちはもう、あの頃の、中学二年生の子どもじゃなかった。失敗をみとめるとは、そういうことだ。 それでも、きっとまだ痛い。傷はかならず癒えるけれど、そのために時間が多少なりともかかることは自覚している。 「ううん。皆にはメールで言ったわ」 「メールで?」 「ええ。…風丸君には、直接言おうと思ってたの」 電話だけど、と付け足しながら苦笑する気配がした。 「そうか」 「わたしね、風丸君」 「ん?」 「一之瀬君に告白しようと思うの」 「…え?」 木野の言葉に俺は思わず間抜けな声を返してしまった。 それに電話口で木野が笑う。 「告白って…なにを?」 「もちろん、好きだってことよ」 「いや、だってお前たち、もう付き合ってるんじゃ」 「ええ。…だけど、告白しようと思うの」 きっとそれは、それが、木野なりの、進み方なのだろう。 円堂への、凍っていた気持ちを片付けて。 一之瀬への、謝罪を込めて。 沈黙の後、俺は心から、新しい戦場へと赴く彼女への餞を告げた。 「おめでとう。…がんばれよ」 ありがとう、と木野が言った。心なしか声が弾んでいる。彼女のはにかむような笑顔が浮かんだ。 次の戦場はきっと彼女に優しいものであるだろう。だってもう、勝敗は決まっているのだから。 俺は電話を切ってから口元がゆるんでいるのに気づいた。 俺たちは同じように恋をして、同じように失恋をして、同じように失敗をして、けれど進んでゆく。 俺たちは戦友だった (12.2.2) |