!女体化伏見さんです。
!しぶから再録。



「あ、僕パスで」
他部署に所属する友人女性に「うちのいい女集めるから特務隊寄越しなさい」と言われた道明寺が企画した合コンの出欠を取っている時だった。普段ならばすすんで「行く」とは言わないものの、元上司から「人数合わせもあるから」とまで言われるとあまり拒否することのなかった五島が、はっきりと手を振ったのだ。「んん、というか、合コンとか、これからはもうやめます」
一瞬きょとんとした道明寺がにまあっと口の端を上げる。男性にしては大きめの二重の目が半月型に笑んだ。
「なになに五島、もしかして彼女できちゃった?できちゃったってか?」
「なんだとう?!ゴッティーいつの間にっ」
「もしかしてあれか、前回のCAさんか?」
即座に反応してわいわいと集まる元剣四の面々に、苦笑しながらも興味はあるのか遠巻きに眺めてくる元隊長組。秋山の後ろで、パソコンに視線を落としていた伏見が、五島の視線を感じたのか顔を上げた。特別広いわけでもない執務室だ、話は聞こえているのだろう。訝しげに細められた目に、五島の頬が緩む。
「……彼女はいませんよぉ。奥さんなら、いますけど」
わあ、すごい。自分以外のすべての人間が揃ってぽかんと目を丸くするという滅多に見られない光景に、五島はとうとう堪えきれずに吹き出した。五島が笑い出したことによって我に返った日高が「はあぁぁあっ?!」と再度声を上げ、あまり表情を崩すことのない弁財までもが「結婚……していたのか?」と驚いたように尋ねる。
「ええ、三年ほど前に」「三年前ぇ?!」「えっどういうこと?どういうこと?!」更に落とされた爆弾発言に、日高と榎本のキャパシティは限界寸前だ。「え、お前合コンこないだまで適当に参加してたよな?」恐る恐る訊いた布施に、五島はうん、と頷いた。「つき合いも大事だから行っとけって奥さんが言うんだよぉ」なんでそんなに奥さんに尻に敷かれてる風なの。とは、布施は言わず。
「奥さんかわいい?」
にまにまと笑いながらこの手の話を振るのは道明寺だ。勿論かわいいですよぉ、と笑う五島に写真は?と畳み掛けるのも忘れない。加茂が呆れたような視線を寄越すが、お前だって興味あるから止めないんだろと道明寺は肩をすくめて、改めて五島を見る。何故かぱちくりと目を瞬かせた五島は、「ああ」と合点がいったかのように両手を合わせて、ふわっとやわらかく微笑んだ。
「さっちゃん、改めてご挨拶しとく?」
さっちゃん?と一同の頭の上にハテナマークが浮かんでいる間に、五島は軽やかに同僚の間をすり抜けて、実はしばらく俯いたままふるふると肩を震わせていた上司の横に立った。ちら、と見下ろすと、長い髪の合間から真っ赤な頬と、それでもギラリと五島を睨みつけてくる瞳が見える。んふふ、かぁわいい。五島の差し出した手に、伏見は舌打ちを落として自分の手を重ねた。簡単に引っ張り上げられて伏見が立ち上がると、五島の手が彼女の肩を引き寄せる。そこまできて、ようやく事態を飲み込めたらしい秋山と道明寺がいち早く「え、」と表情を変える。
「僕の奥さんのさっちゃんです」
「…………ばか蓮」
にっこり笑った五島に、今度こそリアクションが取れないまま場が固まった。頭でわかっていても、驚愕の新事実すぎて自慢の情報処理能力が著しく低下してしまった部下たちに、伏見は大きなため息と共に夫への悪態をついた。

「公私混同しないって約束。なんで今破るの」
「どういうことですか伏見君五島君!」バアンと通常からは考えられないほど豪快に扉を蹴破って入って来た宗像のメガネの下が涙まみれになっていたことでハッと我に返った―――人間、自分よりも取り乱した人がいると冷静になれるもんだなというのは日高の言である―――一同は、各々知らずに色々やらかした過去とか次々と浮かんでくる疑問とかをひとまず置いて、とりあえずバリバリと仕事を進めていた。というのも、短い気がいい加減ぷっつんと切れてしまった伏見が「仕事しろ」と女性らしからぬ地を這うような声音で告げたのである。しかし流石に一癖も二癖もある特務隊をまとめるだけあって、彼らの扱いはしっかり心得ている。このままではどうせ済まないだろうと判断したのだろう、本気で面倒くさそうにではあったが、「終わったら質問は受け付ける」と付け加えるあたり、部下に甘くなったというか、よくわかっているというか。ちなみに「室長はまず扉直してくださいね」という伏見の冷たい視線と、彼を追って来た淡島によって―――彼女は「五島、伏見、結婚していたのね。おめでとう」と言うのも忘れなかった―――あっけなく追い出されてしまった宗像に同情を禁じ得ない者も多い。だが特務隊は仕事を選んだ。というより仕事を終わらせて早くこの面白い話題に食いつきたいという欲望が勝った。人間そういうものなのである。
近頃は大きな事件がなかったため、特に忙しいわけでもなく、無事定時を迎えられる。そうして仕事モードがオフになった執務室に落ちた、五島夫人の一言である。
各自「あー仕事終わったー」と体を伸ばしてリラックスしているところにぼそりと落とされた本日四度目の爆弾に当事者以外の体が強ばる。伏見はおそらくずっと文句を言いたかったに違いない。思わず今発言してしまうくらいには。
「もうそろそろ、いいかなあって思ったんだけど」
ある者は横目で、またある者は背を向けたまま意識だけでうかがう中、五島は普段通りおっとりと微笑んだ。対照的に伏見は眉間のしわを増やして訝しげな表情で腕を組む。「いいかなって、何の話?」
「さっちゃん、僕はね」
五島が穏やかに微笑んで、椅子に座ったままの伏見の前にしゃがみこんだ。伏見はひとつ瞬いて、は、と聞いたことのある言葉に気づいて呼吸を一瞬止める。ゆっくりと顔を上げると、五島の優しい目と目が合った。
「君が僕の最後の女の子だって、思ってるよ」
あの日、二人でふざけて書いた婚姻届。役所の前で、冷静になった伏見の両手をとって、五島は笑って今と同じことを言った。
三年経って、五島はもっと大人びたし髪も伸びた。あの日は寒い夜だったけれど、今は暖かい室内で、彼は伏見の顔を覗き込めるようにしゃがみ込んでいるから、伏見は彼を見下ろしていて、周りには特務隊の面々もいて、二人きりじゃなくて。何もかもが違うのに、だからこそ、全く変わらなかったことに、伏見ははっきりと気づいてしまった。
あの日のように伏見の両手をとった五島だが、どこに仕込んでいたのか、魔法のようにその手に指輪が現れて、それは空っぽだった伏見の左手の薬指にまるで昔からあったようにおさまった。
「結婚式、いつにしよっか」
いつも通りの優しい笑顔で首を傾げて覗き込んでくる五島に向かって、椅子から落ちるように伏見が飛び込んでくる。仕事が安定して時機がきたらと決めたのは二人で相談した結果だったけれど、薄っぺらい紙一枚だけで、指輪もドレスも一緒に住める家も、何でもないような顔をして、実は伏見が三年間我慢していたのを知っている。
ありがとう、という彼の妻の小さな声に、五島はぎゅっと伏見を抱きしめ返した。「ありがとう」さっちゃん、ちがうんだよ。お礼を言うのは、僕の方だ。十六の君の未来を、身勝手な僕がこうして縛ってしまったのだから。

第一印象も、中身も大人びていた伏見は、それでもこどもだった。彼女の人一倍強い警戒心を解かれた日、五島は彼女が十代も半ばのこどもだと、気づいてしまった。でももう遅かったのだ。

「じゃあ結婚する?」ばかじゃないの、と伏見に舌打ちされて、んふふ、ひどーい、と笑うはずだった。伏見が五島の差し出した紙とペンを取ってさらさらと、少しだけ癖のある字を書いてゆく。彼女が悪ノリしていることくらい、すぐに気づいた。その時点で五島は結婚できる年齢ではなかったし、未成年の結婚には親の同意が必要だし、だいいち、五島と伏見は恋人同士ですらなかった。それなのに、頭の中で十秒前まで予想していたあったかもしれない未来が消えるのが、五島にはわかってしまった。
伏見にしては珍しく、長く話題が続いたことに、五島は内心驚いていた。役所までの道すがら、二人は指輪はどういうデザインがいいだとか、結婚式は洋風がいいだとか、家はどこそこにこんな感じのが欲しいだとか、それこそ本当に結婚を決めた恋人同士のようにあれこれ話し合った。長いようで短い散歩の折り返し地点に着いたとき、こどもの顔だった伏見の表情が仮面を被るように、おとなになったのがわかった。そして伏見のその変化が、彼女をどんな意味であれ傷つけていることを、五島は知っていた。それほど仲がよかった。否、それほど五島は彼女をよく見ていた。現実的な問題が、最後の足掻きとばかりに五島の頭の中に浮かんでは消える。
「男は彼女の最初の男になりたくて、女は彼氏の最後の女になりたいんだって」年に似合わない嘲笑を浮かべた伏見が思い出される。「ずいぶん、身勝手な話だよな。男も、……女も」吊り上げた口の端とは裏腹に、その目が怒っているように、あるいは悲しんでいるように伏せられたことを、五島は覚えている。
「さっちゃん」
帰ろう、という一言すら億劫なようで黙ったまま踵を返した伏見の腕をひく。たたらを踏んで、伏見が振り返った。向かい合わせになったところで、彼女のもう片方の手もとった。「な、……何?」不意をつかれて剥がれかけたおとなの仮面は、もう修復されつつある。ああ、このこはかなしいこだ。好いた相手の最後の女になりたいと思う自分を、殺し続けている。自分の最初の男を彼に与えてやりたいと密かに願って、けれど相手はそんなこと望んじゃいないと、知っている。頭のよすぎる子だ。今だって、そう、五島が呼び止めてしまったから、気づこうとしている。でも、もう、遅い。五島は穏やかな気持ちで微笑む。強すぎる警戒心。一度解いてしまったら、きっと彼女は非情になりきれない。他人を、彼以外を警戒し続けられなかった自分だけを責めるのだ。そうして、おとなの振りをして。
「さっちゃん」
五島の両手が伏見の両手を包んでいる。情の籠った双眸がじっと伏見を見下ろす。振り払えばいい。そこらの女より強くて賢い自覚もある。逃げ切れる自信もある。それなのに、伏見は逃げられなかった。
「僕はね」
もう遅かったのだ。五島にも、伏見にも。
「……君が僕の最後の女の子だって、思ってるよ」
ため息をつくように、五島が囁いた。きっとこの時、五島が伏見の両手をとっていなかったら、伏見が視線をそらしていたら、何かひとつでも欠けていたら、伏見は気づけなかっただろう。けれど全ては揃っていて、伏見は五島の優しい目が、諦観を孕んでいることに気づいたのだ。次に、生来冷たい伏見の指先をつつむ手もひんやりしていることに気づいて、そうして伏見はひとつ、瞬いた。
「……身勝手な男」
伏見が笑うと、五島は一瞬動揺したように目を揺らした。その反応に、きつい物言いだったかと勘違いした伏見は知らない。自分が今、こどもの顔をしていることを知らない。五島が、見慣れぬ彼女の笑顔に瞳を揺らしたことを、伏見は知らない。
「代わりに、私の最初の男になりたいんでしょ」
「ううん」
続けられた伏見の言葉に、五島は即座に首を振った。きっと彼女がこう返すだろうと、予感めいたものがあった。そして、自分が何と答えるか、きっと五島は知っていた。
「僕もさっちゃんの最後の男にして欲しい」
ぽかんと、伏見が五島を見上げたまま立ち尽くした。彼女がいちばん最初に心を揺らした男は、五島ではなかったから。五島は最初なんていらない。自分の続きなんていらない。五島は伏見の、最後が欲しい。
指輪や結婚を求める女の子ってこういう思考なんだろうか、と五島が考えたとき、伏見がようやく「……蓮、」と口を動かした。つつんでいた手が動いて、冷たい指先が絡まる。おや、と思うと同時に、伏見がふっと笑った。
「本当、……身勝手な奴」
でも、と小さな唇が続ける。
「いいよ。私の最後の男になっても」
傲慢なことを言うくせに、笑った顔はこどもだった。伏見の十六の誕生日のすぐ後にやってきた、冬の夜だった。



「前に、私がワイルドの言葉を引用したの、覚えてるよな」
「もちろん」
話題を出したのは伏見だけれど、引用したのは五島だって、プロポーズの時に使っている。覚えているよと答えながら、わざわざ彼女がワイルドだと引用元をいまさら明らかにしたことが、すこしだけ引っかかった。
「愛のない結婚よりも悪いものがある」
だから、伏見がその言葉を言い出すと、五島もあとを続けるように後半部分を述べることができたのだろう。
「愛情が片方にしかない結婚だ。……かな?」
「蓮はほんとうにしあわせだった?」
伏見は無表情を取り繕っていたけれど、「しあわせ」という言葉をいうとき、声がすこしだけ震えた。本人も気がついているのだろう、言い終えてから視線がうつむき加減に落とされる。
五島はかみさまでもエスパーでもストレインでもないけれど、なぜだろうか、出会ってからずっと、五島が伏見のことばや表情のひとつひとつから導きだす推察は大きく外れることはないのだ。
「当たり前でしょう」
すまして答えながら五島は妻の手をすくいあげるように持ち上げる。訝しげな視線を寄越しながらも、伏見の指先がきゅ、と彼の指と絡められたことに、口元がゆるむ。
「愛のない結婚も片方だけしか愛情のない結婚もふしあわせだと彼は書いたけど、それって逆をいうと両方に愛情のある結婚はしあわせだということだよね」
「それ曲解というか大ざっぱというか……、そう、言えるかもしれない、けど」
「ならやっぱり、僕は僕のこころを信じるよ。さっちゃん」
視線が交わる。伏見の視線はそらされない。五島は意識して彼女の指先を包むように力を入れる。
「僕は君が思っているよりもずっとしあわせだったし、これからもずっとそのつもりだよ」
伏見に自信がないことを、五島はよく知っていた。自分が愛されているかということではない。自分が、五島を愛せているか。
伏見が長いあいだ彼女の最初の男だけを見ていたのを、その視線を向き直すようにしむけたのは五島だ。五島が彼女の最後になりたいと言って、伏見がそれを受け入れた。実質上入籍してから今までが恋人期間のようなものだったとはいえ、二人は夫婦だった。それも、ずっと一人だけに向いていて、棒のように突っ立ったままの伏見の両手を握ってこちらを向かせ、五島が引っ張って歩き出したような、そんな始まりだったから。五島はそれにすこしだけ罪悪感を持っているし、伏見のほうなどは別の男が好きだったということが最初から知られているうえ、引っ張られた自覚もあるので、よけい自信が持てないのだろう。
でもね、と五島は内心でささやく。
「さっちゃんが僕を愛してくれてるって、知っているもの」
伏見のその心配が、五島を愛している証拠にはならないだろうか。
両手を離す代わりに腕を伸ばして広げる。離されて宙に浮いた手がためらうようにさまよって、けれどやがて細い指先は五島のシャツの裾を軽く握った。ゆっくりと近づいた伏見の頭が肩にもたれるようにくっつき、五島は腕を彼女の腰を抱くようにまわす。そうしてから、シャツを握っていた伏見の手が彼の背中にまわった。
手に触れると指を絡めてくれることは?腕を広げると胸元に入ってきてくれることは?抱きしめると抱きしめ返してくれることは?それは、愛してるってこと以外の、なんなのだろう。
伏見は「小っ恥ずかしいやつ」などともごもご言っていたが、やがて大人しくなって、二、三拍おいた。そして。
「蓮」
ちいさな声だった。うん、と返事をすると、伏見が顔を上げた。
「あなたが私の最後の男でよかった」
五島はほうけたように妻を見下ろした。口の悪い彼の妻が「あなた」という二人称を使ったことや、珍しく微笑んだということよりもまず。
やられた。男前だね、さっちゃん。
知らずに口角が上がる。でも、やられっぱなしは五島の性にあわないのだ。
見つめ合ったまま顔を近づけると目を閉じて応えてくれる妻に、やっぱりかなわないかもしれないと内心苦笑しながらも、五島は変わらぬ愛情をこめてキスを贈った。教会でのことだった。


最後のひと


(130226前半/130527後半/130621加筆)

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