姉が泣いた。グロスがもう半分以上取れかけた唇から口汚く罵る言葉が吐き出される。本当にいい弟ならばきっと母国語のスラングが止めどなく流れ出たことを嘆かわしく思いながらも彼女をなだめて優しい言葉をかけて存分に甘やかしてやるのだろうが、俺は泣きながら暴言を吐く姉を見て「またか」と思っただけの弟だった。

「なに食ってんの」
「この世で一番体に悪そうなものよ」

しばらくそうしていた姉はいつのまにかキッチンへ消え、俺が彼女を探して見つけだすころにはキッチンテーブルに向かって何か食べていた。彼女がそう形容する食べ物はたった一つだけで、俺はすぐにため息をついて右から二番目の戸棚を見た。缶詰のオイルサーディンは彼女が嫌いな食べ物の一つで、俺がこれを買ったり食べたりするときに必ず「この世で一番体に悪そうだわ」と言うのが彼女の口癖だった。

「苦手なくせに」
「ええ、本当にね」

機嫌が悪いと泣き出し、罵倒し、そして自分の嫌いなものを食べる(しかもそういったものは往々にして俺の好物であったりもする)。姉の奇天烈な悪癖だ。今も眉間に怒りからだけではないしわをぐぐっと入れたまま、油の垂れるイワシを噛み砕いていく。

「…なにか言いたいことは?」

このままでは冷蔵庫のピクルスも、オーブンの上のシナモンデニッシュも食べられてしまいそうなので、俺はやっと彼女に声をかけた。

「……あなた以外の男がしにたえればいいのに」
「…それはそれは」

大体予想していた通りの答えが返ってきて、肩をすくめる。
今まで男とうまくいかなかった時も同じようなことを言って、泣いて、激昂し、嫌いなものを食べ、それから。
彼女はフォークを置いて、完全にグロスは消え去り代わりに油でテカテカに光った唇を乱暴にぬぐうと、俺の横を通り過ぎて行った。扉の閉まる音。完全にここで寝るつもりらしい。姉の例の悪癖の最後に「弟の部屋に居座る」を追加する。そういえば日本にいた頃も俺の部屋に押し掛けてきたことは度々あった。イタリアに帰ってきてから頻度が多くなったような気もする。
ため息をひとつ。どう思ったところで姉がここに来るのを俺が拒むことはないし、姉の悪癖が直ることもこの先ないのだろう。
寄りかかっていた壁から背を離し、キッチンテーブルに近づくと缶詰の中にはまだオイルサーディンが半分以上残っていた。


姉と弟


(12.2.24)


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