「…イザークっ、追っかけなくていいのかよ」
「…構わん。もう行くぞ」
おいおい…と心配するディアッカを連れて、イザークはエレベーターに乗り込んだ。
らしくないことはわかっていた…だが一体どうしたらいい? あの女の実態を掴み取って、自分のそばへとどめ置くために…
だが、エレベーターの扉が閉まりきろうとした瞬間、何者かの手がそれを阻んだ。その手はやすやすとエレベーターの扉を開けさせる。現れたのは緑の髪、カオルだった。
「なっ…お前何すんだよ!?」
「ごめん、時間無いんだ。手短に話す。エヴァンのこと知りたいんだろ? イザーク=ジュール」
エヴァンを置いて走ってきたのか、単刀直入に切り出すカオル。当然ながらイザークが素直に応じるはずもなかったが。
「…そんなことは貴様に頼らなくとも自分で――」
「それは無理。悪いけど。戸籍にデータが無かったよね? オレたちの情報には普通のやり方じゃまず絶対にたどりつけない」
イザークが何か言いかけるのを遮って、カオルは続ける。
「エヴァンのことが知りたいなら、君の母上に訊いてみればいい。<アンノーン>のエヴァンって言えば、たぶんすぐ分かる」
「…なぜ貴様にそんなことを教えられなければならない!?」
「信じる信じないは自由だよ…それじゃ」
カオルが扉を放すと、それはあっという間にぴたりと閉まった。
下へゆっくりと動きだしたエレベーターの中で、二人は呆然とするしかない。
「………なんだありゃ」
「…俺が知るかっ!!」
全てに腹が立つ―――カオルのほうがエヴァンの近くにいること、カオルが母を引き合いに出したこと。
イザークはこれから、一度実家に戻ることにしていた。母であるエザリアに昇格を報告してから、軍基地に行くつもりだったが…まさかあのカオルはそこまで読んでいたのだろうか。
(…次にやるべきことは決まった、か)
チィン、と再び陳腐な音を立てて、扉が開く。エレカのほうへ歩きながら、イザークが口を開いた。
「ディアッカ、お前はこれからどうする?」
「え? 俺はシホちゃんと基地で待ち合わせだけど」
「なら早く行け。俺は今からマティウスに戻る」
「あっそ…護衛とか要らないカンジ?」
「一人でいい。つきあわせて悪かったな」
あのイザークがこの俺に謝罪!? マジでどうかしたのかと思うディアッカだったが、言えば確実に鉄拳が飛んでくる。
それに、イザークが早く実家に行きたがっている気持ちも、分からなくもない。
「…恋の魔力ってヤツ?」
「何か言ったか」
「いやなーんにも」
こりゃあシホにも言っといてやらなきゃなぁ…
無愛想なシホが驚愕する顔を思い浮かべながら、ディアッカはさっさとエレカに乗り込んだイザークを見送った。
***
評議会ビル、会議室前。
エヴァンとカオルは、扉の前で待機していた。もうすぐ会議が終わる頃合いだ。
「カオル…いったい何のつもり?」
「心外だなぁ、別に何もしちゃいないよ」
イザークたちに入れ知恵したのは、エヴァンには内緒だった。言えば余計なことをするなと怒られるだけだ。
だが放っておけば、いつまで待ってもこの二人の距離は縮まらないだろう。「普通」の感覚が欠如していることを自覚しているカオルにも、それくらいは分かる。
「でも、エヴァンだって気になったんだろう? イザーク=ジュールのことが」
「そんなことは…」
無い、と言い切れないエヴァンだった。どうしてだろう、あの美しい澄み切った青い瞳を見ると、自分が自分でなくなるような気がするのは…
短気で癇癪持ち、母親似の美貌に似合わぬ激情家。そのくせ自身向上のために努力を惜しまない、純粋な若者。データから読み取れるのはこんなものだ。何度か目を通す機会があったが、なぜ今になってこんなにも気になるのだろう。
(実際に会ってしまったから…?)
曲がり角で見た彼は、端正な顔に疲労をにじませていた。それでも一緒になってオレンジを追いかけてくれて……眉をひそめたり、頬を赤くしたり、落ち着かないイザークを見て、実は不器用で優しい、素直な人なのかと思った。
右手を差し出した彼の表情。期待、不安、焦り…ないまぜになった彼の顔が、今でも忘れられずにいる。
だから、つい名乗ってしまった…しかも本当の名前をだ。探したところで見つかるわけがない、自分を示す記号を。
「ばかなことをしたと思ってるわ」
「名前を教えちゃったこと? オレはそうは思わないな…本当にばかなことだったかは、これから分かると思うけどね」
やっぱり何か企んでいる…エヴァンはカオルを睨むが、まるで効果はない。
「さぁ、仕事だ。何事も起こらないことを願うよ」
「ええ、常にね」
カオルのいつも通りの台詞に、エヴァンは少なからぬ皮肉をもって返す。
会議を終えて出てくるカナーバ議長代理。今日の任務は彼女の護衛だ。
何も起こらないほうがいいに決まっていた…護衛の最中でも、そしてイザークのことでも…
有事とあらば、いいことが起こるわけは無いのだから…
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