惚れて腫れて溶けてしまった。
あの甘ったるい島での甘ったるい一日から、約一月後。
あれから、マリアから特に音沙汰が無い。音沙汰が無いということは無事だということでもあり、ミホークも取り立てて心配をせずに済むということでもある。
そんなある夜、電伝虫が鳴った。
『…ミホーク?』
「…どうした」
『……いえ…何も、ないんだけど。ただ何となく…じゃ駄目だったかしら』
「構わん」
つまりは声が聴きたいと。
なかなか素直にならない彼女のささやかな我儘に、ミホークは少し口角を上げる。
『…あのね。今日ね。おもしろい話を聞いたの』
「ほう」
『チョコレートって媚薬になるっていうのは知ってる?』
「ああ」
『知ってたの?』
「赤髪に聞かされた」
『…成程ね』
納得したとくすくす笑う、マリアの声。
そういえば一月ほど前にマリアの手作りチョコを彼女もろとも美味しくいただいたのだったか。
ミホークの好みを理解した、ほろ苦い味のチョコレート。
対して、身体の奥底に火を灯す甘すぎる接吻。
ふたつ混じりあって丁度良く美味だった。 なるほど、あの味ならば媚薬というのもうなずけよう。
『実はね、それにはちゃんと根拠があるんですって』
「そうか」
『チョコレートって口の中でなめて溶かすと、ディープキスより2倍興奮して、しかもそれが4倍長くつづくそうよ』
「………」
『島のショコラトリーのお兄さんが教えてくれたの』
「…何だと?」
『ぜひ試してみてくださいね、ですって…ってミホーク、どうかしたの…?』
電伝虫越しであるにも関わらず、敏感に雰囲気が変わったことを察したマリアが心配するように声をあげる。
…疑うわけではない。こんなことはマリアの場合、ただ天然であるだけの事例が多い。しかしつまり下心が無い分、警戒心も皆無。
一月前に味わった、熱くとろかすような舌触りを思い起こす。
「今、家にいるのだろうな」
『え? ええ、もちろん』
「今から行く」
『ええ? なんでいきなり…』
「何か困ることでもあるのか」
『何もないけど…でもなんにも用意してないわよ』
「おれはお前がいれば良い」
『!…それは、嬉しい言葉だけど』
ごそごそと衣擦れの音がした。ベッドに寝ていたところからマリアが起き上がったのだろう。
彼女のことだ。ミホークが来ると分かれば出来る限りの準備をしておこうとするだろう。たとえミホークがそれを拒んだところで無駄なことだと知っている。
理由を訊けば、待ち遠しいからとマリアは答えた。
「戸締りをして大人しく待っていろ」
『…分かったわ。…でも本当なのね。ちょっとびっくり』
「何がだ」
『さっきの話にはつづきがあるのよ。ショコラトリーのお兄さんがね、』
また他の男の話か、とミホークの眉間にしわが寄ったが―――それはマリアの言葉ですぐに別な意味に挿げ替えられることになった。
『…チョコレートの話をぜひ恋人さんにしてみて下さいって言ったの。なんでだと思う?』
「知らぬ」
『なんで怒るのよ?』
「…いいから、続けろ」
『?…でね。そのお兄さんが、このことを話せば恋人さんはすぐに帰ってきますからって言ったのよ。だから本当になってびっくりしたわ』
沈黙。
電伝虫を介して、何ともずれた雰囲気がお互いの間に電波と化してわだかまっていた。
無防備にも程がある自分の女をどう説教してやろうかと考えていたミホークだったが、そのショコラトリーの男にも、どうしようもない苛立ちのような……店ごと叩き斬ってやりたい気分が募るばかり。
「…夜は当分寝かさぬ」
『!? なんでそういう話に…っ』
「だいたい何故そんな店に行った」
『え?…それは……』
口ごもるマリア。何故だともう一度問い詰めれば、軽くためいきをつく音がした。
『……今日、ホワイトデーだし…でもミホークは知らないだろうなって…』
「ホワイトデー?」
『…一月くらい前にチョコレートをあげたでしょう。ホワイトデーは男がそのお返しをする日なんですって』
「……それと何の関係がある」
『え?…だから―――』
マリアに白状させたところによれば、ショコラトリーに行って、恋人がホワイトデーをすっかり失念していて帰らないだろうことを、うっかり喋ってしまったらしい。
そのとき応対した店員が、さきほどのアドバイスを寄越したのだという。
…アドバイスにしては随分と夜の匂いがすることには、彼女は未だまったく気がついていないようだったが。
『もう……言わせないでよ、こんな馬鹿なこと』
「知らぬ。もう黙れ」
『はいはい。…ねえ、ミホーク』
「なんだ」
『…早く、帰ってきてね』
「…ああ」
惚れて腫れて溶けてしまった
チョコレートの効能がいかほどであったかは、二人の秘密。
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