ワンス・モア・シラップ




 最近、気になる店がある。

 気になるといっても外から見ているだけだとか、そういうわけではない。
 海が見えるところにあるカフェで、すでに何度か通っているし、実は今日もそこにいる。
 そんなに大きい店でもない。ほんのりした灯りに照らされた店内はとても静か。波の音がかすかに聞こえてきて、それがBGM代わりになっているほど。
 ひとりで本を読んで、珈琲を飲むには、ちょうどいい場所なのだ。

 こう言えば聞こえはいいけれど、つまりは閑古鳥が鳴いているということでもある。
 事実、マリアが何度か通う中で、他の客がいた試しが無い。
 かといって店主が何か困るのかと思いきや、そうでもなさそうなのだ。流行らせる気はどうやら皆無、マリアが行っても珈琲を作って出して、あとは放置。店主の男性はなかなかの…否、かなりのいい男だというのに、無口を通り越して無愛想である。
 彼が話すところを、マリアはあまり見たことがない。

(せっかく、いい珈琲出せるのに)

 読みかけの本を開きながら、マリアはそんなことを考える。
 座っているカウンター席のテーブルには、シンプルなカップに入った深い茶色の液体が、いい香りの湯気を立てている。

 元々、珈琲は苦手だった。ただでさえ苦い。カフェラテのようにしてみても、何だか美味しくない。市販のものは甘すぎるか苦すぎるか……或いは鉄くさく感じることもあって、飲めたものじゃなかった。
 だがこのカフェの珈琲はそんなマリアを驚かせたものだ。たしかに苦かったが、それだけではない。やわらかないい香りに、爽やかな酸味もあって、こんなに複雑な味わいがあるものだったのかと感心した。
 舌が特別肥えているわけではないが、あの珈琲は間違いなく絶品だった。

 思わず美味しいと呟いたマリアに彼は何も言わなかったが、口の端を少し上げて、笑った。

 …それ以来、少しずつ足を運ぶようになった。
 苦いなぁと感じていた珈琲から、酸味、ほのかな甘みさえも感じ取れるようになったのは、自分が慣れてきたからだろうか。
 マリアの味覚にぴったりなこの珈琲のおかげか、これ以外は飲めなくなってしまったけれど。

「……あ、そうだ」

 ふと思い立って、マリアは口を開く。

「あの、……店主さん」
「何だ」

 名前も知らないので「店主さん」としか呼びようがない。
 向こうが礼節皆無というのも何だか気になったが、無愛想にはいい加減慣れたつもりだ。

「いつも、この珈琲出してくれますよね」
「ああ」
「どの豆、使うんですか? あの、夜とかに自分でも淹れてみたくて……」

 マリアにはこの珈琲がどの銘柄の珈琲を使っているのか、分からなかった。
 最初に来たときに「おすすめのものを」と頼んで以来、ずっと同じものを似たような方法で頼みつづけているわけで。先日、いざ珈琲豆の売り場に行ってみて、銘柄を知らないことに気がついたのだ。
 だが思いついてみたはいいものの、彼がこっちを見た瞬間からだんだん言葉が知りすぼみになる。
 この店主、顔はとてもかっこいいのだけれど、愛想がなければ目つきも鋭い。正面きって見つめるには、いろいろな意味で勇気が必要だった。

「………」

 あごに指をあてて、暫し考えている様子の、彼。
 何とも言えない気まずさに、もしかして気を悪くさせてしまっただろうかとマリアの不安が頂点に達しようとしたとき、彼が立ち上がって、小さな紙袋をカウンターに置いた。
 ちゃり、と中で小さい何かがこすれあうような、軽い音がした。

「これは……?」
「それの豆だ」

 マリアが紙袋を手にしてみると、中にはたしかに珈琲豆が入っているようで、ほのかに香ばしい匂いがした。
 だが袋には銘柄が書かれていない。

「これの名前……とかは」
「まだない。……いや、あるにはあるか」

 わけが分からないことを呟いて、店主は定位置であるカウンターの向こう側の椅子に戻ってしまった。
 マリアは困惑して紙袋を見つめる。結局銘柄は分からない……自分で探せということなのだろうか。
 だいたい、「まだない」とはどういうことなのだろう。
 マリアが首をかしげると、彼が苦笑した。

「そんなに気になるか」
「それは……気になりますよ。こんなに口にあう珈琲なんて、初めてだし……」
「ひとつ聞く。飲むうちに何か変わったことがなかったか」
「……え?」

 唐突な問いかけに、マリアは目を瞬かせる。
 そういえばこんなに彼がしゃべるのを見るのは初めてだ。そんなことも思いながら、マリアは今までのカフェでの出来事を思い返してみる。
 出来事といっても、この店主に自分自身くらいしか人はいないし、目立ったことなど何も起こらなかった。珈琲にだんだん慣れてきたくらいで……。
 そう考えたとき、ふと引っかかった。

「……もしかしていつも違う珈琲、だったんですか?」
「それは少し違う。最初の豆に混ぜる豆を変えていた」
「ブレンドしてた…ってことですか…?」
「お前は苦みが苦手だろう。だからあまり苦みが際立たないように少しずつブレンドを変えてみた」
「……そうだったんですか」

 マリアは手の中にある紙袋に視線を戻す。
 オリジナルのブレンドだから、名前はまだないと言ったのか。
 自分の舌が慣れてきたのではなく、マリアにあうようにと彼が工夫してくれていたのだ。
 手に感じる豆の感触。
 彼が作ってくれた、マリアのための珈琲だった。

「……素敵」

 自然と頬がゆるむ。
 ここに来て珈琲を飲むとき、マリアは特に感想を述べていたわけでもなければ、何かしら意思表示していたわけでもない―――と自分では思っていた。
 苦いのが苦手だなんて、マリアには何の興味も示さないように見えた彼が気づいていたとは。

「ありがとうございます……店主さん」
「…ミホークだ」
「!…ミホークさん?」

 マリアが微笑むと、ミホークが口の端を少し上げて笑うのが見えた。
 初めて店に来たときに見た、あのささやかな笑みだ。
 無愛想な店主だった彼がそれだけではない存在に変わって、近づいた距離が嬉しかった。

「……あ、でも、私そんなに分かりやすかったんですか? 苦いのがダメだって」

 あからさまに表情にでも出ていたとすれば、かなり失礼な話だ。
 するとミホークがまた苦笑して言った。

「分かりやすいわけではないがな」
「?…じゃあどういう…」
「…さっきの顔だ」
「え?」
「お前の笑った顔が見たかった。初めてここに来たときのようにな」

 ……奇妙な、間があいた。
 ミホークの一言が頭をぐるぐる回って、ようやくあるべき場所に落ち着いた時には、すでに頬が熱くてたまらなかった。

「え、あ、あああの」
「その顔もなかなか」
「へ!?」
「面白いやつだ」
「……か、からかうのかそうじゃないのかはっきりして下さいっ!!」

 思わずのぼせた自分が馬鹿みたいではないか。マリアが睨むと、ミホークがふっと不敵に笑って、目を細める。

「ならはっきりさせておこう」
「え?…」

 …触れあった唇が意外と柔らかかったとか、身長差があるのにカウンター越しに無理矢理引っ張り上げられた揚句キスされるのは結構体勢がきつかったんだとか、言えるようになるのはまだ先の話。



 ワンス・モア・シラップ
 (一足ずつ、甘く)



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