3 「ん……くっ…」 なまえは部屋の中で一人、ベッドのシーツに包まり苦悶の表情を浮かべていた。悶え苦しむようにか細い声が唇から溢れ、額には冷や汗が流れている。痛みに耐えるように身体を丸くさせている彼女は、意識は定かではないらしく何時ぞやのように夢で魘されているように見えた。 「あ……」 そんな状態が数分続いた後、突然身体から力が抜けたのか重い息をつく。息切れを起こしているようで、肩で息をすることを繰り返し、次第にそれは小さくなり部屋は彼女の小さな寝息だけが響く。 しかし、表情はまだ歪められたまま…まだ悪夢は続いているようだ。 「……あすと…らる……アストラル…!」 「……!」 同時刻、ハートランドシティ内。 ピクン、と閉じていた目を開き肩を揺らしたのは先日から遊馬について回っているアストラルだった。(とはいっても、遊馬から離れられない彼としては不本意なのかもしれない)俯かせていた顔を上げ、辺りを見回す。特に変わった様子もない、遊馬の部屋。そんな彼の様子に気づいたらしい部屋の持ち主、遊馬はどうかしたのかと問う。 「今、誰かに呼ばれたような気がしたのだが…」 「うえっ!?まさかお化けとか…」 一人怯え始める遊馬をよそに、アストラルは思考の海へと意識を飛び込ませる。 気のせいではないはずだ、何故だかそう思える。確かに誰かが…何かが私の名を呼んだ。そうなると、その何かは私を知っているのだろうか。記憶が無い身としては是非会ってみたい。私を見ることができるだろうか、話せるだろうか、触れられるだろうか。 アストラルは一人、まだ見ぬ何かに淡い期待を寄せていた。それが何であろうと良かった、言葉を交わしたいという思いが今の彼を包み込む。 もう一度、名前を呼んでくれないだろうか。 ハッと目を覚ます。既に時刻は夜の8時を回っていた。 なんだかとても苦しい夢を見ていたような気がする、けれど全く思い出せない、思い出したくない…。それほどまでに嫌な夢だったのだろうか。 身体は汗でしっとりと濡れていて気持ちが悪い、額の汗を拭ってなまえはベッドから抜けだした。とにかくシャワーでも浴びよう、この汗を一刻も早く洗い流したい。そう考え脱衣所で衣類を脱ぎ捨て、浴室へと入る。 「う……」 頭の思考回路が上手く働かない、まだ起きたばかりだからだろうか。シャワーの蛇口を捻り、目を冷ませるため冷たい水をわざと顔に浴びせる。ほんの少しだけ頭の重さがとれた気がするが、心は一向に晴れないままだ。 「そうだ…カイト」 原因はなんだろう、と考えている間にカイトのことを思い出す。そういえば今日はまだカイトが来ていない、何かあったのだろうか。この間来た時からやけに元気がないのが気になっていたけれど… まさか、ハルトに何かあったのだろうか。私やハルトは、まるで隔離されているように普段部屋から出られない。たまにドロワさんがハルトの様子を私に教えてくれる程度でしかハルトとの接触はなかった。ハルトに何かあったとしても、ドロワさんかカイトが教えてくれなければ私が知り得るはずもなく。 「………カイト」 今まで毎日と言っていいほど会いに来てくれていたのに。来れないときはドロワから連絡が入っていたはずだ。けれど今日はそれもない。眠っているときは置き手紙をしてくれるが、それもなかった。 急に目尻に熱いものが溜まっていく、心が苦しい、締め付けられるようだ。温かくなったシャワーから出る水よりも頬を溢れる雫は熱かった。駄目だ、泣いてしまっては。 「っ…きっと、カイトのほうが…苦しいのに」 ただこの部屋にいるだけの私が泣いていいはずない。私はカイトに言ったのだ、カイトが無事に帰ってきてくれたらそれでいいと。でも、 「寂しい…カイト…ハルト…」 垂れ流されるシャワーの水を見つめる。水…海…港………そうだ、彼だ。どうやって外へ出たのか、自分の記憶も曖昧なままだけれど彼、凌牙との出会いはしっかりと覚えている。知らない人間であるなまえを、凌牙はわざわざ送ってくれた。それがあったからか、彼女は凌牙に対してとても好意的な感情を持っていた。 彼は最後まで送って行くと言っていたが、さすがにこの塔まで送ってもらうわけにも行かずにその近くで降ろしてもらった。どうやって塔に入ろうか考えていたところをドロワとゴーシュに保護されて随分怒られたのは記憶にこびり付いている。部屋に帰った直後カイトにも酷く怒られた。出会った彼のことを伝えるか迷ったが、なんだか自分だけの秘密にしておきたくて伝えていない。 「凌牙くん……会いたい、な」 外に出ないようになってから、初めてできた友人(彼がどう思ってるかは別として)だった。けれど、別れ際彼は言ってくれた。やっぱり優しいと思ったのもその時だ。 『また迷子になられちゃ困るからな。今度外に出るときは俺に連絡しろ、案内してやる』 それでDゲイザーの連絡先を教えてくれたのだ。長年使っていなかったDゲイザー。再び使うときが来るとは思わなかった。他の皆に隠れて彼に連絡をしたことも何度かあるし、彼から連絡してくれたこともある。それはとても嬉しかった。 しかし、外に出ることなど二度とないかもしれない。父代わりであるカイトの父親からはこの部屋から出ないよう言われているし、カイトも出ないでほしいと考えているようだった。それは私の身体を心配しているからなのか、それとも… 「凌牙くん…」 どうであれ、なまえは凌牙に会いたかった。今彼女の脳内を占めるのは幼い頃からの友達であるカイトではない。会ってまだ数日しか経っていない、不器用な優しさを持つ凌牙であった。 |