■ ■ ■

「なんじゃあこりゃあ!?」
「オイッ、億泰!押すなって!」

小さな折りたたみテーブルの上には、イチゴにバナナ、マシュマロやクッキーなどが並び、飾りがついたピックとグラスに入ったオレンジジュース。そして、中心にはとろとろに溶けたチョコレートが入ったポット。
そんな光景を億泰は初めて見るようで、仗助を押し退けてテーブルの前を陣取っている。

「チョコフォンデュだよ。億泰くん知ってる?」
「チョコ、フォ、ふぉん...?」
「チョコフォンデュ。このポットの中のチョコをバナナとかマシュマロにつけて食べるんだよ」

名前はバナナをピックに刺して、チョコのポットに浸す。そのまま自分の口へ運ぶと、その様子を食い入るように見つめていた億泰は、目を輝かせながらどれを食べようかソワソワと目を迷わせていた。

「くぅ〜!どれから食おうか迷っちまうなぁ!」
「仗助くんもほら、座って座って」

名前がそう促すと、入口で立ったままの仗助は大きい体を縮こませて、空いている名前の隣にもそもそと座った。それでも二人の肩がぶつかるようで、名前は「部屋が狭くてごめんね」と声を掛ければ、仗助は「だいじょぶっス...」と歯切れの悪い返事をするのだった。

「よし!俺はイチゴから食うぜ!」
「どうぞ召し上がれ」
「おい億泰、チョコ垂らすなよ」
「あはは、仗助くんお母さんみたい」
「...おい、仗助ェ...見ろよこの美味そうなイチゴをよォ...」

億泰は、チョコがついた小さなイチゴをマジマジと見つめてから、大きな口で食べた。無事、「ゥンまあ〜いっ!!」の雄叫びを聞いてから、名前と仗助もチョコフォンデュに手をつける。

「ん〜!マシュマロ美味ひい〜!」
「マシュマロ!俺も食いたい!」
「いいよ〜。はい、どうぞ」
「おい!自分で食えよ億泰!」
「おおお!マシュマロもゥンまあ〜いっ!」
「仗助くんも食べる?」
「え?!あっ、ちょ、」
「はい、あーん」

仗助の口へ、半ば無理やりチョコたっぷりのマシュマロを運ぶ名前。
しかし彼は、それを咀嚼し終わったあと無言で俯いていたので、心配になった名前が顔を覗き込むと、心無しか赤面していた。どうしよう、調子に乗りすぎたかな...。名前が不安そうにしていると、億泰の笑い声が聞こえてきた。

「...」
「ごっ、ごめん、マシュマロ嫌いだった?」
「...いや、めちゃくちゃウマイっす...」
「仗助のヤツ、あんまりにも美味いからって言葉失ってやがるぜ!」
「そっ、そうだぜ!俺、こんなの食うの初めてだからよォ〜」
「なぁんだ、良かった〜。どんどん食べて!このバームクーヘンもチョコつけたら美味しいよ」
「バームクーヘン?!俺めっちゃ好き!」
「仗助くんはなに食べる?」
「あ、いや...俺ちょっとトイレに...」
「トイレなら部屋出てすぐ左だよ〜。案内しようか?」
「いや、大丈夫っス」
「こりゃなんだァ?」
「これはフィンガークッキーだよ。こうやって〜...」


_____


「あっ、ぶねぇ...」

まさか、あのタイミングであーんされるとは...。仗助はトイレの中で深いため息を吐き、まだ熱を帯びている顔を冷ますように手で覆う。

「億泰が居たからこそ起きたハプニングだったが、居なけりゃ良い雰囲気だったよなァ〜...」

同じ高校の先輩である名前に恋をした仗助。今日という日までになんとか距離を縮めたものの、いざバレンタインのお誘いを受けたら、思わず弱腰になって億泰を付き合わせてしまった。名前と虹村形兆は同じクラスで仲が良いらしく、億泰も一緒に来ることにむしろ喜んでいたが、二人きりになるタイミングを自ら捨ててしまった。
しかも、誘われた場所は名前の家。まさか一人でなんて来れるわけがない。さっきだって、肩がぶつかっただけで手に汗を握っていた。初めて入る女子の部屋、しかも想い人の名前と二人きりなんて、考えただけでも心臓が止まってしまう仗助だったのだ。

「億泰にもあんな態度かァ〜...。俺なんて眼中に無ぇのかな...」

自分を弟のように扱う名前。嬉しいような、切ないような、今まで味わったことのない胸の苦しさで仗助は思わず弱音を吐いていた。
いざ名前に告白したとたして、実は、そんな風に自分を見ていないなんて言われたら。今まで作り上げてきた関係が壊れてしまったら。
...でも、それでも良い。それでも良いから、どうにか自分を男として見てくれないだろうか。

「俺、名前さんのことが...」

狭いトイレの中、使われることなかった水を流し、その音に紛れてかき消される仗助の声。伝わって欲しいけど伝わって欲しくない。所詮、この程度の肝なのだ。この弱気な態度が全て悪い方向へ事を進めているということに、仗助も自覚している。

壁を挟んで隣にいる彼女に、一言好きだと言えばいいだけなのに、なんだってこんなに恋愛とは難しいのか。仗助は自分に苛つく気持ちを抑えながら、トイレを静かに出た。廊下は名前の部屋からの甘ったるい香りで満ちていて、それがチョコなのか、女子の部屋だからなのか、考えることも難しいくらい仗助の五感が刺激されすぎて、なんだか頭が痛くなってきた。

しかし、それでも楽しみにしていた今日のバレンタイン。せっかく名前が誘ってくれたのだ、二人きりじゃなくてもいいじゃあないか。ここまで距離を縮められたんだ、もっと彼女にアピールすればいつか自分に振り向いてくれるはず。がっついちゃあいけない。急がば回れ、案ずるより産むが易し、百聞は一見に如かず、だ。

最後のひとつはなんだか違う気がするが、妙な落ち着きを取り戻した仗助は、目の前の扉を開ける前に一度気合を入れて、しかめていた眉の皺を伸ばし、ふぅ、と息を一つ吐いてから扉をそっと開けた。


「!!...えっ、あ、じょっ、仗助くん!」
「じょっ、仗助ェ!おめーそんな静かに扉開けるなよな!」
「は?何言ってんだ億泰?ってかオメー食いすぎだろ!もうバナナくらいしか残ってねェじゃあねーか!」
「いやー、悪ぃな。つい手が止まらなくてよォ」

テーブルの上には、もう3分の1ほどしか残っていないチョコのポットに、傍らにはバナナやクッキーがいくつか散らばっているだけだった。しかし、どれだけのスピードで食べたんだということより、部屋に入り目に入った瞬間の億泰と名前の異変を仗助は見逃さなかった。
まず、二人の距離が近かった。内緒話をするように額を寄せ合うような、そんな距離。そして、自分が部屋に入れば跳ねるように離れる二人。明らかに名前は動揺していたし、億泰も意味のわからない事を言っていた。
(もしかして...)
この恋路の行方は、自分の想像以上に悪い方へ向かっているのかもしれない。まさか、名前は億泰に気があるなんて...。
これがただのそこらへんの女子ならおめでとうと言うところだが、相手は名前だ。億泰には彼女のことを好きだということを打ち明けているし、そこを抜け駆けするようなタチじゃあないのは百も承知だ。そう考えると...。

「(もう、自信喪失にも程があるっスよ...)」
「さァ〜てとっ、俺、晩メシの買いモンがあるから帰るわ」
「は?!」
「タイムセールがあってよォ。卵、おひとり様1パックで99円!オヤジ連れて行かねぇとな〜」
「え、じゃ、じゃあ俺も...」
「いーんだよテメェは〜!ゆっくりしてろってェ」
「お、億泰くん、玄関まで送るよ...!」

あれよあれよという間に億泰が帰ってしまったようで、玄関から扉が閉まる音が聞こえてきた。
もう何が何だかわからない。友人の言葉を借りるなら理解不能!と言うところだ。億泰は名前と居るのが気まずくなって帰ったというパターンなのか?そうだとしたら自分はとんだお邪魔虫だ。むしろ自分が帰るべきだったんじゃあないか。彼女の部屋に一人取り残され、食べ物も大半食べ尽くされ、あとは何をすればいいって言うんだ。教えてくれよ億泰!
そう心の中で叫んだ仗助だったが、部屋の扉が開く予感がして、取り乱した心を落ち着かせる。

「お、億泰くん帰っちゃったね」
「そ、そうっスね〜」
「卵1パック99円てさ、安いよね...」
「そう、っスね〜...」

違うんだ、こんな事を話したいんじゃない。もっと大事なことを話さないといけないのだ。正直、いけいけどんどん、当たって砕けろと、心の恋愛親衛隊が雄叫びを上げている。さっきまでは急がば回れだの案ずるよりどうのこうの言っていたのに、予定外の恋路の障害の出現に焦りと不安、そして今、このタイミングが最後のチャンスだと言わんばかりに心臓が高なっている。
そうだ、気持ちは伝えないと伝わらない。今だ!仗助!男を見せるんだ!

「あのっ...」
「あのねっ...」
「あっ、ごめん、先に言って?」
「いやいや、名前さんこそ。先に言ってくださいよ」
「あ、うん...。あのね、」

少女漫画のようにベタな展開を経て、仗助と名前は、小さなテーブルに向い合わせにもじもじと居心地悪そうにしていた。そこで、名前は可愛らしくラッピングされたピンクの包を吹っ切れたように仗助に突き出した。

「これ!!」
「ぅおっ...。え、これ...」
「バレンタインだから...仗助くんにと思って...手作りだから、味に保証はないよ」
「...こ、こいつぁグレートすぎますっス...開けてもいいっスか?」

りんごのように頬を染めた名前は静かに頷き、仗助がそっと包を開ける。箱には、トリュフやデコレーションされたカップケーキなどが可愛らしく収められていた。

「おぉ...!す、すごいっス!これ本当に名前さんが作ったんスか?!」
「うん...でも、口に合うかどうか...」
「こんなにウマそうな見た目してるんスよ?!絶対ウマいはずっス!食べてもいいっスか?」

再び名前の了承を経てから、箱の中身に手を付ける。言わずもがな美味しい。洒落た喫茶店でちょっとお高めの値段で出てきても納得してしまう味と見た目である。今までバレンタインにもう嫌と言うほどお菓子を貰ってきたが、この、名前が作るものだったら、死ぬまでずっと食べられる気がする。仗助は、自分が涙目になっていることに気づいて、トニオの店で号泣してた億泰の事を思い出した。
そういえば、なんで俺にこれをくれたんだろうか。本命は億泰なんじゃあないのか。そう思うと、だんだんと口の中が重たくなってきて、それに気づいた名前も不安な表情を見せていた。

「口に合わなかった?」
「いや、味も見た目もサイコーっス。ほんとに、マジでウマいっス。でも、なんで俺にくれたのかなって...」
「え...なんでって...」
「名前さんって億泰のことが好きなんじゃあないんスか?」
「え?!どうしてそう思ったの?!」
「いや、なんか二人、さっき距離近かったし、俺が来たときによそよそしくて、億泰と話してる時の方が楽しそうだし...俺の方が名前さんのこと好きなのに...」


あ。
しまった。


「...ぅ、え...」
「え...」

やってしまった。仗助は、億泰と名前へのジェラシーが入った愚痴を言ってるうちに、つい気持ちが先走って思いを伝えてしまった。
そんなことよりも、名前が泣いてしまっていてそれどころではない。理想の告白でないうえに彼女が泣いてしまうなんて、こんなの俺が読んだ恋愛マニュアルには書いてなかった、と仗助は内心狼狽えながら名前からの言葉を待った。

「...ごっ、ごめんっ...」
「いや、俺こそ...スミマセン...。でも俺、本当に名前さんのことが好きで...億泰には悪いんスけど、やっぱり諦められねーっつーか、いつか必ず振り向かせてみせるんで...」
「あっ、え、ちょっと待って、そういう意味じゃないの...」
「...え?」

さっきの"ごめん"は告白の返事じゃあないのか?すっかり断られたと思って項垂れていた仗助だったが、名前が慌てた様子で会話を遮ったので、ガバッと顔を上げた。

「急に泣いちゃってごめんねっていう意味だったの。仗助くんが私のこと好きって言ってくれたのが嬉しくて...。本当は、私も仗助くんのことが、」

"好き"
そう言い終われば、いつのまにか名前は仗助の胸の中にいた。


「じょ、仗助く...」
「名前さん、付き合ってください」
「ふふ...。抱きしめながら言うセリフじゃないと思うよ」
「じゃあ、離れますか?」
「ううん。...このままが良い」

このまま、ずっと仗助くんに付き合ってあげる。


2月14日



「仗助、うまくやってっかなァ〜」
「なんだ、アイツらまだ付き合ってなかったのか」
「そうなんだよ兄貴ィ〜。今日だって、まさか俺を誘うなんて思わなかったからよォ〜。仗助がトイレ行ってる間に名前さんと作戦会議して、しれっと抜けてきたんだ」
「フン。意外と腰抜けなんだな、東方仗助は」
「いや〜、でも名前さん家で食った、チョコ...チョコふぉんでゅ?美味かったなァ。そういや、兄貴それ何食ってんだ?」
「あ?これは名前と交換した菓子だ」
「兄貴...そりゃあ、友チョコってやつか?」
「フン(美味い...)」
「(兄貴は何作ったんだろ...)」