もう一人の天邪鬼 | ナノ


2






〜第2話〜
雨の日の来訪者




 (最悪だ……)

 しとしとと雨が降る空を見上げて、露伴は舌打ちした。
 つい数時間前、原稿が仕上がったので、気分転換に――もしもの遭遇のためにカメラとスケッチブック、ペンは必須だ――外へと出かけた。猫と犬のバトルに遭遇したためその様子を真っ白な紙に描きこんでいれば、突然、ぽつぽつと降りだしてきた雨。車は遠く、道具を濡らすわけにもいかず、駆け込んだのは一人がやっと入れる大きさの木陰。葉は大きくないが、幾枚も折り重なっているためによい雨宿りの場となっている。

(くそっ……あの天気予報まるであてにならないなッ! なにが快晴だ、完全に豪雨じゃあないか!)

 いらだたしげに空を仰ぐ。暫く、やみそうにない。最悪、一晩は降っているだろう。

(よりにもよって、車は数十メートル先……持ち物を濡らさないで辿り着けるか?……いや、やめておこう。下手してせっかくの資料を無駄にするわけにはいかない)

 この様な情けない現場を、絶対にあの学生達に見せられない。康一あたりはまだ耐えられるが、仗助や億泰は我慢ならない。桔梗なんてなおさら見せられない。彼女に限って冷やかしなどはないだろうが――寧ろ心配するだろう――露伴自身のプライドが許せない。まあ、男が好意ある女相手に情けない姿を見せたくないというやつだ。
 もう少し様子を見て、やまないようならば服か何かで機材を保護しながら車まで走ろう。露伴は雨雲を見上げながら思った。

(ん?)

 ふと、パシャッパシャッ、という水を蹴る音が聞こえた。傘を忘れたのだろう。走って帰っているのか、足音は一向にスピードを落とさない。音は段々と近づいてくる。同時に、面倒くさい、と露伴は思った。もしかすると、彼のいる木陰に雨宿りしようとしているかもしれないからだ。
 冗談じゃあない。大事な資料があるし、自分も濡れたくない。一人がやっとのスペースで、人が増えれば両方濡れないという選択肢は無い。露伴は、近づいてくる影を睨みつけるように見た。しかし、その鋭くなった目は、青いチェック柄の蝙蝠とその下で何かを大事に抱えている人物の顔を見た途端、丸くなった。

「きみ……」
「やっぱり先生だった!」

 息を切らせ、リンゴほっぺを更に赤くしながら、彼女は傘を傾けてほんの少し、木の下に入って来た。露伴の持っている物が濡れないように配慮しているのだろう。よりにもよって、今一番会いたくない人物に会ってしまった。……けれど、やっぱり嬉しいと思う自分がいる。そこがまた悔しいところだ。

「ひっ人影がッ……先生っぽかったから、もしかして取材中に降られて、帰れなくなっちゃったのかもって、心配になって……い、急いで、家に帰ってから、お父さんの、古い方の、かっ傘を持ってきました……」

 手に持っていたのは、黒く大きな傘。持って走るにはいささか苦労しただろうに。
 雨が降っていることでヒンヤリとした空気が漂う中、彼女は一人、「熱い」とぼやきながら手で顔を仰ぐ。

「これ、良かったら使って下さい。今度、取りに行きますから」

 汗か、それとも雨水か、分からなくなった水滴が彼女の額や頬を濡らし、髪の毛を吸うように張り付ける。妙にその表情に色気を感じ、露伴は思わずペンを取っていた。

「ちょ、先生なにこんな時に何を描いてるんですか!」
「決まってるだろ。雨に濡れた女子高生」
「もうっ、やめて下さいッっていってもどうせ聞かないだろうから諦めます」
「ふん、よく分かってるじゃあないか」
「ほんと、先生って仕事熱心ですよねぇ……」

 感心したような声を漏らしながら、桔梗は苦笑した。……その表情、貰った。別の紙に描く。

「よし、もういいぞ」
「はい、ではどうぞこの傘をお取りくださいまし」
「変なしゃべり方をするんじゃあない、気持ち悪いぞ」
「酷い言いようです先生」

 口では乱暴なことを言いつつも、傘を受け取る時の手は丁寧な露伴。そんな彼に微苦笑を浮かべて傘を手渡した。そして、彼女は一歩下がり、「それでは私はこれで」と片手を上げる。

「待ちなよ」

 せっかく会えた、このチャンス。学生の彼女と社会人の自分とでは会う確率は会おうと思わない限り少ない。そんな限りある瞬間を、少しでも長く保とうと思うのは自然の摂理だ。
 露伴は、傘を持ち直して去ろうとする桔梗の手首を掴むと引き留めた。思った以上に華奢な腕にドキリとする。

「少し歩いた先に車を止めてあるんだ。送ってくよ、このまま借りをつくったまま帰られると胸糞わるくなる」
「いや、か、借りって……別に私は先生に素晴らしい漫画を描いていただければ――」
「いいから来なよ。早く帰れた方が君もいいだろう? そんなびしょ濡れなんだしな」
「え、でも、ぬ、濡れちゃいますよ、シートとか」
「それくらい平気さ。そんなことをネチネチ気にするような人間に見えるのか、この僕が」
「……ちょっと」
「……」

 言いにくそうに肩を竦めて、人差し指と親指で何かをつまむような動作をしながらつぶやく。上目使いで見られて、「ああ可愛いな」と一瞬頭をよぎったが、言われた内容のことを考えると素直にそう思えない。責めるような視線を送れば、ほんの少し申し訳なさそうな表情を浮かべ、俯く彼女。しおらしい姿も描いておきたいと思ったが、今は我慢した。流石にやり過ぎると嫌われかねない。
 車に到着すると、鍵を開け、最初に桔梗を後部座席に押し込んだ。次に、道具をトランクへと詰め込む。大事なものは助手席に乗せた。

「……なんだ」
「えっ」

 やけに車内をキョロキョロと見回したりするので、運転席に乗り込んだ露伴は思わず問う。すると、桔梗はほんのりと頬を染めて言うのだ。

「いやー、先生の匂いがするなあっと思って」
「……」
「けっこーいい匂いですよねー先生って」
「……」

 露伴は、へにゃりと笑って言ってのけた桔梗から顔を逸らして前を向くと――思いきりハンドルに額を打ち付けた。

「露伴先生ィ――ッ!? いいい一体なにやっちゃってるんですかッ漫画大好きすぎてついに頭のねじが吹っ飛ん……」
「ヘブン――」
「ごめんなさいごめんなさいソレだけはやめて下さい《スタンド》乱用ダメ、絶対」

 今にも泣きだしそうな顔をして嘆願してくる彼女にニヤリと露伴は笑うと上げかけていた右手を下ろした。再び正面に向き直ると彼はキーをさしエンジンをかけ、車を発進させた。背中からは、桔梗の視線が送られてくる。バックミラーをチラリとのぞくと、じっとこちらを見つめる彼女の姿があった。
 なんだ、と尋ねる。すると、彼女は真顔で、珍しい、と呟いた。

「なんだか、新鮮だなぁと思って」

 上気した頬に濡れた髪の毛を張り付けて、後部座席からほんの少し乗り上げながら言う桔梗は、本当に無防備だった。今、目の前にいる男が好意を抱いているとは、微塵も思っていない顔だった。憎たらしい。
 露伴は、ため息を一つつくと、乗り出す彼女の顔を片手で鷲掴みし後ろへと押しやった。「ぎゃあっ」という可愛げもない声がした。

「もー、酷いですねー、ただ眺めてただけですよ」
「危ないだろ。まったく、高校生にもなってそんなことすら分からないのか君は。これで長女だなんてお笑い草だな」
「酷い言いようです……あ、そ、それにしっかり者と長女はノットイコールっていうか、えーっと……」
「そうだな、君を見ているとそういう《常識》がいつか覆りそうだ」
「……皮肉」

 がっくり、と肩を落とす桔梗。
 ああ、どうして自分は彼女にこのような反応しかさせられないのだろう。あの憎たらしいクソッタレ仗助はいつも笑わせてやれているというのに。もう一度、バックミラーで後ろの様子をうかがう。むくれながら、自分の傘をいじくっていた。


 * * *


「あ……」

 露伴に家まで送られ、帰宅した桔梗は玄関にてあることに気が付いた。彼女が手に持っているのは、ぐっしょりと雨に濡れた傘が一つ。家を出るときに持ち出した傘は二つだったはずだ。

「置いてきちゃったかぁ……先生の連絡先知らないんだよなあ。康一君だったら知ってるかな」

 適当に水滴を落とすと、彼女は家に上がった。
 康一に露伴の連絡先を聞き、露伴に電話をして、明日の夕方、傘を取りにゆこう。桔梗はそう考えていた。

「先生の家、かぁ……」

 尊敬する漫画家の家を康一はじっくり見た事があるが、彼女はまだであった。もし露伴が許可してくれるならば、仕事部屋をじっくりと見せてほしい。きっと、興奮して騒ぎ出してしまうだろう。

「へへへ、楽しみだな〜」

 にやけてしまいそうな顔を抑えるように、頬に手を当てると彼女はさっそく康一の家に電話をかけるのだった。





――――
あとがき

 なかなか進展しない。ちょっとずつ、ちょっとずつ進んでゆくのだッ!
 雨の日の出会いってなんかちょっとたぎりますよね。え、そんなことないですかッ<●><●>!?



更新日 2013.07.02


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