真夜中。
今にも消え失せて仕舞いそうな安っぽい光を放つ懐中電灯と、大して好きでもない曲の入ったCDラジカセを片手に家を飛び出した。無意味に歩数を数えながら歩いていたらあっという間に辿り着いてしまった防波堤には当たり前ながら誰も居なくて、俺の前に大きく立ちはだかるその壁は意思を伝達する手段を持ち合わせて居ないが為に、人間なんて陳腐な生物よりもずっと恐ろしい何かのように見えた。何の感情も持たない漆黒の塊の特等席にどっかりと腰を下ろし、暫しの間目を瞑る。今なら不規則にテトラポットに叩き付けられる波の音だけがこの世界の全てなのだと言われたって、素直に頷いてしまえる自信があった。この波の音色に催眠作用があるのかどうかなど俺が知るわけもないが、時間を忘れて真っ黒な虚無に浸りきっていたら危うく睡魔に意識を絡み捕られそうになって、慌てて瞼を持ち上げた。するとこれは哀しむべきなのだろうか。本当に懐中電灯の光が切れてしまっていて、俺は突如として本当の意味での暗闇に放り出されることとなった。ちっとも便りにしていなかった筈の弱々しい煌めきは、実は俺にとって最後の砦だったのだ。替えの電池を持ってくりゃ良かったなどと後悔したって今更、後の祭りにも程がある。重い腰を無理矢理に持ち上げて周囲を見渡せば、ストレートに鼓膜へ訴えかける水音以外には何も聴こえない、見えない。年甲斐もなく足がすくんだがまあ、もう少し時間が経てば暗闇に目が馴れてくるだろう、そういう仕組みなのだから。人間というものは本当によく出来ている。
何も考えていなかったし、何も思うことができなかった。今の俺はちょっとばかり無鉄砲なのかもしれない。まるで既定事項だったかのように自然に懐中電灯を掴んだ腕が大きく後方にしなって、光を失ったガラクタをただざぶり、ざぶり、と轟音をたて続ける厄介な海原に放り投げた。
____ポチャリ
着水音は聞こえない。否、聞こえていたのかもしれないけど、どうせ波に掻き消されて俺の耳には届かない。懐中電灯を放った勢いのままに、何処までも無表情な防波堤に寝転がって、声をあげて笑った。
昔何回も見たB級冒険映画みたいな懐かしいこの雰囲気に、堪らなく興奮する。
ぼうっと空を見上げれば、青白い光輝を放つ6つのプレアデス星団達が今にもこぼれ落ちてきそうな程に美しい真夜中が、360°見渡す限り際限なく広がっていた。
街の光の届かない場所にあるこの防波堤からは何時だって俺の期待を裏切らない壮麗な星空を眺めることができる。今日もその例外ではなく、寧ろ今宵の蒼い輝きは過去に類例を見ない程にずば抜けて美しかった。このまま見つめ続けているとなんだか己の汚れた心が咎められ、鬱にでもなってしまいそうだったので、気をそらすようにすっかり存在を忘れていたCDラジカセのスイッチをいれた。
エリック・サティ___ジムノペディ 第1番「ゆっくりと苦しみをもって」
クラシックは俺の得意分野ではないが、聞き覚えのあるメロディに即座曲名が浮かんだ。繊細な旋律だ。一音一音がただただ清麗で、何の懐疑も浮かばない。音楽に「正しさ」なんてものは存在しないが、だとしてもこの曲からは一種の正義たるものを感じざるを得ない。酷く感傷的な作品の筈なのに、今は不思議ともの悲しさを感じることはなかった。何故?
ああ、流される。倦怠的で情緒壥綿なこの雰囲気に何もかもが飲まれてしまいそうだ。煩い、いい加減に波の音なんて止んでしまえ。いっそこのまま、夜が明けなければいいのに。今日くらい奇跡の一つや二つ起こってくれたって可笑しくないだろ?
だって、こんなにも星が綺麗じゃあねえか。
______さあ、明けない夜を壊せ。
Task様の「明けない夜を壊せ」にインスピレーションを受けて興奮冷めやらぬままに書き綴ったら比喩だらけで何がなんだかわからない代物が完成しました。やけにポエミー。
2016.03.27