定時の10分前に着くように前日からしっかりと計算をし、急いでありったけの荷物を小さな鞄に詰めて家を出た。
正しい時間に正しいバスに乗ったはずだった。なのにどうしてだ。
写真で見た、高い草に囲まれた見晴らしの良さそうな丘はどこにも見当たらない。おれは一体どこへ向かっているんだろうか。
右を見ようが左を見ようが見渡す限り茶色一色の田、田、田。そして田。さっきまではおれを合わせて5人程乗っていたはずの車内は今やもぬけの殻で、初老のベテランバス運転手と二人っきりという最高に気まずい状況の中不安だけが募り続けていた。
手元の写真に目を落とす。あり得ん。腰の曲がったじじいすら住んでなさそうなド田舎にこんなぴかぴかの豪邸が建ってる訳がねえ。定時まであと20分。まずい。このままじゃ余裕で遅刻する。意を決して「降ります!」ボタンを押すと、すぐに止まってくれたバス。割と高めの運賃を払ってバスを降りると生ぬるい風が頬を掠めた。

遠ざかっていくバスを虚しく見送り、携帯を取り出す。あまり使ったことがないんでよく分からねえが、この携帯にはGPS機能とやらがついているらしく、自分の今現在の位置情報を詳しく知ることができるらしい。アプリケーションを開いてみるとなるほど、分かりやすく地図が出て住所が示された。
どうやらおれは館とは真反対の方面に乗っけられてしまったようだ。何故だかは全くわからん。
今から徒歩で向かうとして約30分の移動距離。やはり間に合わない、遅刻決定。最悪だ。



今日俺が向かっていたのは新しく仕えることになったブランドー家の館だ。俺は今年から「執事」の職についている。誰でも知っていそうで割と有名な仕事だが、自己紹介をすればかなり珍しがられる。
俺のガタイを見ればSPとかそっち系統の「体をはって守ります」みたいなタイプを思い浮かべるかもしれんが、俺の仕事内容はどちらかと言えば主の身の回りの世話、家事などを全般にこなす使用人タイプの勤務内容に限られる。
そして今日、友人が紹介してくれたブランドー家が執事としての初仕事というわけだ。
だのにどうしてかバスは反対方向に向かい、こうして俺は歩かされるハメになってしまった。大失態だ。初日にテンパって大遅刻だなんて俺のキャラじゃあねえ。このラグをどう挽回すればいいだろうか。
そんなのは決まっている。与えられた任務を全て完璧にこなしてブランドー一家とやらを感心させる。ただそれだけのことだ。優秀な人材だと認識させるためには、一つのミスも許されない。
なめた態度をとられたくはねえが、あっちに着いたらまずは謝るしかねえか。
頭ではこう思うが足取りは以前重たい。ポケットに突っ込んであった煙草に火をつけた。今日からはこいつともおさらば。館内は全フロア禁煙らしい。
かんかんに怒っているハゲた40路のおっさんが馬鹿デカい門の前で怒鳴り散らかしている姿を想像し、思い付く限りの言い訳を考えながら歩く。
非常に憂鬱だ。



***



たどり着いたのは写真で見た通りの豪勢な館だった。
草原に囲まれた小高い丘の上に建つこの館に対して一つ文句を言うならば、異常なまでの虫の多さだろう。ここに来るまで既に7回程顔めがけてアタックされた。帽子を目深に被っているため眼球への侵入はなんとか防ぐことができたが、あまりの昆虫類の多さに恐怖を覚える程だ。虫恐怖症にでもなったらどうしてくれる。


どうにかしてここまでやって来た訳だが、想像していたようにじじいがキレて飛び出してくるような怪しい仕掛けはないらしく、館はただただ閑散としていた。さわさわ、と草が風に揺れる音が余計に俺を緊張させる。
腕時計に目を落とせば、針は10時20分を指していた。20分の遅刻。改めてやっちまった感が俺を襲う。重厚な扉の前で5分程無駄な思考を巡らせた後、月給ダウン覚悟で手をかけた。
鍵はかかっておらず、安っぽい音をたてて開いた扉。

館内を見渡す。誰もいない。

「失礼します。只今到着しました、空条承太郎です」

相変わらずドスの聞いた声しか出ねえんだな、と失望。ややあって、大きな螺旋階段の左脇の扉が開いた。
出てきたのはやや小太りの背の低い男だった。髭を生やしており、言っちゃ悪いが性の悪そうな顔つきをしていた。彼が口を開く。

「よく来てくれた。俺がこの館の主、ダリオ・ブランドーだ。ようこそブランドー家へ。歓迎するよ」

「ご厚意ありがとうございます。遅刻してしまい申し訳ございません」

「いいってことよ。ささ、あがりなさい」

何を言われるのかと思ったら、遅刻したことは全く気にも留めていない様子だったので少し拍子抜けした。話してみると以外にも軽妙な話術をもっており、会話が弾む人というのはこういうのを言うんだろう。見かけによらずいい人そうだった。

軽く自己紹介を交わした後は広々とした居間に通された。そこには物腰の柔らかそうな女性が1人椅子に腰掛けており、俺が現れると少々驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んで「ダリオの妻、アリア・ブランドーです」と名乗った。俺の方も名を名乗り一通りの挨拶が終わると、急にダリオが大声を張り上げた。

「ディオ!ディオ!!出てきなさい、新しい執事の方がお見えになったぞ」

ディオ、というのはどうやらダリオ達の1人息子のことらしい。声を聞きつけてか、階段の方からトッ、トッと小さな音が聞こえて影からひょっこりと金髪が覗いた。ダリオが小声でほら、こっちへ来なさいと手招きすると、おぼつかない足取りで此方へと歩いてくる人影はどこか頼りない印象を受ける。

そして現れた彼は、非常に綺麗な顔をしていた。細かく艶のある髪は美しい金色で、高く通った鼻筋にあどけない唇。やや吊り目気味だが瞳はただただ透き通った深紅に輝いており、眺めているだけでうっかり溜息の一つでも出てしまいそうだった。

「ほらディオ、ちゃんと挨拶するんだよ」

「……ディオ、ブランドー………です……」

「…空条承太郎だ、宜しく頼むぜ」

目を合わせようとするとひょい、とダリオの後ろに隠れてしまうところがなんとも餓鬼らしい。
不安気に垂れた眉と、いぶかしそうに此方を見上げる瞳がこいつの心中を全て代弁していることだろう。

「すみませんね、承太郎さん。この子まだ6歳で今年小学生になったばかりなのよ。人見知りが激しくて、初めて会う人には大体こんな感じだから…許してやってくださいね」

「大丈夫です、お構いなく」

6歳にはとても見えない顔立ちだったもので驚いた。外人ってのは皆こんなもんなのだろうか、分からねえ。



ダリオから勤務内容について軽く説明を受けた。主に任せられたのは館内の掃除、洗濯などの誰にでも出来そうな基本的家事全般。
しかし。やはり予想はしていたが一番厄介なのを任せられてしまった。


ディオの身の回りの世話。最難関のミッションだ。


____急にこんないかつい奴がやってきたと思ったら話したこともないのに自分の世話まで任されたようで、ずかずかと部屋に入ってきた男は黙々と身の回りの整理整頓を始め会話もないまま気まずい思いをしてしまうディオ___
これはひどい。流石に可哀想だろう。
気弱な6歳の少年には非常に酷な宣告だと思われたが、だからといって俺が抗議するわけにもいかないし、ディオも泣いて嫌がるような素振りは見せなかったためそのまま勤務内容の説明は終了し、ダリオは部屋に戻ってしまった。アリアさんも「それじゃあ、後はよろしくね」とにこやかに言い残して自室へ消え、残されたのは俺とディオ。
耳に痛い沈黙が流れる。
二人して固まっていたところ、最初に動いたのは意外にもディオだった。
ディオは何か言いたげな瞳を俺に投げ掛けたあと、階段を登り始めた。ついてこいということだろう。階段を上りきるとそこには沢山の部屋が並んでいた。小さな少年は迷いもなくとことこと歩いていき、何回か廊下を曲がったところで1つのドアの前で立ち止まった。
ディオは一度こちらをちらりと伺って部屋の中へ入っていった。俺も続いて部屋に入ると、な、こいつ生意気だぜ。俺の部屋よりもでけえじゃあねえか。なんとも言えん敗北感のようなものを味わっていたら、いつの間にかディオはこれまた立派なベッドに腰かけて足をぷらぷらさせていた。
取りあえず、何をしてやればいいのか聞いてみるとする。


「おい、ディ「おい、そこの男」



!?



「………?…聞こえんのか、貴様のことだぞ」


「は」


なんだ、なんなんだ、俺はいよいよ頭がイカれちまったのだろうか。
今しがた小学一年生のディオ少年から信じがたい呼ばれ方をされたようなされなかったような、


「あー、お前耳が聞こえないのか?早くこっちへ来いと言っているのだ」





!?


どうやら俺の頭の方はまだまだ正常に使えるようで、バグを起こしていたのは目の前でこくんと首をかしげ此方を怪訝そうな表情で伺っているディオ少年(6さい)の方だった。
それじゃあなんだ、さっきまでの年相応の気弱な態度は全て演技だったってことか?
とんでもない演技力だなてめえ。

「………お前、なn」

「………フン、まあ驚くのも仕方あるまいな、とにかくこっちへ来い」

やたらと威圧感のある眼差しで命じられたので、未だに固まったままの素敵な表情のままディオに近付いた。

「貴様、名をなんと言う」

「空条承太郎だ、さっきも言ったぜ」

「そうか」

何故だろうか、ディオに耳を引っ張られた。爪が食い込んで痛い。

「いいか承太郎、ぼくは一番が好きだ。ナンバーワンだッ!誰だろうとぼくの前でイバらせたりはしないッ!!」

それだけ言い終えるとディオは、俺の耳から手を離してフッと満足げに笑った。

そしてその瞬間俺がこの部屋に入ったときから抱いていたディオに対しての憤りや疑念、驚きが跡形もなく消え去った。

最高に格好いい(つもりの)台詞が上手い具合にキまり、餓鬼特有の自分勝手な満足感に浸っているであろうディオは俺をベッドの上から見下し、にんまりと腕を組ながら俺のファーストリアクションを今か今かと待ちわびているようだった。

驚いて欲しいか?服従してほしいか?
残念だったな、気の毒だが相手が悪かったみてえだ。
俺は静かにその場から立ち上がり、大人特有の凄み的なものをかもし出しつつ黙ってディオを見下ろした。
どうも、俺は無表情が一番怖いらしいのでな。
ディオの勝ち誇ったような笑みが恐怖にひきつり乾いた笑みに変わった頃合いを見計らって、お袋がガチにキレた時の地を這うような声音を意識しつつこう言い放つ。

「ほう、そりゃあ結構な心構えだ。嫌いじゃないぜ、そういうの。どれ、ひとつ力比べでもしようや。ナンバーワンは拳で決めなきゃなあ?」

こきこき、と拳を鳴らして見せると背筋を固まらせてへろー、と明後日の方向を向いた赤い瞳。どうも、俺は笑った顔が2番目に怖いらしいのでにっこりと口を歪めてみる。ガチガチと歯がぶつかるいい音が聞こえた。

「あんまり調子に乗るんじゃあねえぜガキ公」

プチお説教も無事成功したかと思われた。が、まだ懲りないようでディオはこちらをキッと睨み続けていた。すると急にベッドを飛び降りたディオ。
何かヤバい予感がしたが時すでに遅し。咄嗟にドアの方を振り向けば耳に飛び込んできたのは甲高い泣き声。
ディオはドアを大きく開け放って館中に響きわたるような大声で泣き喚き始めたのだ。


なんだろうか、流石に俺もここまで泣くとは思っていなかった。やっぱりさっきのが応えたのだろうか。餓鬼を泣かせちまった時ほど罪悪感を感じるものはない。今更考えてみれば俺も大人気ねえことしたな、なんて思ってそこにいる爆音スピーカーに声を掛けようとしたその時だった。


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -