「花京院、典明です…よろしくお願いします」


語尾が震え、上擦った自分の声に思わず溜め息がでそうになった。名を名乗る、というだけの行為ですらぎこちなくて、なんだか情けなくなる。なるべく爽やかに挨拶をかましてやろうと思ったのだけれど、こうも上手くいかないとなるとちょっとした自己嫌悪に陥りそうだった。

軽く絶望に染まりかけた僕の気持ちとは相対して、場の空気は明るい。まちまちに拍手が聞こえ、教室中の目と目と目と目が興味津々といった風に一斉に僕を観察していた。正直余計緊張するからやめてほしい。


僕が今日から生活することになる2年2組の朝のホームルームの時間を使い、転校生が来るときの恒例行事となりつつある「自己紹介タイム」を無難に済ませた僕は、窓際の最後尾というなかなかに良いポジションの席に着いた。
僕が着席した後一瞬の間をおいて、担任の江藤といういかにも人の良さそうな女教師が生徒たちに向けて話し始める。今日の授業の予定だとか、昨日の数学の時間の授業態度が非常によかった、ということだとか、今日も怪我をせずに落ち着いて生活するように、などとまるでマニュアルに則って誠実に言葉を選んでいるかのような話の内容だった。
生徒達の反応からして、江藤先生は相当慕われているように見える。

「今日からこの2年2組に新しい仲間が加わると言うことで…皆そわそわしてると思うけど、ハメを外さないように気をつけて生活してくださいね。以上」

先生がにこやかにホームルームの終わりを告げた途端、実はそれが何かの合図で、昨日からこの時のために練習していたんじゃないかと錯覚してしまうくらいの勢いでクラスメイトたちが僕の机の周辺に集まってきた。

目の前にはたくさんの人。自然と体が強ばってしまう。まだ人と接することに恐怖を感じている自分がいた。

教室中には様々な感情が渦巻いている。皆、顔に笑顔を張り付かせて期待の眼差しで僕を見つめていて。
いったい、僕に何を求めてるっていうんだ。どうせまた、僕のことを茶化すんだろう?馬鹿にするんだろう?

「花京院…典明さん、であってるよね?今日からよろしく!」

「…うん……よろしく、お願いします」

いかにもって感じの委員長らしさをかもし出している女の子が挨拶をすると、周りから「イェーイ!」とかそんな感じの声と、割れんばかりの拍手が降り注いだ。驚くことに、僕を蔑むような目で見てくる者は誰一人とおらず、皆一様に、本物の楽しそうな笑顔を浮かべていた。


なんだろう、今まで感じたことのない感覚だ。急に目の前の人達が何年も前から気の知れた仲のいい友人のように見えた。皆の笑顔を見ていると何故かこっちまで自然と顔が綻ぶ。さっきまであんなに恐怖を感じていた筈の人間たちが不思議と怖くない。

僕は今までこんなにもたくさんの人に注目されたことがなかった。注目されたとしてもその眼差しは嫌悪感の溢れる汚らしい濁った眼だった筈だ。だけど今は違う。ここにいる全員が曇りのない純粋な瞳をしていた。
今の僕には、ああ、この人達は暖かくてとてもいい人達なんだな、と漠然と思うことしかできなかった。
皆の歓声が眩しくて、嬉しくて、よくわからないけど涙が出てきそうになった。曇天の僅かな隙間から太陽がふいに刺したみたいに、心が照らされている。
大きな驚きと小さな感動が頭を満たしていたが、男子生徒の突然の質問で意識が戻された。

「その髪ってさ、染めてるの?すげー…!」

「あ…これ、地毛なんだ。生まれつき…この色」

案の定、驚きの声が上がる。
昔から髪の毛のことを色々と言われてきたため、この反応には慣れっこだ。
驚くことに、クラスメイトの中には金髪や、青っぽい髪の人もいた。髪質からして染められたものではないと人目でわかる。
あの人達も、僕と同じような経験をしてきたのかな、と勝手に思い浮かべてしまう。

「音楽とかは?何聞くの?」
「好きな芸能人とかいる?」

「ええと…音楽は洋楽とかゲームミュージックとか色々聞くよ。好きな芸能人は……あまり居ないかな」

矢継ぎ早に質問をされ、うまく頭が回らなくなってしまう。こういうのは苦手だ。
皆はまだまだ聞きたいことがたくさんありそうな様子だったけど、委員長らしき女の子がそれを制止し、皆大人しくそれに従った。口々によろしく、と一言挨拶され、その場にいた全員が席に戻る。


正直に言えば、疲れた。年の近い人とこんなにたくさん話したのは本当に久しぶりのことで、さっきの会話だけで1日分のエネルギーを使い果たした気さえする。
でも、なにはともかく皆いい人そうでよかった。きっとクラスメイト同士も仲がよいのだろう。ここなら上手くやっていけそうな気がした。ようやく一段落ついたなと思ったら、僕の前の席の女の子がくるっと振り向く。どうやらもう少し疲れることになりそうだ。
ほっぺたに少しそばかすのある、おさげのその女の子は人懐っこそうな笑みを浮かべ、名を名乗った。

「どうも。あたし茎咲 玲って言います。一年間…て言っても今は秋だから…あと半年くらいしかないけど、よろしくね」

「うん、これからよろしく………いい名前だね」

正直に言うと、彼女は一瞬困ったような顔をした後ニカっと笑った

「そんなこと言われたの初めて。あたしのことはどうぞ、『れんこん』とお呼びください」

「…れんこん?…はは、面白いあだ名だね。どうして?」

「来るべき時が来たら教えてあげるよ。しばらくは教えてあげられないんだ。とりあえず今は君のあだ名を考えてあげる。そうだな…のりぴーなんてどう?」

なかなか面白い子だ。発想がどこかぶっ飛んでる部分があるけど、こういった複雑に見えて単純な思考は好きだ。彼女は周りとは少し違う、とてもシンプルな感情で動いているような気がした。

「のりぴー…なんだか可愛い名前だね……僕、あだ名とかつけられたことないから、実は今少し感動してる」

「ええ、そうなのかあ…じゃあ、あたしがのりぴーのゴッドファーザー第一号ってことだね」

「はは…そういうことになるね……?」


はっとした。僕は今、何をしていた?
いやいやなにを言っているんだ。僕はいま玲という女の子と話をしていたんじゃないか。


一瞬思考がフリーズした。
自分の耳を、口から出た言葉を、目を、全てを全力で疑った。
この僕が当たり前のように女の子と会話していただと?

再び思考が固まる。
頭が真っ白だ。
人が、怖く____ない。

これまでの僕であったら、こんなにもすらすらと自然な流れでクラスメイトと会話を続けることは不可能だっただろう。ましてや女子となんて。
今すぐ自分を小声と小さな拍手で褒め称えてやりたい。悲しいことに、僕の記憶違いでなければ学校の女子と話をしたのは2年ぶりだった。
まあそんなことはどうでもいい。

人が怖くなくなった。こんなにもあっさりと人間恐怖症を克服出来るとは思っていなくて、胸いっぱいに沢山の混沌とした感情が込み上げてきた。例え周りの人になんと言われようが、気付かれることすらなかろうが、僕にとっては変わらない、嬉しい事実だ。

なんだ、思ったより簡単じゃないか。
最高のスタートだ。
思わず笑みが溢れてしまった僕を、今は誰も笑わないだろうか。



***



彼女は、玲さんはとても面白い女の子だと思う。
先程の彼女との会話には、授業中に昼寝してしまった時に見る夢のように、まるで現実味がなかった。ただ、そこがいい。僕は対人経験が豊富じゃないからそう感じるだけかもしれないけど。プロ野球選手同士のキャッチボールのように、一つ一つの言葉がすっ、と心地よく浸透していく。僕が返す球も相手のグローブにぴったりと収まり、そこには違和感など全くなくて、感じとれるのは確かな手応え。
僕は初めて、同世代の人と会話して「楽しい」と感じた。


1時限目の社会が終わり、今は休憩時間だ。皆、次の授業の準備をしたり、友達と話したりして思い思いの時間を過ごしている。
彼女と、友達になれたらいいな。そんな理想論をうつらうつらと浮かべていたが、そんなことよりもなによりも先程からとても気になって仕方がないことがあった。


僕の右隣に座る人物についてだ。
彼はとても奇妙で変わった風貌をしていた。教室内では彼一人だけが学帽をかぶっていて、長めの学ランにはいかついくさりがついていた。ズボンには派手な色のベルトがご丁寧に二本もついていて異彩を放っている。これは一種のおしゃれなのだろうか。僕には到底分からないことだが、先程クラスの皆が僕の周りに集まった時もただ一人だけ、腕を頭の後ろで組み、長くて細い足を怠そうに組んで黙っていた。
彼は起立したらゆうに190cmは越えそうなほど大柄で、凛々しく整った目鼻立ちに凄みのある表情を張り付かせている。
彼は一体……。

第一に浮かんだ可能性として
不良。
どの学校にも必ずこんな雰囲気の人が必ずいる。彼にはまさに「不良」という言葉がぴったりだった。
この人は一体どんな性格で、クラスではどんな存在なのだろうか。興味は尽きない。
そうだ、玲さんに聞いてみよう。

と思ったはいいが、一体どんな風に話し掛ければいいのだろう?
「おーい」
違う
「ねえねえ、」
違う。慣れ慣れしい人だとは思われたくない。
「玲さん、ちょっといい?」
なんか違う。

端から見れば、「女子に声かけるだけで何をそんなに悩んでるんだ」と思われるかもしれないが、僕にとっては非常に重要な問題だ。
色々考えた結果。

つんつん

と、玲さんの肩を叩くという至極シンプルな答えが出た。これが一番いい方法だと思ったのだ。
案の定、玲さんはすぐに僕の方へ顔を向けてくれた。ほっとする。

「ん、何?」

「あのさ…ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

「うん、全然いいよ。なに?」

隣の不良らしき人に聞こえないよう、小声で質問する。

「あの……僕の右隣に座ってる人って……」

まだ話は終わっていなかったけど、「僕の右隣」というキーワードが出た瞬間、彼女の顔が荒れ地に咲いた一輪の向日葵みたいにぱぁっと明るくなった。

「のりぴーもついに気付いてしまったか…彼の存在に」

「え、何?どんな人なの?」

「…彼はジョジョ。身長は195cmの超高身長で教室では殆どと言って良いほど喋らないし、いつも一人。彼は「孤独」っていうよりも「孤高」って感じ。皆からは不良って言われてるけど…実は凄いモテるんだよ、彼。学校中の女子はほぼ全員ジョジョの虜。裏ファンクラブもあるって噂だよ……。で、どう?」

「どう、って?」

「超格好いいでしょ?」

「う、うん…そうだね」

もの凄い剣幕で捲し立てられ、彼の感想まで聞かれてしまった。ジョジョという名前はニックネームだろうか。なんだか漫画の主人公みたいで面白い。
どうやらは彼は学校中の女子に好かれていて、ファンもつくほどの大人気ぶりらしい。確かに、よく見てみれば端正な顔立ちをしていて、いかにも女の子受けしそうな容姿だった。

「すごい人だったんだね……どんな性格なの?」

「うん、まあ見た目通りって感じかな。周りでキャーキャーされることがどうも嫌いらしいんだよねえ…彼、廊下とか歩いてるといつも人垣ができちゃって、黄色い声で女子たちが騒いでるとね、『やかましい!うっとおしいぞこのアマ!』とか言って凄い剣幕で怒鳴るの。でも…そこがまた格好いいんだよ……。」

どうやら彼女も、相当ジョジョに毒されているようだ。
何はともあれ、隣に座るいかつい男の正体が分かってよかった。いつも一人というところに好感がもてる。なんだか更に興味が湧いてきた。まだまだ情報が足りない、もっと詳しいことを知りたい。できれば、直接会話をしてみたいな、と思ってみたり。
そう思うのは自由だけど、きっかけが何もなくては話しかけても困られてしまうだけだ。
とりあえず玲さんにお礼を告げると、ちょうどチャイムが鳴って、国語の教師が教室に入ってきた。



20151116
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