リンゴ


 子供はそれこそ死ぬ物狂いで走っている。
 夕日も差し込まない路地に逃げ込んだ貧弱な影を追って、俺はその角を曲がった。中々にすばしっこいガキだけれど、こちらが本気を出せば捕まえることは容易かった。
 子供の姿が視界に入るより先に、俺のスタンド『イエローテンパランス』が、そいつの足を絡めとる。そのまま進んで行ってもあの軽やかに駆ける背中はなく、子供は予想通り地べたに転がっていた。

「てめー俺の財布をギるなんて、中々いい度胸してんじゃあねえの。イイヨイイヨ、お兄さんそういうのだぁい好き! よければ、友達になってくれませんかねえェーッ?」

 その様を見下ろしながら、俺はにやつきながら子供の腹に蹴りを入れる。

 ほら、この通り! なにせ俺は選ばれた人間だ。
 それでも、猫が子鼠を甚振るようにとはいかない。
 嬲られながらも、捕まえた子供はこちらをきつく睨む。目ばかりぎょろぎょろと大きくて、手足は小枝のように痩せこけている。そのくせその零れ落ちそうなほど大きな瞳はやけに鮮やかな色をしていて、一層痩けた頬と荒れた唇の青白さを際立たせた。きっと糊口を凌ぐことすら窮していて、やむを得ず俺の財布を盗んだんだのだろう。
 それでも、許してやる気はない。
 選ばれない方が悪い。

「なんて言うと思ったかよ、バーーーーーッカ!」

 俺は子供のちいちゃな頭を果物を握り潰すように掴み、そのまま目線の高さまで持ち上げた。その体は驚くほど軽い。吹けば飛ぶようなとはこのことか。
 軽い軽い命。子供は忌々しげに唇を歪め、指の隙間から覗く瞳は未だ俺を射抜こうと見開かれている。折れそうな両手の指が、抵抗しようと腕に絡み付いてくる。
 怖気がした。

「触るんじゃあ―― ッ!」

 もう一度痛めつけようとした瞬間、がりっと小さな歯が指に食い込む。容赦のない噛み付きに俺はぎゃあと声を上げ、子供を壁に向かって投げつけた。
 受け身も満足にとらずに、それでも子供は血を流しながら走りはじめる。その足取りはさっきとは比べものにならない程遅い。
 ジクジクと痛む親指に歯ぎしりをして、俺は子供の背を見送った。

 財布と、痛みを軽々と凌駕する飢えを抱えて、きっとリンゴでも買いに市場へと向かっているのだろう。
 希望の中身が空だと気付く時、あの瞳はどんな絶望を彩るのか。考えるだけで、腹を抱えて大笑いしたくなるほど、世界が疎ましくなった。



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